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「次代の可能性をイスラムに学ぶ」1~イスラムの女性は充足しているの?!~ 

シリーズの第一回は、社会の最基底である“性”を見ることで、イスラムの実態に迫ってみたいと思います
ずばり、サブタイトルは、“イスラムの女性って充足してるの?”です 😀
イスラムの女性は、その全身を隠す服装などから、厳格な規律に縛られた=抑圧されたかわいそうな女性というレッテルを貼られることが多いように思いますが、果たして本当にそうなのでしょうか?
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画像はこちら [2]より
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1.イスラム教は女性救済だった?!
実はイスラム教の成立過程を見ると、西欧からのこの女性を抑圧しているというレッテルはまったくの誤りであることが分かります。
実はイスラム教が成立する以前のアラブの女性は、集団内で卑下され、自分の意見も持つことを許されず、遺産相続権利もないという状況でした。夫は妻の許可なしに妻の財産を使用する権利があり、また時に女性は売春を強制され、その収入はその女性の後見人が得ていました。結婚に関しても、後見人の一存で女性本人に相談することなく結婚が取り決められ、結納金は後見人が受け取り、女性には反論する権利はありませんでした。
このような後見人の横暴振りや、度重なる戦で夫を無くし寄るすべを失った女性を救済すべく、ムハンマドは複数の妻を娶ることを認める規範を作ったと言われています。また、イスラームは女性が仕事を持つことを女性の権利の一つとしました。実際、女たちから目標とされているムハンマドの妻たちは、自ら商売をしたり、繕い物をしたりして自らの生計を立てるというたくましい生き方をしています。
アラブはムハンマド登場前に母系から父系に転換していますが、その際の極端な父権への傾倒を調整し、規範で再統合して女性を救済したのがイスラム教だったとも言えるかもしれません。
その証拠に、イスラム教には、女性に関する規範が数多くあります。ではその規範の中身を見てみましょう。
2.イスラムの性規範と充足
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女性に関する規範<結婚・離婚>

身内以外の男女の接触を制限するイスラームにおいては未婚男女の自由交際はあり得ない。従って結婚はほとんどの場合が見合いで始まる。
ムスリム男性はユダヤ教徒、あるいはキリスト教徒の妻を娶ることが出来るのに、女性はムスリム男性としか結婚できない。
一夫多妻(4人まで妻を娶ることができる)
イスラームでは、夫が三度「タラーク(離婚だ)」と妻に対して言えば離婚は成立する。
「男は仕事に、女は家庭に」、これがイスラームにおける原則的な男女の役割分担。

以上のような「自由恋愛の禁止」「家父長権の強さ」をもって、西欧諸国(男女平等主義者)はイスラム社会は女性に対して抑圧的であると非難するのですが、「自由であることが充足と結びつかない」ことは、およそ皆さんお分かりかと思います。
さらにイスラムにおける性に対しての意識を見てみましょう。まったく抑圧的ではないことが見えてきます

「性」に肯定的なイスラム教 [4]
イスラームには性を否定的に捉える傾向はまったくなく、むしろ、結婚は信仰生活の重要な一部であり、禁欲的独身主義の方がかえって悪とみなされている。この他にも、イスラム教の聖典には、性に関する教えや表現が多数登場し、「性」のとらえ方は極めて肯定的であることが解る。
イスラムの女性に対する認識 [5]
男女は人間 としてまったく平等であり、同等の権利をもつ。しかしこれは男女それぞれの特性を 生かした平等と権利であり、なにがなんでも同じに扱うことではない。女性が母として子を産み育てる役割は人類存続のための大前提であり、そこに女性の真の美しさがある。

このようにイスラムにおいて性は肯定視されており、禁欲主義をとるキリスト教とは極めて対比的です。よって、その性充足への追求度はかなり高く、例えば次のようなことまで伝承などには書かれているのです。
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『宮廷の恋人たち』(エスファハーン、イラン、1630年)画像はこちら [7]より

「男が自分の妻に近づくとき、彼は二人の天使に守られ、彼はアッラーのための戦士のようである。彼が妻と関係を持つとき、彼の罪は落ち葉のように落ち、全身清浄をすれば罪は洗い流される。」(ワサーイルッシーアに集められた伝承)。
妻にとって夫の性的欲望を満たすことは重要な義務の一つである。「もしある女が夫との同衾を拒み、夫が一晩怒りを抱いて過ごせば、天使が朝まで彼女をののしる。」(アルブハーリー、ムスリムの伝える伝承)
「男が自分の欲望を満たすために妻を呼んだときには、たとえカマドに火をくべていても彼の元に行かなくてはならない。」(アッティルミズィーの伝える伝承)
夫には妻を喜ばせる義務がある。「あなた方の誰でも、卑しい獣のように妻に飛び掛ってはいけません。まず交わりの前に先駆けを送りなさい。」と預言者は言われ、先駆けとは何のことですか、と尋ねられると、「接吻と優しい言葉です。」と言われた、という伝承がある。
妻の許しなく射精直前に身体を離すことは禁じられるが、これは妻の喜びを奪うことになりうるからと考えられる。
『イスラームと女性』 [8]より

さて、このように性への肯定視が強いイスラム教ですが、現代の解放の流れの中ではどのようになっているでしょうか?変わらず規範は活きているでしょうか?
一口にイスラム社会と言っても国家によって信仰度合いに差がありますので、近年市場化が進み、規範がゆるんできていると思われるサウジアラビアと、厳格な規範が今も残っているイランの2国を、取り上げてみたいと思います。
3.現代の状況
サウジアラビア
進む市場化、女性の消費者化
サウジアラビアは石油マネーの流入により、1人当たりGDPは14,353米ドル(2009年)(cf.日本は39,530(米ドル))。今や人口2,700万人を擁し、中東諸国の中では最も富裕層が厚く、購買力が高い国となっている。人口増加率も高く、人口構成の50%が25歳以下で、政府の雇用創出政策(女性の就労を支援)により、近年ますます消費市場としての魅力が増しているそうです。中でも女性は家庭において絶大なる購買決定権を持っているといわれます。
1251438681.jpg [9]画像はこちら [10]より

進むイスラム規範の崩壊

このような市場化により、サウジアラビア社会は現在、今までの習慣やイスラームに反する新しい社会問題に直面しています。特に危険な問題としては、政教分離の波を受け、伝統的な家族制度が崩壊されているということがあります。近年の政府の統計によると、未婚女性の増加と離婚の増加が数字に如実に現われています。結婚適齢期の未婚女性は1/3にまで昇り、離婚は結婚した夫婦の35%に昇っています。(ちなみに日本は約30%だそう。日本よりも大きい数字というのは、かなりの崩壊度です。)
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画像はこちら [12]より

イラン
都市部は市場化
一方、イランの1人当たりGDPは4,863米ドル(2009年)。およそサウジアラビアの1/3。イラン経済が制裁で痛手を受けていることは事実で、イラン通貨は今年その価値を50%失い、物価は高騰している状態。そのあおりは中流階級が受けているようです。
厳しい規範
ホメイニ師のイスラム革命後、女性はヘジャブ(頭髪を覆うベール)の着用を義務つけられるなど、イスラムの教えの厳守が優先されてきています。欧米並みの女性解放を謳った王政がヒジャーブを身につけた女性のデモで予想もしなかったしっぺ返しをくらうなど、国民も教えを忠実に守る傾向が強いようです。大学までは男女別学、バスや電車も男女別。1000人当たりの年間婚姻率は12.2%、離婚率は1.7%、(cf.日本は婚姻率5.5%、離婚率2.2%)イスラム社会でも低い方である。
しかし、近年都市部では規範が緩んできている模様。(離婚をテーマにした映画などが作られています。)
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画像はこちら [14]より
4.まとめ
上記の両国の比較から言えることは、(これはイスラム諸国に限りませんが)市場化すればするほど、離婚率は上昇しています。それは規範(男女の性規範や家族制度)の崩壊を意味し、結果、共同体を失い個々人に解体された成員は共認非充足を募らせているとみてよいでしょう。
ですので、冒頭の「イスラム女性は充足してるの?」の問いに対しては、「男女の性や家庭での母親としての役割充足は得ている。ただし近年の市場化(豊かさの実現)に伴い諸々の規範が緩んできており、その充足性も低下しつつある」と答えられると思います
しかしながら、このイスラムの歴史や規範から学ぶこともあるはずです。
それは、私たち現代人は得てして「規範」と言われれば「規制されるもの」というマイナス印象を持ちがちですが、この記事でも見てきた伝承のように、その本質は「より充足するには○○した方がいいね」というものです。規範が厳しいから不幸なのではなく、規範があるからこそ充足できるのです。
最後に日本人でムスリマの女性の実感を紹介します。

性行為は生殖のためだけでなく、夫婦の間で楽しむべきものとしてアッラーから与えられているのである。私はこうしたイスラームの性愛観を知って、小説、雑誌、テレビなど巷に氾濫する性のイメージに対して覚えていた嫌悪感を一掃することができた。それまでは性を心のどこかで不浄視していたように思う。切り捨てることのできない人間の動物的側面として疎ましい気持ちがあったように思う。また、性行為に男と女の力関係を見るようなやり切れなさも感じていた。現在、それは一点の曇りもない清らかな性のイメージに取って代わった。『イスラームと女性』 [8]より

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