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アジア「第4の原人」は数万年まで生存していた→滅亡の原因は同類圧力。ここから我々が学ぶこと。

100万年前~200万年前に誕生した「原人」は数万年前まで生き続けていた。100万年間生き続けた原人はなぜ滅亡したのか。ここから我々が学ぶことは何か。以下、1月28日付、日経新聞より引用です。

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国立科学博物館や台湾自然科学博物館などの国際チームが、台湾西方沖の海底で19万年前から数万年前とみられる原人の下顎の化石を見つけた。中国の北京原人やインドネシアのジャワ原人よりも顎の骨や歯が大きく、2003年にインドネシアで化石が発見されたフローレス原人とも特徴が違った。

アジアにおける「第4の原人」の可能性が高いという。成果は英科学誌ネイチャーコミュニケーションズに28日に掲載される。化石は台湾本島と膨湖諸島の間の海底から漁師が引き上げた網ににかかり、研究チームが09年にヒトの化石と確認、「膨湖人」と名づけて10年から本格的な調査を始めた。

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下顎の化石に含まれるナトリウムやフッ素の量から年代を推定した。発見された海底では、これまでにもゾウやハイエナなど、陸上に生息する動物の化石が数多く見つかっている。300万年~1万年前の氷河期には、台湾は中国と地続きで森林が広がっていたとみられる。

北に1000キロほど離れた中国の安徽省和県では1980年代、和県人と呼ぶ原人の化石が見つかっており、特徴が似ているという。国立科学博物館の海部陽介人類史研究グループ長は「和県人と膨湖人はアジアにおける第4の原人と考えてよいだろう」と話している。

======(以上、1月28日付日経新聞より)===========

原人というのは。100万年~200万年単位の遥か過去に存在した人類とかつては考られていたと思います。しかし、インドネシアで2003年に発見されたフローレス原人は1万年前まで生息していたとされ、また、今回のの台湾の原人も数万年前まで生息していた可能性が高いとのこと。

これからも、新たに発見される化石によって、フローレス原人や台湾原人が例外的な存在でなく、原人はかなり最近まで生き延びていたことが明らかにされていくと思われます。

原人から、旧人、新人へと段階的に徐々に外圧に対応して進化してきたと考えていましたが、そのイメージが大きく書き換えられたと感じています。100万年単位で、氷河期を生き延びてきた原人が数万年前に滅亡したということは、その原因はおそらく同類圧力であると思われます。原人は、知能をより発達させた旧人や新人の誕生によって生存域を縮小し滅亡していったと考えるしかないように思います。

もちろん、直接的な戦闘が頻発したとは考えませんが、旧人や新人がもっている狩の道具などさまざまな利器、実際の行動の様子をみて、原人たちは避けるように生存域を縮小して行くしかなかったのではないか。100万年間生き続けた原人の滅亡原因は他には考えにくいと思われます。

翻って現代。現代も人類は漠然と進化して行くわけではない。西洋の時代から、東洋の時代へと転換中であるといわれますが、地球に生き続ける文明としてどのような文明が適しているのか、そういう同類圧力の真っ只中にある。そのような圧力を通して進化していく。そのように考えずにはいられません。

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