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始原の言語・日本語の可能性~(8)~自然と同化する母音語人~

始原の言語・日本語の可能性シリーズ第8弾です
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今回は、日本語が自然と対話する言語だとする記事を、お馴染み、黒川伊保子さんの著書『日本語はなぜ美しいのか』から紹介したいと思います。
驚くことに、子音語を話す人たちには、虫の音など、日本人が風物詩として大切にする音=自然が語りかけてくる音が聞こえないそうなのです

○自然と対話する母音語人、自然と対峙する子音語人
母音語の使い手は、自然とも融和する。
母音を言語脳で聴き取り、身体感覚に結び付けている日本人は、母音と音響波形の似ている自然音もまた言語脳で聴き取っている。いわば自然は、私たちの脳に”語りかけて”くるのである。当然、母音の親密感を、自然音にも感じている。
だから、私たちは、虫の音を歌声のように聞き、木の葉がカサコソいう音に癒しを感じ、サラサラ流れる小川に弾むような喜びを感じる。自然と融和し、対話しながら、私たちは生きてきたのだ。
母音を右脳で聞き流す脳は、自然音もまた聞き流す。彼らの脳に、自然は語りかけてはこない。おそらく、自然は、彼らに対して対峙しているはずである。そうであるならば、闘って支配するというスタンスのとり方しかありえないだろう。統制をとる、というかたちの調和しか思いつかないはずだ。

なるほど~
私が以前から不思議に思っていたのが、西洋の、自然の摂理に反した幾何学な庭園造り。
原因は、母音をどちらの脳で聞くかの違い、だったのですね。
(左が日本の庭園で、右側が西洋の庭園です)
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私は、以前から「自然保護」「地球を守る」という言い方には、どうも違和感があった。そもそも、地球は、人類が守るほど脆弱なものではない。生物が発生するずっと以前、塩酸溶液の海だった頃から、地球は地球なのである。生物の生存に適した地球を美しいと感じるのは、私たちの側の問題なのだ。
私には、「地球を守る」は、いかにも傲慢に聞こえる。人類が住みやすい地球でいていただく、が正解じゃないだろうか?「地球を守る」のではなく、「地球のご機嫌を損ねずに暮らす」のである。
日本人は、山に神を感じ、海に神を感じて生きてきた。「山を守る」「海を守る」なんていう傲慢な姿勢ではなく、「山のご機嫌を損ねないように」「海のご機嫌を損ねないように」生活していれば、山からも海からの裏切られないことを知っていたのだ。
結果、「自然保護」の暮らしだが、気持ちのスタンスは正反対だ。
自然保護などという傲慢な概念を持つ人々には、鯨を敬愛しつつ、泣きながら銛を打ち、だからこそ命を余すところなくいただく・・・・・という日本人の感覚は、理解しにくいはずである。
ないと思い込んでいる人たちに、あるということを理解させることは難しい。ないと思い込んでいる人たちが多数派ならば、あるという人たちは、不可解な不穏分子であり、性悪な嘘つきにされてしまう。
少数派にできることは、「腑に落ちないことには、首を縦に振らない」静かな姿勢を示すのみ。子音言語で牛耳られた「合議制のテーブル」なんか、うっかりつかないことだ。

日本語は自然と同化する言語なのですね
「るいネット」 [1]によると、子音言語の人と母音言語の人とでは、母音を処理する脳が違っていて、子音言語を話す人は母音(自然音)が右脳に送られる(情感・意味・意識・などの分析がされない)ので、虫などの自然音は聞こえないようなのです。
自然の声を聞き、自然を敬い、同化してきた日本人は、少しの不調和にも敏感です。
その感覚は機械に対しても同様で、日本人の生産技術の質の高さの秘密はここにありました。
同著から2例要約抜粋します。
ある精密機器の生産管理者の言葉。「光ファイバーの微細なコネクタを接着するとき、日本人は何も言わなくてもど真ん中にくるように接着する。欧米人は有効範囲ギリギリの接着をするので、どうしても耐久性は日本製の方が良くなる。」「欧米人は有効範囲に入っているのに注意される筋合いはない、と気にも留めないが、日本人に聞くと、真ん中が気持ちいいからそうしているというのだ。」
あるメーカーでは、日本とベルギーにまったく同じ生産ラインを持っているが、不良品の発生率が全然違う。その原因を調査した所、ベルギーでは生産機器のアラームが鳴ってからラインを止めるが、日本ではアラームが鳴る前に微かな異常に気付いてラインを止めるので、トラブルを未然に防ぐことができている。日本の工場ではアラームが鳴ったことがない。
この感覚、特に の、”一番耐性が良さそうと感じる場所に接着するのが気持ちいい”という感覚は、日本人なら誰しも感じるところですね
自然に対しても、機械に対しても同化しようとする感性は、母音を左脳で聴く日本人ならではだったこと、そしてそれが日本人の技術力を支えていたことは驚きです
さて次回ですが、始原の言語であったはずの、溶け合うような親密感で相手と融合する素晴らしい母音言語が、子音を多様する言語に変化していったのはなぜなのか?
そこを解明していきたいと思います

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