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梅棹忠夫の文明の生態史観に学ぶ

Posted By tanog On 2019年12月5日 @ 9:43 PM In ⅩⅠエトセトラ(その他諸々) | No Comments

梅棹氏は1920年~2010年に生を成した歴史学の巨人、独自の歴史観を持つフィールド学者である。梅棹氏は30台半ばで生態史観というフィールドを作った。この史観を見ながら、梅棹氏の視点を今一度このブログでも紹介してみたい。この視点は1957年に書かれているが斬新で未だに色あせていない。~「文明の生態史観」より

まず生態史観であるが、著書の前書(白石隆氏)には以下のように表現されている。

>「梅棹氏の大きな特徴はその生態学的思考にある。これはかれがもともと自然科学の出身であり、「地球を自然の体系」として見る、そういう意味で「地球科学」を考える事からすれば、おそらくごく自然な事であろう。しかし梅棹氏の生態学的思考には実はふたつの違った特徴がある。

ひとつは、文明を考える際に生態系をその基礎において考えるということばの本来の意味での生態学的思考である。たとえば、かればモンゴルのフィールド調査の経験から、乾燥地での有蹄類動物を手に入れたときに遊牧というものが成立したと考え、牧畜と農耕はそれぞれの気候に適応したものと捉える。その基本には杉田繁治が見事に指摘する通り、「人間は人間=自然系としての生態系から、人間=装置系としての文明系に進化してきた、その移行は連続的であり、現代文明といえども多分に生態的要素を残している」という事がある。

もひとつは、梅棹の生態学的思考において特徴的なことは、かれが文明を生態の比喩で捉えるという事である。その格好の例が「文明の生態史観」であり、そこでは文明が生態系における「遷移」(サクセッション)の比喩において捉えられている。(中略)まったく新しい環境に草が生え、潅木林に変わり、やがてそれが喬木林に変わっていくのが遷移であり、このようなまったく何もない状態から撹乱のない状態で進む遷移を一次遷移といい、一次遷移の進んでいる途中に何らかの撹乱(伐採や火入れなど)によって遷移がやり直しになり、撹乱の時点から新しい遷移がはじまる時、これを2次遷移という。文明の生態史観における第1地域と第2地域はこの一次遷移に対応する。

※1次地域の国とは日本、イタリア、フランス、イギリス、ドイツであり、第2次地域の国とは中国であり、ロシアでありインド、トルコ、ビザンチン、イスラム圏国家群、モンゴル、と氏は定義されている。

梅棹氏は日本の近代化を以下のように捉えていた。

>日本の近代化は西洋によってもたらされたものではない。日本文明は独自に、現在文明に到達したのだ、という事になればごくあたりまえのことながら、さてそれでは現代日本の基本的デザインはいつ、いかにして形成されたのか、が問題となる。(中略)かれはほとんどいつでも江戸時代にさかのぼる。言うまでもなく江戸時代に日本文明の基本的デザインが形成されたと考えるからである。梅貞によれば江戸時代、18世紀末から19世紀初めの時期に「すでに日本は、近代化にむかってのさまざまな胎動がみられた」のだった。土地開発が進展し、各地に手工業的工業群が現れ、交通通信のネットワークが整備され、教育が普及した。こうして江戸時代には徳川幕府体制の枠内で「前近代的な要素」を残しながらも、しかし全体としては日本はもう近代の玄関口まできていた。つまり、近代日本は、普通考えられているように明治維新とともに始まったのではなく、はやくも16世紀末に始まったのである。

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歴史の必然を自然の摂理と同じ目線で見直したという梅貞氏のアプローチはユニークで秀逸。
その後なぜ乾燥地で破壊的な歴史が始まったかとか、封建制はこの第一地帯に現れたなど独自の理論を展開する。紙面の都合と私の解釈がまだ追いついていないのでそれらの解説は次回以降にさせていただくが、なかなかワクワクする史観である。


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