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始原の言語・日本語の可能性~②実体と発音が一致している美しい日本語

日本語シリーズ第3弾です。前回の記事で朝(Asa)というキーワードから発音体感と情景、言語が密接に連関している事を感じていただきました。今回はそれを受けてさらに日本語全体の構成にまで拡げてみていきたいと思います。
著者は日本語を美しい言語だと言う。
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「サクラサク。」この5文字だけで多くの人はなんとも言えない歓喜と美しい情景を脳に描く事でしょう。チェリーブラッサムでも英語圏の人は同様に感じるはずだと思うかもしれませんが、桜の花びらの散りゆく儚さや、地面が桜色に染まっていく情景、満天の青空を背景に淡いピンク色に拡がる満開の景色、さらにそれを見上げている人々のなんとも言えない表情。それらは英語圏のこの単語では思い浮かべる事はできないでしょう。きっとサクラという樹木を思い浮かべるに過ぎません。
サクラという文字、サクという動詞の重なりが相乗して一気に情景の美しさを際立たせています。咲くという動詞は桜という名刺から誕生した事が容易に伺えます。さらに言えばサとクとラ、それぞれに桜の情景を浮かべる要素が組み込まれているからに違いありません。サクラだけでも十分に美しいのです。
日本語の美しさの理由は、このように言語と情景が一致している事にあります。
今回も同様に黒川伊保子氏の著書「日本語はなぜ美しいのか」から紹介していきたいと思います。


ことばは音韻(ことばと音の最小単位)の並びであり、その発音体感が潜在脳にしっかりとことばの象を作り上げる。
私自身は「感じる言葉の第一法則」として「ことばの発音体感と、その実体のイメージが合致していると気持ちいい」という法則をあげて来た。
情景と語感が一致している例なら、擬音語、擬態語が最もわかりやすいだろう。そもそも擬音語・擬態語は情景、状態などを語感で表現した語なのだから。
擬音語、擬態語はふつうの辞書では網羅されていない。タラタラとダラダラを辞書で引いても「タラタラする」といえば起きて動いているけど「ダラダラする」といえば座るか、寝そべっているなど、そんなことまでは書かれていない。「額から血がタラタラ出ている」のなら致命傷ではないけど「額から血がダラダラと出ている」では死を暗示しているのかもしれない。このように擬態語、擬音語の中で日本人が暗黙のうちに了解している部分は(辞書に書くまでもなく)あまりにも多いのだろう。逆に外国人が日本語を習得する際に(辞書にすらないそれらの言語は)特に戸惑う日常語でもある。
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さて、この擬態語をベースに発音と実体が日本語はいかに一致しているかを確認してもらいたいと思います。なるほどの連続になるはずなので期待して読み進んでください。
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カラカラ クルクル コロコロ
サラサラ スルスル ソロソロ
タラタラ ツルツル トロトロ

縦並び(カラカラ クルクル コロコロ)はよく使われるカ行音始まりの擬音語・擬態語である。順にサ行音、タ行音という並びになっている。横並び(カラカラ サラサラ タラタラ)は音構造がほとんど同じまま、骨格をなす子音がK,S,Tに変化している組み合わせだ。まずはこの横の変化をじっくりと味わってほしい。
カラカラ、サラサラ、タラタラ。
カラカラは硬く乾いた感じ。サラサラは木綿の表面を撫でた時のような、空気を孕んですべる感じになる。タラタラになると、濡れて、粘性を感じさせる。
クルクル、スルスル、ツルツル。
クルクルは、硬く丸いものが回転する感じ。スルスルは、紐が手のひらをすべっていく感じ。ツルツルはまるでうどんをすする音のようで、汁を含んだ粘性のある物体を感じさせる。
コロコロ、ソロソロ、トロトロ。
コロコロは、硬く丸いものが転がる感じ。ソロソロは廊下をすり足で行く感じ。トロトロは粘性を感じさせる。これらK,S,Tの擬音語・擬態語展開には、同じ法則を見出す事ができる。すなわちKには硬い固体感が、Sには空気を孕んですべる感じが、Tには粘性のある液体のイメージがあるのである。
Kは固体、Sは空気、Tは液体。もちろんこれらの法則は発音体感によって生じたものである。
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さて、このK、S、Tの分析を紹介しておきたい。
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【Kの硬さ】
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「固体のK」
Kは喉の奥をいったん閉じて、その接着点に強い息をぶつけ、ブレイクスルーして出す音である。喉の奥というのは、正確には軟口蓋と、舌の付け根、軟口蓋というのは口蓋垂(俗にのどチンコ)のくっついている場所で、ご存知のようにぐっとせり上がった形になっているため、本来、舌とはくっつきにくい場所である。
そこをあえて接着するので喉周辺と舌の付け根周辺の筋肉が緊張して、かなり硬くなる。ここに強い息をぶつけ、喉の接着点を破って出す、いわば「喉の破裂音」がKの音なのだ。これに縦に高く開いた口腔を合わせればカ、口腔を小さくして前向きの強い力で押し出せばキ、舌にくぼみを作って受身の姿勢にするとク、舌を下奥に引き込めばケ、口腔に大きな空洞をつくればコとなる。
すなわち硬く、強く、速く、ドライ、さらに丸さ(曲線、回転)を感じさせる。これこそがKが人類に感じさせている発音体感である。
カラカラ、カンカン、カチカチ、キラキラ、キリキリ、コロコロ、キリリ・・・カ行の擬音語、擬態語を並べていくと、硬く、強く、あくまでドライなイメージが並ぶ。回転の象も見え隠れする。Kの発音体感としっかり結びついているのがおわかりになるだろう。
さらに擬音語、擬態語になくても硬い、きつい、切る、錐、堅実、剣、険、頑なのように意味と語感が結びついているものも多い。
【Sの風】
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「風のS」
Sは息を舌の上にすべらせ、前歯の付け根の歯茎にぶつけ、前歯でこするように出す音で、歯擦音とも呼ばれる。口の中に吹く風である為、発音体感は爽やかで涼やかだ。舌の上をすべるので、つばと混じって、ほどよい湿度感を覚えさせ、シットリしている。シットリも湿度もS音の音なのは、もちろん偶然じゃない。風を感じさせるスピード感もある。空気がすべる発音体感なので、サラサラ、シットリ、スベスベ、スルスル、ソロソロなど、サ行の発音体感は爽やかですべる感じ、適度な湿度感を含むものばかりとなる。
切なさ、寂しさ、嫉妬、しめやかなどという単語にも、何かとどまらない、すべり落ちていく不安定さと湿った感じになる。
一方、爽やか、颯爽、爽快、すっきり、スピード、スポーツなど風の象を感じさせるS音の単語群は、キャッチコピーや商品名にも多用される。スピード、スムーズ、ソフト、スポーツなどS音の語感を上手に活かした英単語は和製英語として日本人に定着しカタカナ言葉となっていった。
【Tの確かさ】
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「テクノロジーのT」
このように、硬く乾いた「カラカラ、クルクル、コロコロ」のK音をS音に換えれば、すべるような「サラサラ、スルスル、ソロソロ」に変わる。湿度感が増したのも、感じていただけるだろうか。さてこのS音をT音に変えると「タラタラ、ツルツル、トロトロ」・・・・こんなにも濡れて、粘ってしまう。
T音は、上あごに舌をつけ、その接着点を息で破って出す音である。接着点がブレイクする直前、舌は息を孕んで膨らみ、弾けるように前に押し出される。舌打ちによく似た発音体験である。この音は舌の上のつばをはがすようにして口元に運ぶので、最も濡れた感じがする。舌が膨らんで、弾け、たゆたうので、粘性を感じる。また、舌が膨らむために、充実感や確かな手ごたえがする音でもある。
濡れて粘るT、タラタラ、ツルツル、トロトロの濡れて粘る理由は、発音体感に他ならない。たっぷり、たんまり、たらふく、たらり、確かさ、富むなど充実感を表現する語もTならではの味だ。
【ことばの美しさ】
私たちはこうして、事象に似た発音体感を味わいながら、ことばをしゃべっているのである。大きなものには大きな発音体感を、硬いものには硬い発音体感を、スピード感のあるものにはスピード感のある発音体感を、優しいものには優しい発音体感を・・・・そうして名を呼ぶ者は、名のもち主と響き合うのだ。
それは、音楽に合わせて踊るのと同じような、共鳴の快感を作り出す。名を呼ぶ、というのは、なんとも親密な行為なのである。(中略)私たちは、事象に似た発音体感を味わいながら、ことばをしゃべっているというより、事象に似た発音体感を味わうために、言い換えれば、魂の共鳴を感じたいがために、ことばをしゃべっているのかもしれない。
私たちは対話によって、意味を超えた、より深いものを交換しているのだ。それができる言語と、できない言語があり、それができる言語こそが最も美しいのである。
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カラカラ、サラサラ、タラタラ・・・黒川氏の分析に、「なるほど!」と膝を打った方は多いと思います。
そして、K,S,Tだけでなく他の子音も知りたくなります。
ナ行、ハ行、マ行、ヤ行、ワ行、それらの子音群にもきっと同じような情景があるに違いありません。そしてそれらの音感体系を知り、日本語を再認識すれば、著者が言うように対話を通じて意味を超えたより深いものを共感できるような気がします。
まだシリーズは始まったばかりですが、いきなり核心に近づいてきたかも。次回お楽しみに。

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