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守護神信仰によって人類は集団自我を観念として正当化した~それが戦争の始まりであり、国家成立の起点

先日の実現塾で戦争の始まりと国家の成立が扱われた。章立てで展開したい。

【国家の誕生と戦争の成立】
国家の誕生とは元をたどれば戦争にある。戦争の元はイラン高原付近で急激な乾燥化から食料危機に直面した遊牧部族が発した5800年前に始まった略奪闘争とそこから繰り広げられる玉突き的な略奪闘争の果てである。都市国家を作り、地域を城壁で周りから切り離し、所属する民だけを守る守護神信仰が各地で生まれた。戦争激化と併せてやがて都市国家が国家、帝国として巨大化していく。それを以って、人々は安定と秩序を取り戻したが、そこでの秩序は力の原理(=身分序列と弱肉強食)で統合された私権社会であった。以後、約5000年間、その統合原理は継続され、力の原理は武力⇒資力へと転化しながら権力は巨大化し2020年、ついにそのバブルが弾け、崩壊が始まる。崩壊とは巨大国家であり、巨大権力である。

【なぜ人は人を殺せるのか】
改めて国家とは何かが現在問われ、国家を産み出した大元の追求が重要になってきている。先回の実現塾で出たのは、戦争=人を殺すという事ができるのは人類だけであるとい事実。
サルも集団間での同類闘争はするが、相手を殺したり、皆殺しにしたりはしない。勝敗が決まればそれで闘いはおしまい。縄張りは確保できる。そこには生物としてのブレーキがかかっているはずだ。なぜ人類だけは人を(平気で)殺す事ができるのか?それは人類特有の共認の部分にヒントがある。〇〇の為なら人を殺してもよいという共認が必要、或いは殺す事が正しいという狂った観念がどこかで生まれる必要がある。

【守護神信仰という正当化観念】
どうやってそれが生まれたのか?おそらく都市国家で必ず登場する守護神信仰にその秘密がある。守護神信仰による自集団は(神に選ばれた)優れた集団という観念が刷り込まれた。洞窟の中でぎりぎりに生きながらえてきた人類は守護神信仰など凡そ縁がなかった。ひたすら自然に同化し、サル時代に獲得した共認機能を自然に向け注視し、その果てに精霊を見た、それがその後の人類の言葉や脳の飛躍的な進化を成し遂げた観念原回路になった。だから洞窟を出た後も精霊信仰は継続し、自然崇拝という万物の背後に精霊があるという信仰を長い年月続けてきた。日本では縄文時代から弥生時代前半にかけてまでずっとその自然崇拝(アニミズム)は続いており、アイヌに至っては神話から生活すべてがつい最近までアニミズムに基づいていた。調べてみないとわからないがおそらく守護神信仰などは日本においては一度も登場していない。

【守護神信仰とは何か】
守護神信仰とは聞こえは悪くは聞こえないが、簡単に言うと自集団が〇、他集団は×とする集団自我である。或いは自集団のこと以外は関係ないとする自己中観念である。自我はサル、人類共に共認の鬼っ子として共認が始まった時から登場しているが、それはあくまで個体のレベルで常に集団共認の中で抑え込まれてきた。しかしこの守護神信仰によって自我が集団自我になり、正当化されたのだ。戦争にせよ国家にせよ、この集団自我が結束軸になり、守護神信仰とはその集団自我を正当化する為に作られた架空の観念なのである。つまり守護神の為に戦争する、守護神の為に人は殺してもよいというねじ曲がった理屈だ。しかしいくらねじ曲がっていても一旦それが集団共認として成立すれば集団に居る以上追認せざるをえない。やがて巨大なシンボルや経典、神官の登場によって根を下ろしていく。

【なぜ、いつ、どこで発生したのか】
最後に追求すべきはなぜそれが遊牧部族の中から発生したのかという事。この辺はかつてのるいネットの投稿によい記事があったので引用させていただきます。

精霊信仰・守護神信仰・多神教・一神教の成立構造 [1]

①精霊信仰
精霊信仰は、500万年前に樹から落ちたサル(人類)が、過酷な自然外圧から可能性を見出すために生まれたものである。想像を絶する極限状態の中で、本能不全・共認不全に陥った人類は、ひたすら自然を対象化し、その背後に精霊を見るようになる。精霊とは、共認機能を使ってひたすら同化し応合する対象であり、すなわち精霊=現実そのものであった。

②守護神信仰
約8000年前、急激な乾燥化によって、イラン高原付近で牧草が不足し始め、その結果、牧畜から遊牧を開始することとなった。その結果、遊牧では移動距離が長いため、女を移籍させる父系制に転換した。父系制では女たちの不安が増大し、必然的に女たちの利害関係が高まり、「自分の娘には少しでもいいものを」という自集団第一、すなわち自己中集団化していった。
自集団の利益が第一をなった集団は共認原理では統合できず、それに代わって力の原理で統合されるようになっていく。そして、自集団を統合するために都合の良い精霊(守護神)を選び、守護神の力を借りて、自集団をも唯一絶対化させた。そして、略奪闘争が繰り広げられていく。

③多守護神信仰(多神教)
イラン高原を中心とする乾燥の激化に始まる略奪闘争は、玉突き的に拡がっていく。戦乱が続く世の中になると、安定を求める意識が強くなり、力の原理によって統合されていく。そして、力の強いものが弱いものを従える強固な身分制度によって武力国家が成立する。
国家は、支配部族の下に、被支配部族を服属させることになるが、その結果守護神が混在することになる。
そして、集団の可能性収束先をなくさないため、各部族の守護神を認めるというかたちで力の身分序列に従って秩序化・序列化した。これが多守護神信仰(=多神教)が成立した背景である。

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この遊牧初の守護神信仰、都市国家から武力国家の成立、その後の一神教に繋がり、契約のみで作られた社会の原型になった。一神教はその後の個人主義、権利主義を中核とする近代観念を産み出し、恋愛至上主義を軸にした市場社会を産み出した。これら一連の価値観や西欧人を理解する場合こ、の最初の集団自我を軸にした守護神信仰の本質を押さえておく事が要点になる。逆に言えば日本人がこの辺を全く理解できないのは、守護神信仰が歴史上一度も登場していないからでもある。

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