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伽耶を知れば古代日本が見える7~抹消した朝鮮からの痕跡

みなさん、こんにちは
前回の記事では、現在の日本の中枢は百済系、伽耶系の権力闘争の結果に出来上がっている事を扱いました。
さて、今までのシリーズの中で、日本には、伽耶、百済の人々が次々と日本に渡来してきたことがわかりましたね。ですが、日本という新しい土地を得た彼らは、自分たちの国であった事柄を表に出してきていません。
みなさん、不思議だとは思いませんか 🙄
出さないどころか、よく見ていくとむしろ自分達の祖先の足跡を消してしまっているのです。なぜでしょうか 何らかの策略があったとしか思えませんよね。
今回はこの部分に焦点を当てて見ていきたいと思います。順番に消したものの内実を詳しく見ていきながら明らかにしていこうと思います
消えちゃった!?
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こちら [1]からお借りしました


【卵生神話を消した伽耶人】
最初に紹介するのは国産みの神話です。
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こちら [2]からお借りしました。
日本の国産み神話は天孫降臨で古事記の中で始めて世に登場しました。
天から降りてきたイザナギ、イザナミが婚姻関係を作り、島を産み落とし国土と子孫を作ります。その内の一人がアマテラスで天皇の直系にあたり、現人神です。
一方、朝鮮半島の国生み神話は全て卵生神話です。後に支配したフヨ族が天孫降臨を持ち込みますが、それでも卵生神話と天孫降臨の合体した形でそれぞれの国の神話が作られていきました。これは朝鮮半島の初期住民が江南系由来で、南方系の神話が定着したからです。
彼らが日本に来たわけですから当然卵生神話が基本になるはずですよね。
ところが、卵生神話を外した天孫降臨だけが神話として流布され、天皇制に繋がっていきます。卵生神話を出せば朝鮮由来の民族である事が明白になるため敢えて外したのでしょう。後の記事で明らかにしていきますが、祭祀だけを司る為の象徴天皇制は日本独自のシステムで、その為にこの神話が使われました。つまり天皇制を正当化する為に用いられた神話が朝鮮半島にはない純粋な天孫降臨神話なのです。
【苗字を消した渡来人】
次に考えられるのが、苗字です。日本には「葛城氏」「蘇我氏」「大伴氏」「藤原氏」など、渡来人は名前を変えて日本に定着します。日本に来れば日本名に変えるのは、当たり前のことのように思いますが、これも渡来人である事を消す為に取った行為の一つと見れば納得がいきますね。
【歴史を消した渡来人】
朝鮮出身だった人達にとって、母国の歴史は消したくはないはずです。ですが、朝鮮の歴史は日本での文献には驚くほど書かれていません。それも全て自分たちの素性を明かさないためでしょう。
しかし、正確な歴史は伝えていないのに、伽耶のことを少しだけ古事記や日本書紀に記しています。それも百済や新羅を悪く書いている事はあっても伽耶の事は良く書いています。これは隠しながらも、つい思わず書いてしまった母国への思いの表れでしょうか。
【日本語を学んだ?渡来人】
現在の朝鮮語と日本語は言語的に全く異なると言われています。文法こそ似通っていますが、単語も接続詞も発音体系も全く異なります。また、日本語は縄文時代から残り続けた言語である事は言われてきており、話し言葉では渡来系の影響をほとんど受けていない事を表しています。
この事から渡来人は日本に来て、在地の言葉を習い、使いこなしていったと思われます。
敢えて自国語を使わないようにしてまで出自を消したのです。まさに日本人になろうとしていたのです。
さて、以上のように4つの消した事実を積み上げてみました。いかがでしたか?
まだまだ他にもあるかもしれませんね。しかし侵略に近い形で渡来した彼らが、なぜここまでして痕跡を消したのでしょうか?
その理由は、古事記や日本書紀の中身にあるように思います。
古事記では天皇制ははるか縄文時代にまで遡ってあった事になっています。つまり彼らは最初から日本に居たことにしたいのです。渡来人が作った最大で壮大なウソというのは日本は自分達の祖国であり、自分たちは日本人であるという物語です。日本は最初に書いたように、朝鮮半島から様々な渡来人が500年も600年もかけて連続的に下ってきます。
渡来人のイメージです
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こちら [3]からお借りしました
そして後発の渡来人と先発の渡来人は少なからず国内でイザコザを起こし領地争いを繰返します。武力による力は拮抗していますから最後は土着の民を治めたほうが勝利します。これらを止揚する為に最も有効だったのが、先住、つまり日本人であるという事実です。
最も早くから日本に渡来していた伽耶人は後発の百済や新羅、高句麗の渡来人を抑える為、自らが先住であり、日本人である事を作り続けたのでしょう。
これは方法論に来た百済や高句麗にしても同様でした。
今考えると、結果的には、これら渡来人がとった方策は日本にとっては良い方向に繋がったかもしれません。古事記や日本書紀は日本の正しい歴史を伝える事はしていなかったかもしれませんが、逆に朝鮮半島由来の言葉や慣習による日本支配はまぬがれる事ができました。日本にこれほどの大量の渡来民が来ていながらも、その本質に縄文精神を残していけたのも、もしかすると、最初に来た伽耶人によるものかもしれませんね。

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