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表に出ることなく、裏で日本を操ってきた秦氏

秦氏が日本に渡来してきた経緯については諸説があります。 秦が滅び亡命してきたという説をはじめ、万里の長城建設等の苦役に耐えられず、秦韓に落ち延びた後、日本へ亡命してきたという説、秦の末裔を名乗ることで異国において優遇されようと目論んだという説など、秦氏の出自については枚挙にいとまがありません。

また、新撰姓氏録では秦氏の出自が秦始皇帝に由来していることが明記されています。その信憑性には疑問が残るも、可能性については留意する必要がありそうです。日本の歴史において重要な役割を果たしてきた秦氏ですが、中国の文献においても、不思議とその出自に関する記述を殆ど見出すことができません。秦の末裔というのが本当なら、中国にも秦氏の出自に関する記述が残されているはずですが、皆無に等しいのです。

秦氏は如何にして、都の造営に携わるほどの政治・経済力を携えてアジア大陸を横断し日本に辿り着いたのでしょうか? その高貴な文化と芸術的な感性、そして特異な宗教的背景を振り返る限り、秦氏は元来、高貴な王族級の民族の出であることに違いありません。

秦氏の出自については、これまでるいネットで多数投稿されてきました。 今回はその一部を紹介します。

【秦氏=忍者=諜報組織⇒日本の産業界を支配してきた】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=335027 [1]

秦氏は常に歴史の裏方で活躍してきた。彼らがいなければ、今日の日本はありえず、伝統文化も存在しえなかった。忍者と財閥、このふたつを握ることで、秦氏は日本の歴史を裏で動かしてきたといってもいい。

<忍者と秦氏> ・忍者の歴史は古い。文献に残る忍者の初見は聖徳太子が組織したという「志能備」、もしくは「志能使」と表記される組織である。『日本書紀』によると、「大伴細人」なるをもって志能備の任に当たらせたとある。大伴氏は物部氏と並ぶ古代豪族のひとつ。軍事的な力をもっていた。軍事の基本は情報であり、インテリジェンスである。その意味で、大伴氏が諜報活動を行ったという記述は十分、信頼性のあるものだが、忍者の歴史を俯瞰するに、実際の任務を担ったのは、実は秦氏であることが見てとれる

【徐福と秦氏】http://bbs.jinruisi.net/blog/2018/08/3172.html [2]

縄文後期~弥生時代(紀元前五世紀中頃から三世紀中頃まで)に掛けて「伊韓(唐)島の周辺と五島列島、壱岐・対馬を含んだ地域で発達した」と言われる太平洋・インド洋を繋げた大航海の伝承と航海技術の伝承が有り、秦の始皇帝時代(紀元前二百二十年頃)に中国沿岸部に、「海人族」として倭人(ワィ)と呼ばれる部族が存在した。

徐福伝説において始皇帝は、不老不死を求めて方士の徐福に「東にある」と言う蓬莱の国(日本列島の事と推測されている)へ行き、「仙人を連れて来るように命じた」とされている。 この徐福の航海を可能にしたのが、中国沿岸部に居住していた倭人(ワィ)と呼ばれる部族(海人族)が持つ大航海技術だったのである。 この徐福伝説の徐福が日本列島へ住み着いた征服部族、「秦氏」の先祖と言われて居る。

【 秦氏とユダヤ王族の関係】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=334596 [3]

日本書紀には、弓月君(ユヅキノキミ)が3世紀末、朝鮮半島より渡来したことが秦氏の基であると記されています。当時、中央アジアには、弓月部族が元来居住していたと考えられる弓月国が存在しました。そこはイスラエルの祖先の地からも近く、布教も熱心に行われた結果、景教の一大拠点ともなり、シルクロードの通過点として最終的に日本の奈良まで繋がることとなります秦氏が景教の信奉者であることからしても、弓月君の故郷が、この中央アジア近辺にあった可能性は極めて高いと考えられます。

つまり、秦氏のルーツは中央アジア方面まで遡ることがわかります。そして景教の信奉者として全国各地に神社を建立し、さらにエルサレムの都に倣って平安京の造営に大きく貢献したことからしても、秦氏は中央アジアからさらに西に存在するイスラエル国のユダヤ王系でなければ成し得ないと考えられるのです。

【八咫烏と山窩と秦氏、三つ巴の闘い】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=334241 [4]

現在の日本は、1000年以上も前に日本を統一した“大和朝廷”の流れを汲んでいますが、この大和朝廷による統治を受け入れず、その支配を逃れて山野に隠れた「海人(出雲)の国」の人々が中心である“サンガ”は、現在までも大和朝廷(現在の日本)に敵対し、隙があれば常に国家転覆を画策していました。

そして、大和朝廷に敵対する者たちから天皇家を守る裏の存在として組織されたのが“闇の八咫烏”と呼ばれる人々の存在であり、両者は歴史の主要な舞台で1000年を超える争いを続けています。

また、大和朝廷に敢えて逆らう事をせずに、人知れず大和朝廷に融け込み、気配を絶っていったのが、いわゆるユダヤの外来系の“フリーメーソン”の人々であり、彼らの源流は近代ではなく、1000年以上も前の“倭国”の“秦氏”で、明治維新の裏舞台には、この3つの組織による権力闘争があったようです。

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