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「次代の可能性をイスラムに学ぶ」~2.イスラムの政治と経済-(2)自我経済の終焉とともにはじまったイスラム金融

急拡大を続けるイスラム金融市場
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2009年末時点で世界のイスラム金融資産は1兆410億ドルに達し、2006年以降、年平均2.4%の増加率となっています。(参照:野村総合研究所「イスラム金融の台頭 [1]」)
 
混乱を極める世界金融市場の中にあって安定成長を続けるイスラム金融。その本質は、まずはその登場の背景に見出すことができます。
 
自我経済の終焉とともに登場したイスラム銀行 
ユダヤ・キリスト教世界の経済は、もともとは利子は禁止されており、当初(古代)は様々な規制があったと思われます。しかし、私権闘争にまみれる中で、自我を活力源とする自我経済を後押しするしくみ(思想)へとズリ落ちていきました。
  
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経済産業研究所イスラム金融の系譜 [2]より
  
1970年、先進国では貧困は消滅し、市場の拡大は、国家による国債発行という延命措置なくしては維持できなくなります。物欲・私欲は永遠であると欺く自我経済の終焉です。そして、この時期、集団主義≒秩序維持に軸足を置いたイスラム金融が表舞台に登場します。
 
これは偶然ではありません。
 
市場縮小で余った資金が向かった先のひとつがイスラム金融だったのです。投機を抑制し、投資先を選別する秩序をもっていたので、バブル化せず、現在も安定成長を続けています。自由主義市場とは一線を画し、共認経済を志向しているからです。
  
イスラム金融登場のきっかけは、金貸し勢力の攻防と思われるオイルショックですが、それさえも成長経済の終焉という状況が生んだ必然です。
  
 


市場の暴走を抑止するイスラム経済 
 
イスラム経済(金融)の特徴として、取引対象の選別、金利(不労所得)の禁止、投機の禁止、不明瞭・不確定の排除があります。それらはすべて、社会秩序の維持が出発点となっています。
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(参照:野村総合研究所「イスラム金融の台頭 [1]」)
   
なぜでしょうか。
 

アラブにとっては、元々古くから市場が盛んであった(=主要な生産手段)ゆえに、市場によってアラブ社会を活性化する方法を探り、同時にまた市場のもつ欠陥(自我肥大~集団破壊)をいかに制御するかを追求した挙句のイスラム経済システムであった。
   
コーランが金によって金を作ることを禁じたのは、交換手段にすぎない金には価値を認めず、重要なことは、生産的な行為において危険を恐れず人間が示す行動力と勇気に価値があるとみなすからだ。ムハンマドはここから一歩考えを進めて、金を無駄に抱えていることは好ましくない、有効に投資せよと人々に奨励した。では、いかなるルールのもとで金を社会に有効に役立てるべきか。そこで彼は、将来不確かな投機行為を禁じた。

 イスラム金融のメカニズム~金が金を生むことを禁じたイスラム [3]
  
  
イスラム銀行で公然と金利商売が行われている?
 
イスラムの教えに基づくイスラム銀行・金融ですが、その運用の厳格さは国によってさまざまなようです。

イスラーム金融商品をどのようにイスラーム法との適合性を決定するかといった問題は、地域の多様性によって統一した指針がない。そのため、地域によって認可されるイスラーム金融商品があれば、認可されないものもある。このことから、しばしばイスラーム金融商品のイスラーム法と適合するか否かの基準や金融機関の不正防止としてどの基準が正当なのか議論となっている。

 中東湾岸諸国のイスラーム金融をめぐる法制度とその問題 [4]
 
とくに、聖地を擁し厳格なイスラム国として知られるサウジアラビアでは、銀行設立以来、実質的に金利(名目は手数料)が存在しています。金利政策を司る中央銀行まであります。
 
これは何を意味するのでしょう。
 
イスラム銀行を運営しているのは国家や資本階級です。一方、人々の経済活動(商業)はそれとはほとんど関係なく、古来より脈々と営まれています。つまり、イスラームにとって補完物でしかない国や市場がどうなろうと、信仰生活が侵されない限りあまり関心がないことなのです。
 
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活況の中でも落ち着いている株式市場(クウェート)
  
  
日本の大衆意識に通じるイスラーム
 
前回の政治体制についてもそうですが、市場経済についても、多くのイスラームにとって、信仰生活さえあれば、あまり関心がないのです。これは、日本人の古来からある“お上意識”に通じます。日々の生活の中に共認充足があれば、お上が何をしようと大目にみるのです。
 
その想いを言葉に表すと、
 嗚呼、この信仰生活さえあれば、あとはどうでもいい…
 
 
イスラームの国は昨今は、石油の産出とその価格高騰で豊かになったように見えますが、概して貧しい国が多くなっています。そのような国だからこそ信仰が守られて来たともいえます。
 
主力産業は牧畜。産油国でさえ、石油以外に近代的な産業は発展していません。今なお貧しい国でさえ、決して悲惨でもなく、苦境にも見えない。まさに、イスラームの信仰の中で“足るを知る”生活が古来より続いてきたのです。
 
世界経済がイスラムに注目していますが、真のイスラームにとって、それはきっとどうでもいいことなのです。
 

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