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高野山~真理を追求する下界から切り離された悟りの山

最澄と空海、天台宗と真言宗、比叡山と高野山。

平安に生まれた2大密教には、比較に値する大きな違いがあります。 政界に近い最澄の天台宗に対して、民間の庶民から生まれた空海には、政界に取り入ろうという野望は微塵もなく、ひたすらに真理を求め、真言密教を確立した体系へと追求しつくしました

比叡山が、京都を一望するお山であるのに対して、高野山は人里離れたお山であり、日常の煩悩から解き放たれ、生きながらにして悟りを開き、即身成仏するにふさわしい環境を整えています。

何重にも重なる杉木立の山々に囲まれた、115の寺院からなる高野のこのまちには、今でもお大師さんを慕って訪れる人々の想いと密教を極めようとするお坊さんの想いが息づく、特別な世界が残存しているのです。

yamada ironwork’s http://yamada.21jp.com/oyaji-75.htm [1]より

比叡山と高野山

西国三十三所の朱印掛け軸(御宝印軸)には、5つの番外個所があります。 そのうちの3つは、巡礼の風習を始められた 長谷寺の徳道上人の御廟所・法起院(奈良県桜井市)と、巡礼中興の祖として崇められる花山法皇にゆかりのある 元慶寺(京都市山科区)および花山院(兵庫県三田市)ですが、あと2つは 巡礼者の裁量に任せられています。

私たちは、この2つに 比叡山・延暦寺高野山・金剛峯寺を選びました。 選んだ理由は とても単純で、観音巡礼三十三カ寺のほとんどが 天台宗あるいは真言宗で それらの宗派の総本山であるこれら二寺を選ぶのが 自然に思われたからです。  比叡山と高野山、この冬 極寒の時期に 続けてこれらのお山を訪ねました。

比叡山は、私たち京都に住む者にとっては 毎日見慣れたお山であり、小学校低学年の遠足以来 何回となく登っていますが、今回は ちょっと真剣な気持ちで訪れました。

平安期には 「山」といえば 比叡山のことであった、と 歴史で学習しました。 宗教的権威のみならず、平安貴族の死生観や日常の感情を思想上支配し、ときの王権を左右する大きな力を持った権力者。  権威を神輿にし、武装の徒をやしない、増上慢のかぎりをつくした不思議な世外。 「叡山」 には、そんなイメージが 先行します。

でも、このお山を開かれた 伝教大師最澄は、宗教の創始者にありがちな いかがわしさを微塵も持ち合わせない 骨の髄からいい人だったと、司馬遼太郎は分析しています。 司馬氏は、日本の大乗仏教が こういう人格によって創造されたということに われわれ日本人は感謝しなければならない、と言い切っています。

一灯を照らすもの これ国の宝なり』。  深々と冷える根本中堂の回廊をひと渡りした眼前に、この 伝教大師のお言葉が掲げられていました。  『個々が思いやりの心をもって一隅を照らす人になれ」』 と教えているのです。

法然上人も 栄西禅師も 親鸞上人も 道元禅師も 日蓮上人も、みんな このお山で学び、迷い悩み、悟って、それぞれの尊い道を開かれました。 このお山は、まぎれもなく日本仏教のふるさとです。  凍てつく東塔の伽藍道を踏みしめながら、そう 確信できました。

比叡山ドライブウェイから見下ろす琵琶湖は 冬の日差しにきらきらと輝き、このお山の地上界との親しい関係を 目から知らしめてくれます。  頂上の四明ヶ嶽からは、京都の町並みが見渡せることでしょう。  比叡山は 雲上の世界ではなく、地上界をつねに見守りつづけているお山なのです。

 

高野山は、京都から かなり遠いお山です。 橋本から371号線のくねくね道を高野町目指して登っていくのですが、この山道が 酔いそうな綴れ織り道なのです。上り詰めると、そこは 不思議なほど平坦な 海抜900メートルの宗教都市。  堂塔伽藍が軒を連ねる この一大聖域のなかほどに、真言密教の根本道場・金剛峯寺があります。

中世以来の歴史上有名なあらゆる人物の苔むした墓から シロアリ供養塔にいたるまで立派な墓がたちならぶ 長い長い参道の もっとも奥まったところにある奥の院には、弘法大師空海がいまも生けるひととして 絶えることのない 勤行の声に護られています。  僧空海は、お大師さんという神となって 祀られているのです

50年前の夏、母と二人で この長い長い参道を 歩いたことがあります。  鬱蒼とした杉木立の高い位置から浴びせられる蝉の声に圧倒されたことを、覚えています。  蝉の声しか覚えていません。 そして この冬、家内と二人で この長い長い参道を 寒さに震えながら歩きました。

高野山を開いた空海は、私には理解しがたい なぞの人物です。 日本史上最大の秀才、偉大すぎるとしか言いようがない、比喩が稚拙ですが、生きざまにおいては おそらくイエス・キリストに匹敵すると言えそうです。  空海にとって、人間世界のことは些々たるものだった。 だから、天皇であろうが釈迦であろうが 怖いものがない。

密教以外のすべての仏教は顕教ですが、顕教では 釈迦という歴史的に実在した人物が教祖になっています。 これに対し、空海が信じたものは ゴータマ・シッダルタという悩める人間の悟りの姿である釈迦ではなく、天地宇宙をつかさどる大日如来です。  大日如来は、人間ではありません。  宇宙原理そのものなのです

日本古来の神道にも、人間の五感で知りうる世界だけでなく 樹木にも石ころにも万物に神の働きが宿っているとの 考えがありますが、空海が目指した密教世界にも それに似たところがあります。

密教は、仏教ではないと言い切る宗教家もいます。 お釈迦様の説かれたもの(多くは法華経などのお経)を最高の教えとする顕教からすれば、バラモン教の匂いのする密教は 胡散臭いのでしょう。  空海は山師などと、恐れ多い誤解さえ生まれています。

空海は、そのずば抜けた頭脳 人知を越えた精神力によって、絶対原理の秘密の信号を受信できる感応力をもって いたかも知れず、その力を駆使して たとえば雨を降らせ、嵐を吹かせることもできたかもしれません。 しかし 空海においては、そんな加持祈祷は 宇宙の機能の深奥に参入して同化するという 彼の深大な思想の 一末梢に過ぎず、彼の思想の行き着く真髄は 即身成仏、すなわち浮世のその身のままに仏になるという 解脱にありました。

空海という希代の天才は 常人には理解しがたいものがありますが、そんなこととは無関係に、日本の精神界に残した空海の偉大さは 「弘法さん」 「お大師さん」 の愛称で 日本の隅々まで浸透し、まぎれもなく 日本が誇る最大の宗教者でありましょう。

冬の高野山は、寒いを通り越して 痛い寒さでした。  権力のあるもの 財力のあるものが みな、この高野山の墓地に墓を立てたがります。  高野山には、比叡山とはまったくちがった社会とのかかわり方を感じます。  遁世の世界なのに、不気味なほど現世のにおいがするのです。  高野山は、凄いお山。

西国三十三所朱印掛け軸の2つの番外に 比叡山と高野山を選んだこと、そして極寒の冬に続けて訪ねたこと、この選択と実行は 間違っていませんでした。

西国三十三所朱印掛け軸に 比叡山・延暦寺と 高野山・金剛峯寺の朱印がいただけたことに、誇りと満足感を 覚えます。

先日私も事情があって高野山 金剛峯寺に参拝してまいりました。 飾り気のない、建築と自然に囲まれた環境で、空海の想いに少し近づいた気がします。

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