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巫女の役割=集団を背負って人身を捧げる存在

地図というのは不思議な図面だ。

平安時代まだ何も地図がない時代になんと東経135.74度のラインに重要な遺跡が集積していたという。またその入り口は渡来人の入り口。何を示しているかというと渡来人がこのラインに沿って南へと流れた証とも言えるし、それを地の縄文の女達が取り込んでいった拠点とも見て取れる。ブログ「風の旅人」の中でこのラインに起きている古代の事象を解説している。⇒記事 [1]

巫女や女神がこのライン上に多く史実を残しているそうだ。この記事では135度のラインの話とそこで果たした巫女の役割の異なる2つの物語が書かれている。有事の際に前に出たのは女だった。「敵なのか味方なのかわからないマレビトを計る役目も、巫女が背負った。巫女は、人柱にもなり、人質にもなった。」というように集団を背負って人身を捧げる存在が巫女だったという。現代でもその構造は同じかもしれない。非常に自我がすくなく、集団に生きて活かされた女が現代でも居て、それは同じ役割を担っていけるのかもしれない。

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平安京の中心軸となった朱雀通り(現在の千本通り)は、東経135.74度で、このラインにそって羅生門や大極殿、船岡山などが位置するが、このラインは、近畿のど真ん中を南北に貫いており、その南端が、本州最南端の潮岬で、北端が、若狭の小浜となる。 そして、第2代天皇から第9代天皇までの欠史八代と呼ばれる初期天皇の宮が築かれていた奈良県御所市周辺は、この東経135.74度で、数年前、このライン上の御所市の中西遺跡で、弥生時代初期の最大の水田遺跡が発見された。また、南北朝時代、南朝が築かれた吉野の丹生川のそばの吉野三山や、京田辺の甘南備山、斑鳩の中宮寺跡、奈良盆地の全ての川が合流する広瀬大社など、東経135.74度上には、古代の重要な場所が多く存在する。

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この東経135.74度上には、女神や巫女の聖域が多い。コノハナサクヤヒメやイワナガヒメ、天津羽羽神、豊受大神、聖徳太子の母親の穴穂部間人もまた、そこに含まれる。そして、このラインの北端の小浜には、八百比丘尼の入定の洞窟がある。小浜湾に面したところで、背後には後瀬山城があり、鯖街道と呼ばれる南川、北川が小浜湾に注ぎ込む場所であり、古代から渡来人が上陸し、鯖街道を通って、京都や奈良方面へと移動していく要の場所だった。

 八百比丘尼というのは、人魚の肉を食べたことで不死となった女性であり、全国に伝承が残されているが、入定(死なずに永遠の瞑想に入ること)した場所は、この若狭の小浜ということになっている。人魚の肉を食べて不死になるという伝承は、いったい何を意味しているのか?八百比丘尼は、自らの好奇心で、人魚の肉を食べたのではない。村の男が、異人からもらった肉を、自分で試すのは怖いので、八百比丘尼に食べさせたのである。つまり、八百比丘尼は、異物が何ものであるかを調べるための犠牲であり、これは、古代において、巫女の役割だった。コノハナサクヤヒメやイワナガヒメなどの女神もまた、水辺で機を織っている時に異人(マレビト)に声をかけられて結ばれる一夜妻である。古代は川や海が交通路であり、水辺は、マレビトとの接点だった。

巫女は、所属する集団に降りかかる厄災を引き受ける犠牲者であり、もし集団が何かしらの厄災に見舞われれば、その罪は、巫女にあった。

 かぐや姫の物語のなかで、かぐや姫の罪とは何なのか?ということがよく議論になるが、近代的価値観にそって、かぐや姫個人の罪のことを考えても答えは出ない。かぐや姫というのは、巫女であり、その罪というのは、天災や疫病など、集団が見舞われた厄災のことである。

 魏志倭人伝の中に持衰(じさい)の話が紹介されているが、航海の時、一人の人間を持衰として決め、もし航海が無事に終われば、持衰を神のようにもてはやし、航海中に病人が出たり嵐に見舞われると、持衰は、その罪を背負って海の中に放り込まれたとある。

 神のそばに仕える巫女というのは、現代的な価値観では理不尽というしかない罪を背負う存在だった。しかしそれは悲劇というわけではなく、誉でもあった。巫女は、ただ美しいだけではなく、聡明で、振る舞いにおいても気品があっただろう。神やマレビトに対して、その集団を代表する役割を担っていたのだから。
だから、敵なのか味方なのかわからないマレビトを計る役目も、巫女が背負った。巫女は、人柱にもなり、人質にもなった。

 話を、若狭の小浜に戻すが、なぜ全国に伝承の残る八百比丘尼の物語において、800歳の時に入定した場所とされるのが、小浜なのか?その理由の一つは、小浜が、大陸からやってくる人たちの入り口になっていたからだろう。小浜は天然の良港であるし、朝鮮半島の、かつて新羅という国があった所から船に乗ると、対馬海流に乗って、ちょうどこのあたりにたどり着くのだ。そして、福井県の若狭町に、瓜割の滝という日本の代表的な名水の里があるが、この周辺は、膳氏の拠点であり、膳氏のものと考えられている古墳が多く残っている。

 膳氏というのは、古代、天皇の食膳に仕えていた氏族だが、単純に食事係と思ったら、大きな間違いになる。天皇の食事を仕切るということは、天皇が行う全ての祭事における食事の準備をすることである。また、天皇の生命に関わる仕事であるから、天皇の側近中の側近であり、当然ながら、その警護も担うことになる。また、大切な客人をもてなす食事、つまり外交も仕切ることになる。安倍晴明で知られる阿部氏と、膳氏が、この役割を担っていた。

現在、天皇陛下の後継は男になっているが、飛鳥時代から奈良時代にかけては、男性天皇の在位期間よりも女性天皇の在位期間の方が長い。しかも、男どもの権力抗争のなかで世が乱れる時、必ずといっていいほど女性天皇が即位し、さらに推古天皇をはじめ在位期間が非常に長いし、斉明天皇や称徳天皇など、一度は男性天皇に譲位しながら、すぐに世の中が乱れたので、再び天皇の地位に戻っているのだ。古代において、女性は、明らかに、異なる勢力のあいだのバランスをとるために大きな役割を果たしている。古代の巫女が背負っている役割と、その罪は、そのことに大いに関係している。