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精霊と一体化しようとした縄文人は自然に何を求めたのか?⇒絶対的な力であり、生き抜く活力である。

縄文人は一体何を考えていたか?最も原始人類の系譜を受け継いでいると思われる縄文人の思考に同化すると見えてくる。
縄文人やアイヌが蛇や熊を神として崇め、祭祀でも最も象徴として取り上げている。これは蛇や熊と一体化することで自然の持つ力を自らの活力に取り込みたいという現れである。

また縄文人が自然界で最もエネルギーが高いものの象徴として「火」「焔」がある。
火山がもたらす爆発的なエネルギーは自然界の精霊そのものであった。だから彼らの祭祀や土器の文様に火の表現が様々登場する。つまり、縄文人が表現するもの全てに精霊と一体化する仕組みが表れている。今日紹介する装飾品や体に刷り込む入れ墨もまた、それらの表現の非常に明確な形なのである。縄文人、さらに古代人類が求めたものは自然の力=絶対的な力であり、なぜそれを求めたのかは、彼らが「活力源をどう作り出すか」という事を切実に求めていたからに違いない。

この精霊との一体化=万物との一体化こそ古代人類から縄文人が生み出してきた観念機能の根本にある。
精霊信仰とは自然界との一体化であり、目的は自然から受け取る目に見えないエネルギーを掴むことに他ならない。また単にエネルギーを得るだけでなく、万物との一体化充足というところが、観念機能や精神世界の目指すところだったのだろう。縄文人が集団で生き、生殖も生産も一体になった本源集団を作り出したのは、言わずもがなで一体化する為の方法論であった。

以下、1992年発刊の西宮紘著の「縄文の地霊」から抜粋しておきたい。
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>縄文人たちが、この世における生のサイクルを精確に見ていたことは確かであろう。誕生から日常的な繰り返しを経て成長する生命あるものの循環的成長の過程は螺旋構造をなし、そしてこの螺旋構造を如実に示すものは即物的には大地母神の霊力をあらわしているものであった。例えば貝類や動物の牙や角、蔓草、樹木の年輪と樹液の上昇、天体や潮流の運動、さらには自分自身の中にある正確なバイオリズムのサイクルとその宇宙のバイブレーションへの共鳴による生命力の増大など、生命のあるものに全て存在する螺旋構造を縄文人たちは精確に把握していたのである

同時に人間の肉体はいくつかの弱点をもっていることも知っていた。たとえば首、関節部などの弱点。そのような箇所は特に悪霊に狙われやすい。肘や手首の関節に致命的な攻撃を加えられると即座にも彼らの生活が成り立たなくなった。常にガードしておく必要があったのだ。首飾りや腕輪はそのようなものであった。あの柔らかな肉体をガードし、生命力の在る螺旋構造を如実に示している貝殻を腕輪に用いるのは肘や手首の潜在的な弱点のガードとそこの部分の機能の増強化を図る必要があったからだ。このような身につける呪物は単なる装飾品ではなく、身体の一部そのものであって、一旦身に着けると一生涯その身から離してはいけないものであったのだ。

>今まで述べてきた呪具類はいわゆる霊速人(チハヤビト)と呼ばれる特別に霊力の強い人が身につけるものであったが、それ以外の一般の縄文人はどうであったか。おそらく入れ墨がもっとも普遍的な呪いであっただろう。それは成人式、成女式に深く関わっている。男の場合、たとえば中部山岳地帯なら狩人として、海岸地方の集落なら漁師として、一人前になることと深く関係していたはずである。入れ墨は男子が狩人として漁師として資格があることを示しており、同時にその部族の一員となることであり、部族の様々な催事にも参加できるようになるのである。

自分の霊魂が出やすい箇所、あるいは悪霊の入りやすい箇所、例えば耳、鼻の穴、口、性器、尻の穴などの周囲には念入りに入れ墨を施し、またその上に着衣の悪霊が入り込みやすい袖口や裾などにも、悪霊をはねつける模様を施し、2重にガードしていたものであろう。こうした入れ墨の効用は単に呪術的効用にとどまらず、鍼灸的効用もあって、縄文人はそのことを十分熟知していたと考えられる。
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このように縄文人の様々な生活の様式において精霊が宿り、守られ、それらと一体化していた。
装飾と入れ墨、それらの目的は現代人のそれとは全く異なり、慣習だけが残っていると考えた方が良い。ただ、時にそれらが何やら特別な力を持っていると感じる我々の潜在思念はその現代的目的以外のところ(太古の人類)に反応しているのかもしれない。