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自考力の源流を歴史に学ぶ6~インタビュー:うどん職人 かわ平氏 に追求の原動力を学ぶ

Posted By shinichiro On 2013年12月27日 @ 11:42 PM In 未分類 | No Comments

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「大阪のうどんってこんなに旨いんですか!?レベルめっちゃ高いですね!」
東京から出張で来ていた後輩が驚いた表情で話す。
「いや、大阪のうどんは確かに東京とは違うけど、大阪のが特別うまいわけじゃない。あの店が別格だからだよ」と先輩が返す。食の味には煩い先輩だが、曰く、いままで食べたうどんで一番だとの事。確かに味は一品で、会社に近い事から同僚ともよく行く。社内でもファンがとても多い店だ。
新大阪から地下鉄御堂筋線で一駅、西中島南方にうどん屋「かわ平」がある。店頭に飾られている額には「今日のうどんに明日は勝つ」という文字。
以前、店主の方と少し話した時、店主の言った言葉が気になっていた。その時店主がおっしゃっていたのは「長年うどん屋をやっているけれど、これだ!というスープは月に2度くらいしか作れないんです」という言葉だ。
けして驕る事なく追及し続ける職人の姿勢が垣間見えるのだ。
シリーズ自考力の源流を職人に学ぶ。今回はうどん屋「かわ平」氏に直接インタビューをし、その飽くなき追求の原動力を探ってみたいと思います。
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N:「いつも美味しいうどんをありがとうございます。早速お聞きしたいのですが、かわ平さんはいつ頃からこのうどん屋をはじめたんですか?」
かわ平氏:「私のような者がインタビューを受けるなんてとても恐縮なのですが、お応えできる範囲で応えさせていただきます。この店をはじめたのは10年前です。その前は別のうどん屋に30年勤めておりました。働いていたうどん屋は創業当事は感動するほど美味しかったんです。けれども利益や効率化を優先するあまり、どんどん味が落ちてしまって・・・そんな中、決心をしまして独立しました。」
N:「そうだったんですね、うどん屋の以前は何をされていたんですか?」
かわ平氏:「私は15歳から働きはじめ、はじめは酒屋で丁稚をしていました。酒屋の後は、飲食店で勤めてフライパンを握っていた事もありました。そして、従兄弟がうどん屋を開業した事をきっかけに、うどんの道に入りました。」
N「独立してからも、うどん屋を続けようとした理由、うどんに関するエピソードがあればおしえてください」
かわ平氏:「うどん屋を続けようとしたのは、それしか出来なかったからというのが正直なところです。うどんに関するエピソードですか・・・。
私は愛媛の出身なんです。漁師町に住んでいたのですが食事は魚と穀物が半々で、あっ穀物と言ってもお米はほとんど食べられませんでした。麦とさつまいもがほとんどでしたね。麦も丸麦ってご存知ですか?冷えるとほんとに食べられたものじゃなかったですね。
そう、決して裕福な家ではありませんでした。そんな中、冬に数回だけ私の母が麦をひいて、手作りのうどんを作ってくれるんですね。
うどんは今のように漂白してありませんから黒っぽくて、スープも昆布や鰹などは贅沢なものでしたからそんなのは使えず、釣ってきた魚のダシをとって作ってくれるわけですが、これが本当に美味しくてうどんの日は家族が幸せな気分になったものです。あまりに美味しいものだから次の日にとってあるうどんを深夜にこっそり食べたりするのですが、それが母にばれてよく怒られたりしました(笑)
今話していてはじめて気が付きましたが「うどん」は私にとって特別なものだったのかもしれませんね」
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N:「なるほど~、かわ平さんにとって「うどん」は家族で過ごす少し贅沢で幸せなイメージがベースになっているのかもしれませんね。30年うどん屋の従業員をした後、独立されてからはどのような点に力を入れてきましたか?」
かわ平氏:「独立してからは、自分は何もできないという事に気づきました。従業員でやっていた頃はもちろん厨房にも立っていましたし、年齢がある程度いってくると厨房の指導担当でもあったのにですよ。従業員でやっていた頃はスープの配合も麺の配合も全部決まっていました。けれども自分が店を持つとはたしてそれがベストなのかもわからず、また全て自分でやらなくてはならないのです。本当に焦りました。けれどももう独立してしまったので、やるしかないというか・・・。」
N:「そうだったのですね30年働いていて何もできないと感じるとは驚きです・・・。分業に慣れてしまった僕らサラリーマンもきっと同じなのでしょうね・・・。何もできないと気づいた後はどのようにしていったのですか?」
かわ平氏:「思考錯誤の連続でした。うどんって比較的材料は多くないのですが、試す事は沢山ありました。小麦粉と言っても、実は何十種類もあるんですよ、スーパーで売っているのは一番下のランクで、上をみればきりがないほどランクがあって、さらに産地国によって味も風味も全然違うんです。それをブレンドして美味しいうどんに適した小麦粉を探していくんです。
また、ダシは昆布と鰹から取るんですが、昆布も全然味が違うんです。有名な北海道の利尻昆布は確かに美味しいダシが取れます。けれども高価すぎてとても街のうどん屋では料金が高くなりすぎるから使えないんです。ウチは利尻昆布の種を元に、四国で育てたものを使っています。これだと半額くらいで作れて味もいいんですよ。
温度や湿度も毎日違うものですから、自分で何度も試したり、仲間に聞いたりしながら配合を決めていきました。少しづつ味に自信が持ててきたのは開業してから3年経ったときですかね」
N:「そんな試行錯誤の連続だったのですね。何度も失敗を繰り返して、それでも続けて来れた原動力は何だったのか?日々力を入れている事は何か?をおしえてください」
かわ平氏:「一番気にするのは、やっぱりお客さんの反応ですね。お客さんの反応は正直一番怖いです。当たり前ですが、お客さんはその日の味がどうだったのかは直接おしえてくれません。味を変えた後、突然常連さんがぱったりこなくなったりします。その後、人伝えで味が落ちたなどの噂を聞くわけです。これが本当に怖い。
言い訳っていろいろできると思います、コストが合わないから材料を変えるとか、効率が悪いから手間を省くとか、けれどもお客さんだけはその言い訳は通用しないんです。
毎日、お客さんが残したものがあれば、どうしてだろうとか、スープを全部飲んでくれた時はどこが良かったんだろうとか、いつもあれこれ考えています。
あっ、続けてこれた原動力でしたね。私は「美味しいうどん」というのが、完全に頭にイメージとしてあるんです。それは40年前に勤めていたうどん屋ではじめた食べたうどん屋の味ですね。今はその店には無い味ですが、当時は本当に感動したものです。
できるだけ美味しいうどんを出したい。その美味しいうどんを「どう美味しいでしょ?」と心の中で言いながら、お客さんから「これは美味しいです!」って心の中で返ってくる感じがする時が一番嬉しいです。実際、美味しいとは口に出してくれるお客さんは少ないから、食べ方やスープの飲み方や表情を見るしか判断はできないのですが。でもやっぱり「美味しい」っていうのは伝わってきますね。
突き詰めれば「美味しいでしょ?」「美味しいです」「そうでしょ?」っていう共感がうどん屋を続けてこられた原動力ですね。
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うどん屋「かわ平」さん [1]

幼い頃にお母さんに作ってもらった美味しいうどん、そしてうどんを囲んで過ごした家族との充足した時間、そんな幼い頃の体験がうどんに対する肯定感を作り上げているように感じました。そして日々、できるだけ美味しいと思うものを作り、「美味しいでしょ?」「美味しいです」「そうでしょ?」というシンプルな人と人との充足の交換。そこで得られた充足感を、次の追求の原動力としておられました。
「これで終わり」という事はない飽くなき追求心に、どこか縄文人の気質をみたような感じがします。
かわ平さん、貴重なお話ありがとうございました。


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