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必要か否かが本質を炙り出す~現在の遊行と元禄の娯楽

Posted By tanog On 2020年6月11日 @ 8:48 PM In ⅩⅠエトセトラ(その他諸々) | No Comments

コロナに席巻された2か月。人々の意識は奥底で大きな変化を起こしている。先週の実現塾では2か月ぶりに小中学生や大人達が集まった。このコロナで長い自粛生活を経て本来必要ないものは何か、あるいは必要なものは何かという問いを出し合った。

面白い答えが並んだ。

必要ないものは)
ぜいたく品、娯楽、趣味
学歴、学校、勉強の大半、オンライン授業
マスコミ、テレビ
旅行
ゲーム
夜遊び、飲み会。
外食。

必要なもの)
おしゃべりする友達

運動・自然
追求する事、追求できる仲間
常識に捕らわれずに事実を知る事

特にコロナ直後のネット調査では必要ないもののトップに「学歴」があがったそうだ。
また、必要ないものをよく見て行くと殆どが遊行や贅沢の類が多い。マスコミもそれらと同じ(それらを刺激して商売している)なのかもしれない。
生きていくのに果たして必要なのかと問いにそれらは疑わしくなる。コロナを経て、これらの正体=必要か否かが現れてきている。また、必要ないとされたものはいずれもストレス社会で産み出されたストレス解消の道具でしかない。都市化、核家族化、市場化した社会は必然的にストレスを作り出し、ストレスという需要でこれら様々な(無駄な)遊行商品が供給された。

逆に何が必要かという問いに対しては答えは少ないが、注目すべき答えが出てきた。
「チャットを使って普段あまり会わない友達と仲良くなれた。活力を高めあう事ができた。友達の大切さを改めて感じる事ができた」
「本を読むことができた。本を読むと色んな世界を知る事ができた」
「勉強は殆どが必要ないけど、読む事や計算する事、書く事は社会に出ても使える。それは必要だと思う」
「いろんな事が計画的に動けた」
「外で運動して開放的になれた」

一人の子供からはゲームは必要ないという言葉も出てきた。
「ゲームは時間を奪う、だから必要ない。」

最近のゲームは時間制限付きでそれ以上できないような仕組みもセットできている。
だから必要という子供も居たが、バッサリ「ゲームは必要ない」という子供の言葉は強い。

今回は遊行、娯楽が日本で初めて登場した江戸の元禄時代を見てみたい
そこには今のストレス解消としての遊行や娯楽ではなく、娯楽や遊行が庶民の追求の延長にあった。
だから遊行と追求は一体で、自我充足ではなく共認充足を得る為のものだった。また性や女を肯定的・開放的に描いたのも庶民発の文化所以でそれまでの日本人の価値観や生活をそのまま遊行や芸能に昇華させていた時代であった。
寺子屋もその中で登場したのは象徴的だ。

現代とは180度異なる豊かな娯楽があった時代である。

江戸時代、上方の町人が中心となって盛り上がった元禄文化とは [1]から紹介してみたい。

浮世草子の井原西鶴)
元禄文化の代表格といえばやはり「浮世草子」を誕生させた「井原西鶴」でしょう。江戸時代には様々な物語の仮名草子が書かれてきましたが、井原西鶴の登場によって大きく変化します。浮世草子というのは大まかに説明すると「色事」です。官能文学作品ともいえるでしょう。甘酸っぱい恋愛の心情ではなく、より肉体的でアダルトな内容です。井原西鶴は40歳を過ぎたタイミングで処女作となる「好色一代男」を発表します。後に江戸で出版される際には挿絵を菱川師宣が担当しています。庶民の姿や生活を、色事を通じてざっくばらんに描いたこの作品は大流行することになります。色事を含む物語はこのときから仮名草子ではなく、浮世草子と呼ぶことになるのです。4年後には「好色五人女」という作品も出版しますが、こちらは一途な女性の恋の行方の物語になっています。

好色系の作品は内容がなかなか過激なために、井原西鶴の作品として試験などに出題される傾向が強いのは「日本永代蔵」や「世間胸算用」といった町人の生活を描いた作品でしょう。これまでの日本の文化では、皇族・貴族・武士らが中心でしたが、ついに「庶民が主役」となる文化が訪れたのです。さらに井原西鶴の作品は後世の作家、太宰治などに絶大な影響を与えることになります。

俳諧の松尾芭蕉)
井原西鶴と並ぶ元禄文化の顔といったら、俳諧師の「松尾芭蕉」でしょう。日本史上最高の俳諧師とされ、「俳聖」と呼ばれています。盛唐の頃の漢詩で有名な李白や杜甫のようですね。李白は「詩仙」と呼ばれ、杜甫は「詩聖」と呼ばれていました。
ちなみに井原西鶴も俳諧師としての一面がありました。松尾芭蕉と井原西鶴は没年がほぼ同じですが、生まれは松尾芭蕉の方が20年ほど後になります。井原西鶴は大阪、松尾芭蕉は三重の出身です。まさに上方文化の代表です。松尾芭蕉は江戸に下り生活していましたが、1689年に江戸を立ち、東北・北陸各地を旅して「おくのほそ道」という紀行文を完成させています。おくのほそ道で紹介されている代表的な俳諧として、岩手県の平泉で詠んだ「夏草や兵どもが夢の跡」、山形県では「閑さや岩にしみ入る蝉の聲」や「五月雨をあつめて早し最上川」などが有名です。

浮世絵の菱川師宣)
「浮世絵」で有名なのが「菱川師宣」です。浮世絵とは大和絵によって描かれた風俗画になります。そのため対象が歌舞伎や遊女であることが多いのです。話で当時の風俗を伝えるのが「浮世草子」であり、絵で表現したものが「浮世絵」になります。実際に菱川師宣は浮世草子の挿絵を何度も手掛けています。井原西鶴の好色一代男の挿絵も担当しています。かなり濃厚な官能的作品でしたが、当時は大流行したようです。
そんな中でも比較的おとなしめの作品である「見返り美人図」が最も有名な作品となっています。また「歌舞伎図屏風」は重要文化財に指定されています。どちらの作品も東京国立博物館に展示されています。浮世絵や浮世草子に代表されるように、元禄文化はやや開放的な雰囲気があった時代でもありました。そう考えると現代に近いのかもしれませんね。

人形浄瑠璃の近松門左衛門)
当時の町人の様子や心情を表現したのは浮世草子や浮世絵だけではありません。人形を使い、ミュージカル仕立てで公演した「人形浄瑠璃」も大ブームになっています。音を奏でるのには「三味線」が使われています。人形浄瑠璃といえばやはり「近松門左衛門」でしょう。福井県の出身の武士階級でしたが、父親が脱藩したし、京都に移り住んだといわれています。浄瑠璃では「時代物」と呼ばれる時代劇が好まれており、近松門左衛門は1685年に「出世景清」という時代物の作品を発表しています。平家滅亡後の物語です。そして1703年に有名な「曽根崎心中」を発表しました。こちらは時代物ではなく、当時の町人の物語になっています。時代物に対して「世話物」と呼ばれることになります。近松門左衛門の所属する大阪の竹本座は大いに賑わい、人形浄瑠璃が歌舞伎をしのぐ人気を誇ったこともあったようです。

歌舞伎、狂言、能)
元禄文化時期の将軍・徳川綱吉は、論語とともに、猿楽から発展した「能」「狂言」をこよなく愛したといわれています。江戸城では能楽を催し、自分自身が舞うこともあったそうです。能や狂言の要素も吸収しつつ発展していったのが「歌舞伎」になります。歌や舞いだけでなく、演劇としてストーリー仕立てにしたことも庶民に受け入れられた要因でした。庶民の絶大な支持のもと、上方だけでなく江戸でも歌舞伎は大流行していきます。

その他の建築や教育について)
当時の高級住宅は、書院造と茶室が混じりあった「数寄屋造」の屋敷になります。有名なところでは皇室所有財産である京都の「桂離宮」があります。他にも京都の「修学院離宮」が有名です。こちらも皇室の所有財産です。教育の世界では数学が進歩しています。算聖と呼ばれる「関孝和」の登場です。関孝和は円周率を求めたり、微分法や積分法なども自ら編み出しました。世界的に見ても関孝和の数学は最先端であったと考えられています。
町人の教育水準も上がっていったのがこの時代からになります。農村地域においても「寺子屋」が設置され、庶民に詩や書、算盤などを教えています。日本全体に教育が浸透していきました。


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[1] 江戸時代、上方の町人が中心となって盛り上がった元禄文化とは: https://koumu.in/articles/508

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