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「個のない民、ケルトから学ぶ」2.宮崎駿が描く”森”とは

『多すぎる火は何も生みはせん 火は一日で森を灰にするが 水と風は100年かけて森を育てる』
『土に根を下ろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう。』
皆さん、この言葉をご存知ですか
スタジオジブリで有名な「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」の作品中に出てくる言葉です。
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こちらからお借りしました。                     こちらからお借りしました。
これ以外にもジブリ作品には、自然と共存し、敬愛していることが伺える言葉が多く、プロローグにもあったように、ジブリ作品、ケルトには、自然と人間が一体となった世界への敬愛。森や森の生き物に共感し、交流できたり、異界(人間社会)に入り込む森の人への共感する姿が見受けられたりします。
私たち縄文を追求するチームは今回、北ヨーロッパで栄えたケルトに注目しました。
宮崎駿は「もののけ姫」や「となりのトトロ」に代表されるように原生林や森の世界を題材に話を展開します。そしてその中で語られるのが上記のような自然の摂理、人と自然の関係なのです。
ケルトを調べる中で出てきたのが、その宮崎駿が初期に『ケルト文化に注目していた』という事です。
そう言えばいくつかの作品の中にケルトに因んだ北欧の街や自然のシーンがたくさん散りばめられています。縄文-宮崎駿-ケルト、この繋がりを探す事を今回のミッションにしていきます。それでは・・・ 😀


①ケルトと宮崎駿
原生林と人間との関係が宮崎氏のものづくりの原点にあるようですが、宮崎氏がケルトを描くようになったきっかけは70年代に上映された「みつばちのささやき」というスペインを舞台にした映画と言われています。
少しだけこの映画の中身を紹介します。主人公の少女が妖精に出会うシーンです。
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ブログ [2]より引用させて頂きます。
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アナは暗い森の中で精霊と出会う。 とても幻想的なシーンだ。
本来なら恐ろしい筈の場面だが、アナは全く恐怖を感じていない。 当然である。 彼女が出会ったのはモンスターではなく、精霊なのだから。 そして、ここでアナが精霊と出会ったということは、彼女がまだ子供の世界の住民であることを意味している。
この映画中、アナは最後まで子供の世界から抜け出すことは出来ない。 大人を信じられなくなり、最後のシーンでは、暗闇の中ひとり精霊に向かって語り掛ける。 しかしここでのアナからは、子供のか弱さのようなものは感じられない。 むしろ子供の世界のイノセントな力強さを体現しているような気がするのだ。 そしてそれは、映画を見ている殆ど全ての人が失ってしまったものなのだ…。

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ケルトは前述した記事 [3]でも描いたように北欧の深い森の中で育まれた文化です。
その環境は照葉樹と針葉樹という違いはあるものの、縄文と同様に豊かな自然の中で恵みを受けて生かされる文化でした。宮崎氏はケルトも日本も同じ地平(生まれ育った懐かしい田舎)として見ており、きっとこの映画を通じて日本以外にも自然の摂理の中で生かされている民が世界中に居ることを知ったのだと思います。
精霊の声を聞く能力は、大人になるにつれて失われてしまいますが、この森の声をアナという子供は聞く事ができました。しかし、宮崎氏はこの映画を通じて誰しもが物言わぬ自然の声を聞いたり感じたりできる潜在的な力を持っているという事を伝えたかったのだと思います。
②縄文と宮崎駿
宮崎氏は日本人が一番幸せだったのは縄文時代だったと語ります。
国家も戦争もなく、呪術めいた宗教もない、素朴なアニミズムがあるといいます。
確かに、縄文時代には戦争もなかったし、自然の恵みに感謝したり、山や樹木、森などを御神体として崇めたりしています。
日本人は自然に対して謙虚な姿勢で、あくまでも自然に生かされていると考えています。
また、縄文人の描いた、土器などによく見られる渦巻き模様は、生命観、死生観を表しています。
スタジオジブリ作品「もののけ姫」に登場するシシ神(ディダラボッチ)には体にこの渦巻き模様が描かれており、生命の授与と奪取を行う神とされています。新月に生まれ、月の満ち欠けと共に誕生と死を繰り返しています。この描写は、縄文と同じように渦巻き模様で、生命観、死生観を表しているといえます。
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こちら [4]からお借りしました。
このような宮崎氏の志向性はどこから生まれたのでしょう。
もののけ姫の作品から宮崎氏の本質を解説したブログ「もののけ姫を読み解く [5]」より、紹介させて頂きます。
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宮崎駿監督は70年代に中尾佐助氏の書いた「照葉樹林文化論」という著書に傾倒します。
中尾氏の学説に出会った事について宮崎氏は下記のように書いています。
「読み進むうちに、ぼくは自分の目が遥かな高みにひきあげられるのを感じた風が吹きぬけていく。国家の枠も、民族の壁も、歴史の重苦しさも足元に遠ざかり、照葉樹林の森の生命のいぶきが、モチや納豆のネバネバ好きの自分に流れ込んでくる。」(中略)。「ぼくに、ものの見方の出発点をこの本は与えてくれた。歴史についても、国土についても、国家についても、以前よりずっとわかるようになった。」
 宮崎氏は、この「照葉樹林文化論」に出会って、「人間と自然」という大テーマを語る際、「原生林と人間の関係」を描くことが最も根元的な問題と考えたのではないでしょうか。
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※照葉樹林文化論とは・・・海路も陸路もおぼつかない太古の昔、民族も国家も違い、交流も薄かった筈の地帯に見られる驚くべき共通点―、これを「照葉樹林文化」と名付けて体系化し、提唱したのが栽培植物学者の中尾佐助氏である。
中尾氏は、地道なフィールド・ワーク(現地調査)を重ねて、人間の食文化・農耕と原生植物の分布を関連づけ、その世界的な体系化を試みたのである。その結果、人類文明の傾向は原生植物に起因しているという驚異的な結論を導き出したのである。氏は自説の体系を「種から胃袋まで」と記している。
※森が人を育み民族を作るという論理体系、原生林に宮崎氏が注目した視点がここにあると思われます。
③縄文-宮崎駿-ケルトをつなぐもの
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屋久島の森 [6]                             ケルト(アイルランド)の森 [7]
「豊かな自然というのは同時にすごく凶暴な自然であるはずです。だから、人は自然に対して謙虚にもなるし豊かさについても十分知ると思うんですよ」(宮崎駿 「出発点」より)
宮崎氏はケルト-縄文を通じて森の中で人が生きる事で自然の循環や恵み、厳しさを学び、それが人の心を形成する上でかなり重要である事を伝えたかったのでしょう。
そしてそれは日本に限らず、世界中の至るところにあり、感じ取る機会は無数にあるのです。
だから、私たち人類は生かされているという謙虚さを失わないようにしなければ、大きな発見もできないし、大きな間違いにも気がつくことができないのです。
その感じ取る機会、今感じ取るべきものを宮崎氏は作品を通して、いつも伝えてくれているのだと思います。
現在でも宮崎アニメが、世界的にも老若男女から慕われ、映画を見た後に私たちの心の中に何か重要な事を残してくれたように思うのはそのような人間の本質的な原点から来ているのだと思いました。
宮崎駿の描いた“森”とは・・・森は人を生み出した源であり、その森からの言葉=精霊に同化し、自然の摂理を学びとっていくことによって、初めて私たち人間の社会は作られている、そんな事を伝えていると思います。
ケルトも縄文もそして私たち日本社会も・・・

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