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司馬遼太郎に学ぶ同化力

こんにちわちわわです。
司馬遼太郎の写真 [1]歴史に興味をお持ちのブログ読者のみなさん。歴史小説といえば、司馬遼太郎を連想される方は多いでしょう。
私も「梟の城」に始まり、大河ドラマで「風神の門」や「花神」などを見て育った熱烈な司馬遼太郎ファンのひとりです。
現在でも愛読される、その作風の秘密はどこにあるのでしょうか?
今回はその秘密に肉薄しようと思います。

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司馬遼太郎とは、「司馬遷に遥かに及ばざる日本の者」

本名は福田定一。大阪市生まれ(1923年(大正12年)8月7日~1996年(平成8年)2月12日)。
筆者の名前は「司馬遷に遥かに及ばざる日本の者(太郎)」という意味を込めて命名されました。

司馬遷は中国の「史記」の編纂者であり、「史記」は、徹底した文献調査、現地調査、現地でのヒアリングを基に極めて正確に史実を綴った、世界でも類を見ない国史として位置づけられています。
司馬遼太郎も、この司馬遷にならい、膨大な文献調査と、現地調査、現地ヒアリングを基に、ノンフィクションでありながら、出来る限り史実に忠実に小説を展開しています。
1作を書き上げるために、買い集める書物は数千万円にのぼり、作品を執筆する前に、古本屋にトラックで乗りつけ、関連する書物を片っ端から購入していき、去った後は古本屋に本がほとんど残らないそうです。

また、現地に何度も足を運び、その情景を瞼に焼付け、物語に挿入される風景は、あたかも読者がそこに立ったような鮮明な感覚を呼び起こさせます。

司馬遼太郎の作風の魅力

評論家に言わせると、司馬遼太郎の長編小説はストーリー性に乏しく、決して他の歴史小説作家と比べて上手でないとされています。
しばしば出てくる「余談だが・・・」のくだりは、司馬遼太郎小説の特徴でもありますが、ストーリーの筋からはずれ、先に触れた文献の紹介や現地の雑感が語られ、のらりくらり感を感じる事も事実です。

しかし、この余談に語られる文献や雑感の中から、当時の情景や登場人物の想いが彷彿され、読者がその風景や、当時の時代状況、そして主人公の想いに同化していけるようになるのです。

物語は、こうした余談に包まれ、出来事が淡々と語られ、作品によっては、山を迎えることなく、主人公の一生の終わりと同時に幕を閉じます。
そこには、決して筆者の主張が存在するわけでもなく、情報を基に復元しうる史実の描写に徹しているともいえます。

この客観性こそが、歴史小説を超える「史実書」としての色彩を帯びた「司馬史観」といわれる正体なのだと思います。

生家の隣に佇む「司馬遼太郎記念館」

東大阪の小阪の地に没前の司馬良太郎の生家があり、その隣に司馬遼太郎記念館が建てられています。

司馬遼太郎記念館本 [2]

 

 

 

 

館長・上村洋行氏のによると、
「来館者が司馬さんを感じ、何かを考える空間、何度も訪れたくなる記念館にしたかった。」
と語るように、高さ11mにも及ぶ壮大な書架に並べられた2万冊の本に圧倒されます。

司馬遼太郎の人生は、まさに読書そのものだったことを、この記念館は訴えかけています。

また、司馬遼太郎は山登りを好み、制覇した山の数は数え切れないほどだといわれています。
自然の木々や雑草を好み、生家の庭や記念館に植えられている植物も飾られた木々ではなく、自然の雑木が植えられています。

本への同化、自然への同化が司馬遼太郎の作風を生み出しているのでしょう。

徹底した事実追究が人々の心を打つ時代。

これまで述べてきたように、司馬遼太郎の魅力は、徹底した文献調査による事実追究と、現地調査に基づく原風景の描写にあります。

司馬遼太郎は、自らが、過去の人物、情景に同化し、主張を押し殺し、全ての意思を登場人物に委ね、それを作品に転写することで、読者はその主人公に成りきることが出来、感動を覚えるのです。

現在のように先が見えない時代、これから何をすべきかを洞察する上で、歴史の探索は非常に重要な意味を持ちます。
それは徹底した事実追究の姿勢であり、

歴史に学び、先人の知恵に学ぶ

ことが、これからの時代を切り開く思考の基礎となるのです。
司馬良太郎の思考過程は、その実現思考の一つのスタンスとして参考になるでしょう。

 

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