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縄文再考:縄文人のルーツ~旧石器時代の「港川人」は日本人の祖先か?~

港川人の復元画像 [1]

皆さんこんにちは。

縄文再考の追求がいよいよ始まりました。

今回は、縄文人はどこから来たのか?

そのルーツについて考えていきたいと思います。

 

現代日本人のルーツは、これまで縄文人と弥生人(渡来人)の混血説がDNA解析などの結果から最も有力とされてきました。縄文人は、約1万5000年前~約3000年前にかけて北海道から沖縄まで広く居住していたことがわかっています。一方で、その縄文人はそもそもどこから来たのか?その謎は未だにほとんどわかっていません。

 

であれば、縄文時代のさらに昔、旧石器時代に目を向けてそのルーツを探る必要があります。

現在、はっきりと確認される日本で一番古い人類の化石は、沖縄県の具志頭村港川石灰岩採石場(現・八重瀬町)で1970年に発見された「港川人(みなとがわじん)」です。発掘当時、4体分の人骨(港川人1~4号)が見つかりました。1号は男性、2~4号は女性で、男性の推定身長は150~155cmと小柄で、骨格の細い上半身に対して下半身は骨格が丈夫で荒れた土地を走るのに適していたとされます。(下写真:「港川人」発掘調査の様子)

港川遺跡(発掘当時) [2]

放射性炭素年代測定(14C法)で求められた推定年代は、約2万2000年前。同時代の東-東南アジアの人類化石と比べると、骨格は中国の山頂洞人や柳江人よりも、インドネシアから出土するワジャク人に似ていることがわかっています。こうしたことから、港川人、さらに縄文人は南方から黒潮に乗ってやってきた人たちの子孫だと考えられる説が浮上しました。しかし、縄文人と港川人の顔の骨格があまりにも似ていないこともあり、関連学会では論争になっていた模様です。(下写真:「港川人1号」の人骨レプリカ)

港川人の人骨レプリカ [3]

 そして、2021年6月。ついに、総合研究大学院や東邦大などの研究チームが「港川人」の遺伝情報の解析に成功しました。日本国内の旧石器時代の人骨から、ミトコンドリアDNAの塩基の全配列の解読に成功したのは、初めてです。

 

同研究チームが、「港川人」の遺伝情報と、縄文人・弥生人・現代日本人・中国等の東アジアの人びとのミトコンドリア配列を比較したところ、直系でつながる系統が存在しないことがわかったようです。一方で、縄文人や弥生人に多く見られるタイプの祖先型の遺伝子(広義では、東アジアを含む「ハプログループM系統」の祖先集団(基層集団))であることもわかったようです。骨格は東南アジアから出土する人骨に似ており、遺伝子は東アジアを含む祖先型の情報と似ているということになります。

 

「港川人」の存在が確認された約2万2000年前より、さらに昔に目を向けると、約1万4000年前~約6000年前頃にかけて約8000年間にわたる海面上昇により海底に沈んだ“スンダランド”が思い浮かびます。東南アジアから出土する人骨と骨格が似ていることから、陸続きであった時代に南方系のモンゴロイドが沖縄に入ったとの説とも整合します。そうすると、「港川人」は、スンダランドの民であったとの説が有力にも考えられます。(下図:氷河時代の陸地予想図)

 スンダランド [4]

しかし、現段階で日本国内で出土した旧石器時代の人骨は、「港川人」の4体のみ。その後、どのように本州に入ったのか?あるいは途絶えたのか?縄文人、弥生人、現代日本人との直系が確認されていない今、「港川人」が縄文人のルーツと断言するには時期尚早にも思えます。ただ、有力な説として今後も解明が注目される研究の一つといえるでしょう。

 

次回は、もう少し年代をさかのぼって、祖先集団(基層集団)の遺伝情報と出土分布から、縄文人のルーツを辿っていきたいと思います。