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次代の可能性をイスラムに学ぶ-7.~変わらないという強み、変わらないという弱み~

Posted By kumana On 2012年7月19日 @ 11:23 PM In Ⅵメソポタミア文明 | No Comments

1.共通の「神」を創れば皆兄弟
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先日、テレビで次のような光景を見ました。アフリカ人が、出稼ぎかなにかで色々な国から集まってきていました。それぞれが文化も宗教も違い、別々の神様を信仰し、お互いの関係は距離を置いて過ごしていました。ある人が、次のような提案をします。「みんなで同じ神様を信仰しよう。」そうして人形のような御神体が置かれます。すると、大きな変化が起きます。みなが「私の兄弟!」と云いながら、涙を流し抱き合うようになったのです。共通のものを信仰する仲間意識が警戒心を解き、安心基盤をつくったのです。宗教というものの重要な一面を目の当たりにした瞬間でした。
もしかしたら、彼らは日々対面で過ごしているので、いずれ気心が知れて、その共通の神の存在意義は薄れるかもしれません。しかし、これが対面を超えた社会という規模の場合、神の存在は不可欠であり、かつ、一部の者の都合で変更を加えることはできません。それは他者に対しての裏切りになるからです。
このようにして見ていくと、社会的な広がりをもつ宗教というものは、その内容は簡単には変えられないという必然構造を持っています。
当然、これはイスラム教ももっている特性のひとつです。とくにイスラム教は、日々の行動によって信仰心を反復して(確認して)いる状態です。これが、歴史を経ても変わらない安定構造をつくる一因となっています。


 
2.貧困を温存する自我・私権の抑制
 
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イスラム教は、私権 [1]闘争の激化により疲弊する格差社会の中で誕生し、社会的弱者(貧困層)に支持されて拡大します。そのあたりは他の宗教と同様です。しかし、イスラム教が他の宗教と違ったのは、元凶である私権闘争を抑制する仕組みを教えの中で固定したことにあります。金利商売のような不労所得の禁止や喜捨(≒税)の義務などです。これらにより私権(財)の過剰な蓄積・独占を抑制しています。それは同時に、近代的な市場経済への移行を制限し、私権追求の抑制と相まって貧しさを温存することになります。そのことによって喜捨に依存し、イスラム教に収束する社会が温存されるのです。
3.思考することを許さない守りの宗教
 
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イスラム教は生活の細部にわたり規定しているので、信仰生活を送る上で迷いがなく、解釈をめぐる議論も比較的おきにくくなっています。さらに、だれもが日常的に実践できる宗教となっているため、「出家」や「修道」は不要です。したがって、神官階級も教団組織も生まれる余地がありませんでした。これは、宗教の人的支配を抑止し、教団組織等による勝手な教義の変更が生じない構造を持っているのです。
イスラム教の強みと弱み
 
以上見てきたように、イスラム教の強みは、その安定構造です。時代が変化しても変わらない強さです。しかし、市場社会の終焉という大変動期において、変わらないまま存続していけるでしょうか。その瀬戸際にあるというのが、イスラム教社会が置かれている状況です。(それは、イスラム教に限らず、宗教全般に突きつけられています。)
956921.jpgサウジアラビアの国王とオバマ大統領
 
現在、市場経済社会が行き詰まりを見せる中、石油を握る中東を中心とするイスラム社会は、市場の生き残りに懸ける欧米の金融勢力の圧力に晒され、翻弄され始めています。ほころびから生じる変革期待は、その正当化のための観念として、欧米の民主主義に収束し、脱イスラームに向かいます。結果として、欧米化に進み、欧米に蹂躙される。いわゆる、アラブの春 [2]の現象です。
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一方、この流れをよしとせず、保守回帰により団結し対抗する方向性もあります。これがイスラム原理主義に代表される、イスラーム回帰の流れです。しかし、これも欧米や自由主義経済の圧力に対して、「固く閉ざして変わらない」という対抗手段しか持ち合わせていません。そのことが弱みであり、イスラームの大衆共認を収束させきれない原因でもあります。
いま、イスラーム社会では第三の道が求められています。それは、今まさに日本が模索している道でもあります。
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イスラームが変わらないのは、本源性に根ざす部分があるからでもあります。その教えの中には、共同体規範を踏襲したものが数多く見られます。たとえば、お題目じゃなく誰もが平等、弱者救済義務、人間存在の肯定(原罪や業が無い)、約束を守る、礼節を重んじるなど。そして、信者のつながりをウンマ=共同体と呼び、相互を兄弟として扱うことにも現れています。(参照:「イスラムと日本の共通点 [3]」)
 
守るべきものは守る、反欧米・反市場主義社会という課題の共有から、協働することは十分有り得ます。
 
 
一方、ムハンマドが求めたウンマ=共同体とは、血縁的部族社会(の争い)の否定に基づく擬似共同体でしかありません。だから、共同体なのに、個人を単位とした神との契約となっています。
 
 
イスラームの可能性は、守るべき本源性が規範や生活の実践の中に残っていることです。そして、そこに立脚し変えるべき擬似共同体的規範の部分を峻別し、組み替えていくことです。いま、日本では、本源収束の大潮流のなか、日本文化や歴史の見直しを通じてその本源性を再評価していく流れにあります。そのような過程が、次代のイスラームに求められているのではないでしょうか。
 


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[1] 私権: http://www.rui.jp/ruinet.html?i=400&t=8

[2] アラブの春: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%96%E3%81%AE%E6%98%A5

[3] イスラムと日本の共通点: http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=213052

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