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奥の院と日本の老舗企業の親近性~集団を存続させるには母系が適している

Posted By tanog On 2020年11月19日 @ 8:51 PM In ⅩⅠエトセトラ(その他諸々) | No Comments

先週の実現塾でコロナ後の世界を追求する中で、現在のコロナを裏で主導している奥の院(サボイ家)の出自とその歴史について話が出ました。奥の院の力の源泉は徹底した現実直視と凄まじい追求力です。19世紀に世界を牛耳ったロスチャイルド、20世紀のロックフェラーはいずれも金貸しの手先で、彼らを動かしていたのはこの奥の院の存在。

奥の院の出自は地中海で海賊をやっていたフェニキア人で何千年と海の上を拠点にしてきたことで自然外圧と常に同期し、直視してきたからではないかとの説が出た。しかし注目すべきは海から陸に上がった後も彼らは能力を落とすことなく、むしろその力を維持して影響力を拡大してきている事だ。歴史を追えば十字軍遠征、フランス革命、宗教改革、共産革命、第1次2次世界大戦など全て奥の院で仕掛け実現してきた。

なぜ彼らがここまで継続して一族の力を維持できたのだろうか?実現塾で出た仮説はリーダーが世襲制ではない事、能力によって時のリーダーが選任されている事だ。どのようにして有能な人材を育て、専任しているのかそのシステムこそが彼らが永続してその力を存続させている拠点ではないだろうか?

そのシステムとは何か~提示されたのは奥の院は彼らの一族は母系制ではないかという仮説だ。母系制で女ボスとその周囲に存在する女たちとの女共認で自分たちの集団を守るボスが選ばれる。それが最も正しい評価と厳しい選択が為されるのだ。仮に男達で選べば戦国時代のように有能な息子を遠ざけ、殺め、あるいは能力のないものでも家系上の長男で跡継ぎに着けた。5世代も続けば放蕩者が現れ、自壊的に集団は弱体化する。ところが女が集団の中心に居ればボスの選択だけに留まらず、英才教育で乳幼児の時代から帝王学を学ばせ、強い男に作り上げていく事も可能だ。仮にそれに失敗しても集団の中で有能な男を周りの女たちの厳しい目で選び出せばよい。強い集団を作るにはまことによく出来たシステムで、実は人類の歴史の

こうして母系集団を軸にする集団は長く、強く、伝統を重ねていく事ができるのだ。

実はこの仮説が出てきた根拠が日本の企業文化にあった。日本の企業は世界一古くまた200年を超える老舗の数も世界で飛びぬけて多い。3000年続いている奥の院とはレベルが違うがそれでも1000年を超える企業は何十社もある。

跡継ぎがまともで放蕩者が出なかったというのもあるが、そもそも日本の企業は商家の延長であり、その商家を仕切っていたのは女達だったからではないか?世襲と能力主義を天秤にかけながら家の存続を女たちが担う、それが奥の院であり、日本の企業ではないか?

参考:「日経BPコンサルティング」による創業100年以上と200年以上の企業数を国別に調査した「世界の長寿企業ランキング」で、ともに日本が1位になったのだ。100年企業のランキング(図1)では、全体の半数以上が日本の企業。200年企業(図2)に関しては、その比率がさらに高くなる結果に。6039283014041600 [1]6730995919224832 [2]

100年以上の継続企業   200年以上の継続企業

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以前のるいネットに以下のような記事があった。

 江戸時代の商家は女系相続が中心だった [3]

☆江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた サムライと庶民365日の真実
 (講談社プラスアルファ新書)
 古川 愛哲 (著)

この本によると、江戸時代の商家(特に現代に続く老舗企業)は女系相続が中心だったようです。その内容を抜粋すると、
・三井の「大坂別家(暖簾分けの店)」を調べた結果では、実子の相続は五十一件中のわずか十二件で、残りの三十九件(約七十七パーセント)は養子が占めた。男子相続で店を治められたのは二割強でしかない。
・日本橋馬喰町のさる紙問屋は、「当家に男子出生いたすとも、別家または養子に遣わすべし。男子相続は後代まで永く永く禁止し、当家相続は養子に限ることを、堅く定めおき候」と主人が書き残している。
・近年、東京の神田、日本橋、京橋の老舗四十店の当主を調べたら、すべて婿養子だった。
・商家に対して市中の金融機関は「婿取りの家なら融資するが、息子が当主だったら融資しない」といった考え方が普通だった。

これを読むと、一見母系制のようにも見えるが、「婿養子」という表現からして、おそらく婚姻制度自体は父系制であったと思われる。よって、婚姻制度は父系制を保ちつつ、実態としては擬似的に母系に近い体制を採っていたということだ。
これは、一旦母系制→父系制へと転換したものの、何かしら集団維持、統合が困難になったが故に、婚姻制度自体はそのままに体制的に元々の母系制へ再度転換したということなのではないだろうか。(だからこそ、経験則に基づいて男子相続を堅く禁止していたり、男子相続の信用度が低かったということなのでは)

だとしたらなぜ、商家において父系制では集団統合が困難だったのだろうか?
今日のネットサロンで挙げられた要因は以下二つです。
・父系だと、能力に関係なく跡継ぎが決まるため、評価圧力が機能しない
 →無能な跡取りが続出(技術力、経営力が生命の商家では致命的)
・父系だと、女が寄せ集めの状態(共認不全)になり女の不安が高まる
 →女の充足存在、生殖存在としての資質が失われる
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私はこの「奥の院と似た日本の老舗」という存在はある可能性を示唆しているのではないかと思っている。
つまり、私権社会の集団に永続性がなく、栄枯盛衰なのは集団の基本構造が父系制だからではないか?
そうであれば、母系制に代わる事で大いなる可能性が出てくる。それは少なからずこれから始まる男女関係や女の役割、男の役割も示唆している。女の期待に応える事が男の追求力であり統率力であり、男の人間としての力だとすれば、女さえ臨めば、期待をかければ、比較的早くスムーズに正しい男の追求力も能力上昇もその評価も可能になるように思う。


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[3] 江戸時代の商家は女系相続が中心だった: http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=210945

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