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教科書「日本史」への提言4~宗教とは人類史にとって何だったのか?

教科書シリーズでは前回記事で文明について扱いました。

今回は帝国書院の「中学の歴史」で文明の次に掲載された宗教についてです。

この文明と宗教、切っても切れない関係にあり、宗教とは文明社会の登場に歩を併せて登場しました。今日はこの宗教について、現在の教科書はどう表現されており、その表現の何が問題なのか、実際に宗教とは人間社会にとってどういう位置にあるのか?を扱ってみたいと思います。

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まずは教科書の記述から読んでみてください。

【宗教の誕生と広まり】

仏教、キリスト教、イスラム教は現在でも国家や民族をこえて世界的な規模で信仰されています。これらの宗教は各地域で広い領土を持つ国家が発展して行く過程で生まれました

大きな国家ではその領土に異なる習慣や考え方をもった民族が暮らしており、また人々の間に貧富の差もありました。宗教はさまざまな人々が心の支えを求めるなかで誕生し、広まっていったのです

インドでは紀元前6世紀ごろ、シャカが神官(バラモン)を最高位とするきびしい身分制度を批判し、仏教を説きました。仏教では人はみな平等であり、さとりを開いて仏陀となればだれでも苦しみから救われると説いています。仏教は紀元前4世紀頃から紀元7世紀ごろまで、国家の保護のもとで栄え、さらに東南アジアやシルクロードを通って中国・朝鮮・日本へと伝えられました。やがてインドでは仏教が国家の保護を失っておとろえ、かわりに民衆の日常生活や祭式と結びついていたヒンズー教が発展していきました

パレスチナ地方では古くからユダヤ人だけが神によって救われると説くユダヤ教が信仰されていました。紀元前後の頃、ローマ帝国に支配されていたパレスチナにイエスが現れ、ユダヤ教の指導者を批判し、神の前ではみな平等であり、神を信じるものはだれでも救われると説きました。その弟子達は、初めローマ帝国に迫害されますが、教会や新約聖書を整えて、キリスト教の布教を進めました。4世紀末には、キリスト教はローマ帝国に保護され、やがて、ヨーロッパの人々の精神的な支えとして発展していきました

(イスラム教の項目については省略)

教科書が示しているのは以下の事です。

「宗教とは国家誕生と同時に登場し、国家が保護して拡がる。宗教は(悪しき慣習である)身分制度を否定し、人は(神の前で)平等と説くことで人民の精神的支えとして発展していく。」

大きく言えば教科書の宗教に対する見方はこういうメッセージです。

宗教よさそう。しかし宗教とは一体何なのか はさっぱり見えてきません。

実際には宗教がもたらした争い、戦争といった負の側面は歴史的に多々ありました。特に一神教が栄える過程で対立する宗教を否定し、戦争が繰り返される宗教の本質には教科書は触れていません。また、宗教は国家が保護した側面は歴史的にありましたが、それは逆の見方をすれば国家という権力体と宗教という構造が同一構造であることも示しています。

★★私たちはこのブログやるいネットで固定観念を取り払い、事実を追求するというスタンスで宗教というものを見てきましたが、教科書を書き換えるとしたら以下のようになっていきます。

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「仏教、キリスト教、イスラム教は現在でも国家や民族をこえて世界的な規模で信仰されています。これらの宗教は各地域で広い領土を持つ武力で制覇する帝国国家が誕生していく過程で生まれてきました。西洋でのユダヤ教、東洋での儒教、インドでの仏教はいずれも2600年前に同時に作られ、その時期は各地で急激な寒冷期に食料を争い、小さな国家が戦争によって争い巨大帝国にまとまっていく時代でした。その過程で支配者は大衆や奴隷を統合する為の論理を求め、また支配される側の大衆は生活拠点となる共同体を失いバラバラの個人に解体された上、奴隷として扱われた為、苦しみ、生きる希望を失いました。

宗教はそれらの人々に現実世界とは別の架空世界を与え、せめてもの心の安定を与える事の為に登場しました

共同体が解体され、奴隷化の度合いの大きい西洋や中東はユダヤ、キリスト、イスラムといった一神教へ、まだ共同体が残存しているインドや中国は仏教や儒教といった多神教が残りました。しかし程度の差こそあれ、2600年前に登場した人が人を支配する社会=厳しい現実に対して何らかの手ほどきが必要だったのです。

ここで重要な事は宗教によって人々は耐えられない現実の中で、心の安定を保ったとも言えますし、一方で支配者側からすれば、現実直視させない事により、自らの立場を正当化し、大衆の反乱を抑止したとも言えます。

 

2600年前、こうして宗教は国家=私権社会と同時に登場したのです。

従って宗教には2面性があります。ひとつは皆さんの知っている表の部分です。これは平等や博愛、この世、あの世といった概念で括られますが、誰もがその言葉を受け入れるのに抵抗の少ない観念です。しかし現実には平等は無く、博愛もされませんこの頭の中だけの観念で統合されるという手法は後の近代思想にも受け継がれていきます。それが恋愛や自由といった架空観念です。永遠の恋愛や万人が自由などは現実にはありません。しかしそれを金科玉条の言葉として誰もが用い、誰もが目指す事で支配観念となっていくのです。

もう一つの側面が宗教が持つ裏の部分で、他者否定です。特に一神教の宗教に顕著ですが、「信じるものは救われる」として他宗教の考えを認めず、他宗教の国家や人々を否定し、攻撃します。古代国家が戦争に宗教を用い、聖戦として多くの血を流しましたが、その結果侵略を成し遂げ、侵略した国民に自国の宗教を押し付けます。これが10世紀から始まる十字軍戦争であり、今でも繰り広げられる中東戦争です。しかしそれらの戦争を引き起こす国家側の意図は宗教を拡げる事ではなく、国土拡大にあった事は歴史を振り返れば自明の事でしょう。」

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いかがでしょうか?

誰もが正しいと信じ、これだけの長きに渡って拡大してきた宗教の本質とは私権社会の裏の側面であったという事です。現在、この私権社会は先進国での貧困の消滅と共に綻びを初め、既に武力や経済力、圧倒的な支配の力とそれを補う宗教では人々の意識は統合できなくなってきています。これからは、架空観念である宗教や近代思想に変わって、現実世界=事実そのものを対象化する新しい統合観念、事実を捉える為の科学認識、歴史構造認識が必要になってきます。

教科書でそれらをどのように伝え教えていくかは国の教育政策ともバッティングして直ぐには進まないのでしょうが、せめて宗教は現実否定の架空観念であること、これからの時代は現実を直視して事実を追求する時代であること、この2つだけは教えていただきたいものと思い、提言します。(by tano)

参考記事↓↓↓

2600年前ほぼ同時に登場した社会統合観念=古代宗教 [2]

衝撃!近代思想(自由・平等)は架空観念だった [3]

宗教の認識論と近代思想 [4]

「2600年前頃、古代宗教・思想の世界同時成立期・・・・そして大転換期の現代」 [5]

私権の定義  [6]

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