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「次代の可能性をイスラムに学ぶ?」4~イスラム教の本質とは?

Posted By tiwawa On 2012年6月12日 @ 10:56 PM In 未分類 | 2 Comments

こんにちわちわわです。
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前回は、イスラーム誕生前夜の状況を明らかにし、イスラーム教が何故登場したのかを考察しました。
明らかになったのは、イスラーム教が商人の宗教であり、排他的な経済活動により破壊された部族社会を再生させるために生じた宗教であるという点です。
元々社会的弱者を救済するためにメッカで布教活動を行っていたムハンマドですが、私権強者である富裕層から激しい迫害を受け、メディナへ逃亡を余儀なくされます。
イスラーム教はメッカでその基礎をつくり、メディナでその完成を見るのです。
今回は、そうした背景とその後のムハンマドの行動を踏まえ、イスラーム教とはどんな宗教なのか?その本質に迫っていきたいと思います。
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【メディナでのユダヤ教との出会い~規範宗教の確立~】
ムハンマドは自部族であるクライシュ族の富裕層から激しい迫害を受け622年にメッカを脱出し、メディナで布教活動を行います。ここで、ムハンマドを迎え入れたのはユダヤ教の人々でした。
ユダヤ教こそ迫害の代名詞のような宗教ですが、ユダヤ教は唯一絶対神ヤハウェを信じることと、きめ細かな規範を守ることで、ユダヤ教を信じる人々の結束力を高め、共同体を営む強固な集団です。
ムハンマドがイスラーム教を確立する上で、このユダヤ教を下敷きにしたことは疑う余地はありません。
イスラーム教における経典クルアーンは、ユダヤ教におけるタルムードと、その性格は同一のものであるし、唯一神に忠誠を誓う割礼の儀式もそのままであるし、喜捨などの教義もユダヤ教をそのまま転写したものであることもその証明です。
ムハンマドはユダヤ教徒の熱心な信仰心と集団の結束力に感服し、相当な影響を受けたと見て間違いないでしょう。
【ムハンマドは孤児だった~家族集団のしがらみを超えた超集団思考の形成】
ムハンマドは早くから両親を無くし、クライシュ族の富裕層の元で育てられました。
その健全な思考と周りから尊敬された人格の持ち主であることから、かなり寵愛されて育ったものと思われますが、孤児である事実は消しようもなく、一般の家庭で育った者と比較して、家族という集団のしがらみは薄かったのではないかと想像できます。
クライシュ族から激しい迫害を受けた体験から、むしろ、部族集団は敵対する対象であり、そうした既存集団を超えた超集団の形成こそが社会統合の軸であるとして、そこに収束したのではないかと思われます。
事実メディナからメッカに戻ったムハンマドは、武力でクライシュ族を殲滅します。
このことからも、アッラーを唯一絶対神とするイスラーム共同体の発想の原点は、既存単位集団の破壊にあると考えられます。
【イスラーム共同体は集団再生を目指したものではない~集団破壊によって失った本源性の代償充足】
クルアーンに登場する教義には善とするものとして
誠実、正義、禁欲、感謝、忍耐、信頼、悔悟、慈悲、善し があります。
対して悪とするものは
嘘、不正、強欲、恨み、怒り、見せかけ、自惚れ、妬み、嫌悪 などがあります。
これらの教義はいずれも集団に向けられたものではなく、専ら個人に向けられたもので、自我肥大を封鎖する目的で発せられた言葉群です。
もし、単位集団内の共認充足が残存しており、集団が強固なものであったなら、儒教がそうであるように、集団規範が存在することを前提として個人にむけた細かな規範をくどくど詠う必要はなかったと思われます。
イスラーム教は、私権獲得の可能性が開かれた商人において社会秩序を維持するために自我を徹底的に封鎖するように創られた、きめ細かな規範群であるとともに、人を騙してでも利益を上げなければならない商人という生業から必然的に生じる心の不全を、本源的な価値観念に従い、行動することで充足が得られるようにした代償観念なのです。
ユダヤ教が、タルムードの解釈をあいまいにし、自ら考える力を醸成する宗教であるのに対して、イスラーム教はその解釈を単純明快にし、誰でもが従いやすくしたものであり、商業を生業とする商人=「だまし」をだます巧妙な宗教であるといえます。
【イスラーム教の本質は商人(だまし)の宗教】
ムハンマド自身が商人であり、イスラーム教は私権獲得(商業行為)そのものは奨励しています。
『実に商人たちは、復活の日に非道者として甦させられる。アッラーに敬虔であり、誠実であり、真実を語る者以外は』
但し、行き過ぎた商業行為は社会秩序をみだすために禁止しています。「利子」や「財の退蔵」がそれに当ります。
「留まる水は濁る」ともいうべき「動かずにあるものは不浄」という思想があります。動かさない金銭は不浄であるため、富豪は金銭を蓄え込まず、貧しい人に差し出すことによって社会に還流させようとする思想です。
聞こえはよいですが、この思想はすなわち、富の蓄積による権力の集中を阻止し、お金を循環させることで経済を円滑に動かすことを目的としたものです。
このように経済活動と密着した規範群により経済秩序を守りかつ活性化させるように無意識に行動させるのがイスラーム教の正体なのです。
【結論~イスラーム教は「だまし」をだます統合(倒錯)観念】
イスラーム共同体という言葉には、集団に重きを置いた宗教と錯覚を覚えますが、その本質はむしろ逆で、立脚点は個人の意識と行動にあり、商人ゆえに必然的に生じる共認不全を本源的な価値観念で代償充足させると同時に、単位集団を解体し、唯一絶対神アッラーを頂点とする超集団を形成するために創られた統合(倒錯)観念といえます。
キリスト教が「略奪」を生業とするヨーロッパ諸国において「力の序列」を絶対とするがゆえに現実世界に可能性がなく、非現実世界の代償充足観念に収束したのに対して、イスラーム教は「略奪」と双璧をなす「だまし」を正当化する倒錯観念であるという点で、世界を支配する2大宗教に発展していったのではないでしょうか。
そうであるがゆえに、イスラームの拡大は武力支配という側面よりも、経済圏の拡大という側面が強く、イスラーム教徒の拡大も、貧困層の救い欠乏の側面は否定はしませんが、むしろ税金のがれの実利にあった事も見逃せませんし、規範群が「だまし」を倒錯するために、より現実世界に密着しているという点も着目するに値する大きな視点だと思います。
次回はこのイスラーム教が実際にどのように拡大し定着していったのか具体的に検証します。


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