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現代の言葉に息づく、縄文の自然との共生体験

日本人は遥か縄文時代から脈々と「縄文思考」を受け継いでいます。 日本の言語は、大和の時代の万葉集からしか紐解くことはできず、縄文時代にどのような言語が語られていたかは分かっていませんが、人類が生き残りをかけて獲得した共認・観念機能がある以上、言葉はその重要な機能として語られていたはずです。 そのルーツを探る研究はさまざま行われていますが、大陸の言語と違って、日本語は日本列島発のその土地独自の言語が誕生し、その言葉を使って、現代まで「縄文思考」を引き継いできたのではないでしょうか。

academyhills   小林達雄 [1] より

【「縄文の思考」~日本文化の源流を探る】

日本の山に住む人々は、山で材料を手にしたり食べ物を手にしたりするとき、いつも挨拶をするのです。森を支配している霊、木霊がいるのです。そういう霊に対して、「おーい、木を切っていいか?」と尋ねるんです。すると、ちゃんと「いいよ」と答えてくれる。それで「ありがとうございます」と言って、木を1本切ってくる。そうして家を建てるのです。

こういうことは大陸側にはありません。大陸側では、「こんなに根を張ってやがって、苦労させるなこの木は」と悪態をつきながら汗水たらして開墾する。

日本列島の場合、ついこの間まではそうだったのです。それを壊したのは林野庁です。林野庁は植林といってワーッと皆伐して、評判の悪い杉を植える。今でも杉を植えているんですよ、信じられないでしょう。杉の木には鳥が来ません、なぜなら虫がいないからです。白秋の「落葉松は寂しかりけり(『落葉松』)」という詩がありますが、落葉松には昆虫も鳥もいないんです。林野庁はそういう状態にしようとしているのです。

広葉樹には神格化されるものもあります。先ほどお話したように挨拶をしたり、本当に大きい風格を備えた木には名前がつけられたりするのです。そして拝むのです。ところが、その拝んでいる木まで切れと言うのです、霞ヶ関は。縄文時代に培った共生の精神というものを全く無視して

縄文人の定住的な生活では、村の外に原をずっと維持していました。原は自然との共生の場です。大陸が原を容赦しないで開墾してきた、征服すべき土地として見てきたのと対極にある日本文化というのが、日本的心情というものにずっと脈々とつながってきているのです

私は、かつてそれを「文化的遺伝子」と名づけました。その文化的遺伝子があるから、欧米の人たちとは違う心、日本的な心を持つことができるんだと。最近はそれをもう少し限定することができるようになりました。それは、言葉です。

【現代の言葉に息づく、自然との共生体験の歴史】

: 文化的遺伝子というのは生理学的な遺伝子のDNAとは違って、言葉を通してつながってくるのです自然の秩序が維持されている原における生活というものが、実は村の生活、縄文村の生活を維持するためには必要な伴侶、仲間の土地なんです。そういうところでも自然との共生というのは、その後の日本の大和言葉の中にたくさん残っています。

 擬音語とか擬声語というのがあります。風の音や川の流れを欧米あるいは中国の漢語でもそうですが、「小さな川が静かに流れている」「水量は小さい」「波風立てないで流れている」と言う。大きな黄河や揚子江になると、「とうとうと流れている」と形容詞で言うのです。日本語の場合は「サラサラ」流れたり、「ザブザブ」流れたりする。これが擬音語ですが、風の渡る音も、みんな擬音語、大和言葉です。

縄文時代は1万5000年前ぐらいに幕を開けて、それからずっと紀元前1000年ぐらいまで続きます。その間、原で自然と共生してきたわけで、自然とのつき合い方の中で、自分たちの言葉を自然としゃべり合うのです。

例えばコオロギの鳴き方、キリギリスの鳴き方、スズムシの鳴き方、これらを全部、日本人は言葉で言い換えるのです。鳥だってそうです、セミだってそうでしょう。セミはただ「鳴いている」とは言わないんですよ、鳴いていると同時に「ああ、これはツクツクボウシだ」「これはカナカナゼミだ、ヒグラシだ」「これはクマゼミだ」と全部わかるのです。そんな文化は世界中、おそらくどこにもありません。

面白いことに、欧米の人に「今、コオロギが鳴いていますね?」と指で(鳴き声のする方を)示しても彼らには聞こえないんですよ。我々は「あっ、鳴いているね」「ああ、そうだね」と、そっちを向かなくても鳴いているのをキャッチできるんです。

つまり、耳も目もみんな文化なのです。例えば目が必要な狩猟民は、我々現代人の何倍も遠くが見えます。そういう研究はいっぱいあります。音もそうです。そういう世界に住んでいて、それが必要なところでは我々が聞こえない音をちゃんとキャッチできるのです。

我々がキャッチできるものは生理学的に限定されるだけではなく、文化的にも限定されるものなのです。日本人は文化的な訓練によって、セミの声も虫の声も全部キャッチできるのです。

こういうふうに人間だけではなく自然も大和言葉で話をするというのは、縄文時代の1万3000年以上の間、ずっと自然と共生してきたことが文化的遺伝子としてあるわけです

俳句が今、欧米をはじめあちこちで流行っていますが、俳句は日本にしかないのです。俳句というのは四季の移ろいをパッと取り入れて、五七五に読み込むんですね。欧米のように音素だけで五七五にしようというものは俳句精神とは全く違います。やはり縄文1万3000年以上の体験が自然との共生体験が俳句を生んでいるのです。だから真似をしたってだめなんです。文化的遺伝子が全然違うのですから

言葉尻をつかまえるというか、韻を踏んでダジャレを言えるのが日本語です。ほかの言語にもセンスのあるダジャレが一口話としてはありますが、一言でパッとダジャレで落ちをつくれるのは日本語、大和言葉です。縄文時代の1万年以上に亘る自然との共生のなかで、それが出てきたんですね

【縄文時代、既に「言葉の壁」があったのではないか?】

言葉というのは本当に大事なものでして、縄文時代、日本列島の周りの国々にはすでに違う言葉がありました。縄文時代、宗谷海峡を渡るのは津軽海峡を渡るよりも実は簡単だったんです。あそこはせいぜい60メートルぐらいの水深で、冬になれば狭まる、うまくすれば流氷が堰をつくってくれたかもしれない。でも、縄文人はそこを渡らないし、樺太の原住民も渡って来ないのです。

朝鮮海峡は130メートルほど。縄文人は対馬までは渡るのです。あそこは縄文の国なんです。対馬は朝鮮海峡の九州寄りではなくて、朝鮮半島寄りにあります。そこまで縄文人は行っているのに、そこから先には全然興味を示さず、朝鮮半島には渡らないのです。おかしなことです。

津軽海峡はボートで行っていました。それも丸木船です。今の一番簡易な漁船と比べても100分の1以下ほどの機能しかないような船を操って、しょっちゅう行き来をしていました。だから津軽海峡をはさんで、縄文時代を通じて同じ文化圏なんです。それぐらいナビゲーターとしての力があるのに、なぜもっと簡単に渡れる宗谷海峡を渡らなかったのか。朝鮮海峡の対馬まで行って、どうしてその先には行かなかったのか。

南に目を向ければ、縄文人は沖縄まで行っています。新潟県の糸魚川沿いの姫川という所はヒスイの産出地です。ヒスイの産出地は1カ所しかないのですが、そのヒスイが沖縄まで行っているんです。

だから、宗谷海峡や朝鮮海峡を渡って向こう側に行かないのは航海技術が理由ではなく、「行かないんだ」という意思があるんです。なぜ行かないかというと、行っても言葉が通じないからです。

つまり、大和言葉の祖先、祖語が縄文時代にはもうでき上がっていた、だからこそ、朝鮮半島の人々と交流できなかったのではないか。宗谷海峡を渡ろうとしなかったのではないか。何回か行き来はしていますけれども、手を結ぶということは一切なかった。津軽海峡はものともしないで行ったり来たりしていたし、南西諸島、沖縄本島にも行っている。それなのに「なぜ宗谷海峡や朝鮮海峡は行けなかったの?」ということです。

そういうふうに見ていくと、「弥生時代から日本語の形が整った」という考え方は言語学者のもので、『万葉集』『古事記』『日本書記』などを材料にして大和言葉を遡ろうとすると、そういうことになるのです。私は全く賛同できません。「日本語はウラル・アルタイ語で、それから何万年ぐらい前に分かれた」といいますが、そんなことはありません。  分かれてくるまではどうしたんですか? 日本列島の人たちは、手振り身振りだったんですか? そんなことはありません。言語中枢はもう十分に発達していて、今と全然変わらない。人類は本当に幅広い音域を持っています。だからこそ、あちらこちらでいろいろな言葉があるのではないしょうか。今、世界中の言語は65,000種類といわれています

その言語はウラル・アルタイ語だとかインド・ヨーロッパ語だとか、そういうところに基があって、それから分かれてきたのではないです。みんな、もともと地域地域にあった言葉がその後の交流によって貸し借りが出てきたりして、同じような言葉のグループができたのです。本末転倒してはいけません。人間の能力や、人間と言語という哲学的な思考、言語学者の多くはそれに目を向けていないだけの話なのです。

記号論やチョムスキーなどの新しい言語学というのは、今申し上げたような、「人間と言葉とは何か」そういうところから来ているのです。我々の言葉はどこから来たかとか、ミクロネシアの言葉はどこから来たかなど、「この言葉はどこから来たか」ということから発想するのが、まず間違いです

このように縄文日本語というのは、もう確立していました。猿やチンパンジーと違って人類は言葉を手にして、そしてそれを自由に操った。手に入れた言葉というその武器を活用しないわけがない。最初から活用していますよ。

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