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海賊の本質とはなにか? 「生き抜く事」と「自由」~村上水軍の教えより

Posted By tanog On 2020年4月30日 @ 8:54 PM In ⅩⅠエトセトラ(その他諸々) | 1 Comment

日本は海の民であり、その歴史においては海賊が中心の時代もあった。

日本の歴史が海と深い関係を持ち、そして歴史をつくってきたのが「海賊」だったとも言われている。
https://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-33712-8 [1]

村上海賊は日本遺産として歴史資産となっている。
現在奥の院を研究する中で、海賊の考え方や思考が追求対象となっている
奥の院はコロナを仕掛け、コロナ後の世界にこれまでの金や地位を共認する私権社会から脱する新しい価値観、世界を生み出そうとしている。その為に現在の金融制度を一旦無効にし、ベーシックインカムで全国民に一人当たり月30万を配布して生活保障し、仕事とは何か、生きるとは何かを突き付ける追求型社会を提起しようとしている。奥の院がなぜそのような発想を持ったのか?海賊に同化する必要がある。

同じようにかつては日本も海賊社会だった。海賊が一番求めたのは何か?
それは奥の院も村上海賊も同じだった可能性がある。少なくとも陸を支配、私有する 土地という観念は持ち合わせていない。
最も守りたかったのは何か。・・・「生き抜く事」と「自由」であった。
せとうちタイムズ [2]より紹介します。

★海の民が守るもの
土地を持たない海賊たちは、何を守るというのだろう。海賊行為、それは海の民が貧しさの中で、どうにかして生きようとした結果である。そう、彼らが守るのは「生きる」こと、「命」である。命を懸けて命を守るのである朝廷が海賊で海賊を退治しようとしたときも、遣わされた側の海賊も、相手の海賊たちが何としても生きようとしていたことを、痛いほど分かっていた。だからお互いを傷つけることはしなかった。

そして彼らが守るべきもう1つのもの、それは「自由」である。自由な海で生きるためには、自由でなければならない。陸からの支配で縛られては生きられないのだ。自由民である彼らには、主従関係における忠節なんていらない。海で生き、島で暮らすのだから、土地なんていらない。だから「一所懸命」「御恩と奉公」なんて言葉など、彼らの辞書にはない。海賊が自由である限り、陸が海賊を支配することはできない。そこで政治が考えついたことは、日本の生命線、重要航路である瀬戸内海を海賊に守らせることだった。そして海賊は「水軍」、「警固衆」となっていく。そうして時は流れ、戦国の世に移る。この動乱の時代こそ、海賊の最盛期である。 

★★★★★村上水軍には5つの教えがあった。

一番目の教えについて
「けんか」。これは海賊には禁物である。なぜか。船の上だからである。船板一枚の向こうは海。そう、潮流の向きが変わりやすく、流れが速く、複雑な地形の、あの瀬戸内海である。考えたくもないことだが、海に投げ出されてしまえば、すぐに波にさらわれ、岩に体を叩きつける。船の上で行動しているので、一人でも欠ければ大損害だ。水夫が一人いないだけでも船は走らない。また、いさかいごとに気をとられてしまったばかりに、仕事がおろそかになった時も、船は上手く前に進まないだろう。船が運航できなくなれば最後、乗組員全員の命が危ない。
陸でけんかして、すっころんだぐらいでは、死にはしないし、地面がひっくり返るわけでもない。しかし、海では少しの油断が命取りになる。「皆一つの思いをなし」と、おきての最初に挙げられているのも、当然と言える。

二番目の教えについて
「制法の巻」の他の項では、船内での「もてなし(接待)・酒宴・ばくち・音曲(音楽)・高声(大声で叫ぶ)」も「無作法」なことである、という。カリブ海などの海賊を描いた絵画を見ると、船の上で酒におぼれ、浮かれている海賊を描いたものが幾つかある。日本の海賊の考えでは、信じられないようなことである。日本の海賊はまた、領国内外での無意味な争いや、傷つけ合いを好まなかった。彼らは、海で気高く生きる者として、無作法で道理をわきまえない行為を嫌う、高潔な人々である。

・四番目の教えについて
「合印(あいじるし)」とは、敵と味方を区別するためのしるしで、袖などにつけておくものだ。ではなぜ合印や合いことばを忘れたら切り捨てられ、用事もないのに船の中を歩き回ったら切腹なのだろうか。これもまた、海だから、つまり船だから、である。船という限られた場所の中で、一人でも裏切り者がいると、乗組員が全滅してしまうおそれがある。だから、敵と味方を区別するための合印をつけていなかったり、味方なら知っているはずの合ことばが言えなかったりすれば、敵や裏切り者と見なされ、味方と分かっていても斬られるのだ。
「厳しすぎる……」と思うだろう。その通り、厳しいのだ。しかし、船という限られた場所、海という危険な場所で、乗組員全員の命と結束を守るためには、これほどの規則が必要なのだ。

五番目の教えについて
『合武三島流船戦要法』「二十一 船考雑事の巻」の「兵士心持ちのこと」の項にも、「兵士は、自分一人だけの高名(武功、てがら)をあげようとしてはならず」とある。海賊は抜け駆けや、自分一人が手柄を立てたような話を嫌う。これもまたまた、海だから、である。何度も述べたように、海賊はチームワークが何よりも大切なのである。一人で手柄を上げようなどと考える自分勝手な者は、チームワークの邪魔になる上に、水軍全体を危機に陥れることもあるので、厳しく罰せられるのだ。これは陸の武士には当てはまらない。武士は、手柄を上げ、出世するためには、我先にと抜け駆けすることもいとわない。海の民を理解するためには、いったん陸の考えは忘れたほうがいいかもしれない。そうは言っても、やはり海でも、よい働きをした者には、それ相応の評価をされるべきである。そのためにいるのが、検使である


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[2] せとうちタイムズ: http://0845.boo.jp/times/archives/001216.shtml

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