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「日本人の起源」を識る~1.日本海の形成によって始まる縄文文化

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縄文人 [1]より

初回はまず基礎データー編として、日本を取り巻く気候外圧の歴史を見ていきたいと思います。
日本人の祖先は、はじめから日本に住んでいたというわけではありませんでした。それを知る上で、重要になってくるのが、彼らの渡来ルートです。
日本はかつて大陸と陸続きでした。つまりどの時期にどの地が陸続きであったかを押さえることで、彼らの渡来ルートを知ることができます。
また、大陸から列島が離され、海流が流入してくることは、日本列島の環境に大きな変化をあたえ、我らの祖先の生活をドラマチックに変えていくことになります。
では、早速本編に入っていきましょう。
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1.海水面は気温変化で100m以上も違う!
日本列島の話の前に、世界の気候変動を簡単にみていきましょう。
気温と海水面の変動は密接に関係してきます。
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気温が低下すると、大陸に氷が増え、蓄えられていく為、海に戻る水の量が減っていきます。また、温度が下がると水の体積が減ります。これらの要因で気温が低い時は海水面が下がります。この図からわかるのは、45000年前~33000年前までが温暖期にあたり、そこから急激に寒冷化、約2万年前に最寒冷期となり、そこから再び温暖期に移っていきました。最も寒い時期は現在と比較すると、海抜が約140mもの差があることがわかります。100m以上も海水面が変る事で地形は大きく変動するのです。

2.日本海の形成過程~日本海はいつできたのか?
では具体的に日本列島の地形の変化をみていきましょう。

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20,000年前
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17,000年前
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12,500年前

約20,000年前は左図のように、日本海は湖のように閉ざされていました。
この時期は、現在の玄海灘、宗谷海峡、津軽海峡は陸続きとなっていました。
日本海は海水が入ってこない為、循環が行われなれず、酸素が少なく生物があまり生息していなかったようです。

約17000前は、寒冷期の谷を抜け、少しずつ温暖になっていきます。日本列島周辺の海峡では最も深い、津軽海峡が形成されます。しかし、本州と北海道との間で、往来が全く出来なくなったかというと、そうではありません。この地域の冬は非常に寒い為、流氷が多く、海峡も簡単に塞がり氷橋ができたからです。従って少なくとも冬の間は行き来ができたと考えるられるでしょう。

14000年前になると、宗谷海峡が開通します。日本海に海水が流入してくる為、日本海は生物が繁殖していきました。

そして、12500年前に、いよいよ現在の玄海灘が開通し、日本列島に大きな変化をもたらしました。この事は重要なので少し詳細に扱っていきます。

3.恵(めぐみ)をもたらした対馬暖流

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最初の日本人の系譜 [5]より

左図は、福井県の三方湖の湖底からボーリングで採集された堆積物に含まれる花粉検出量のダイヤグラムです。
花粉が採取された現在の福井県の三方湖は、冬に大量の雪が降り、その豊富な雪解け水により植生が豊かな地です。日本海側の冬は、大陸から吹く偏西風が暖かい対馬海流上を横切り、そこで上昇気流によって大量に水蒸気を含んだ雲を作り出し、山脈に当たり日本海側に雪や雨を降らせるのです。

樹木別にその時代の花粉量が示されていますが、注目すべきは約33000年前と12500年前以降に植生が大きく変化する点です。33000年前以降は、スギやブナなど多湿を好む樹木の花粉が急減し、ツガなどの乾燥を好む樹木が増えてきます。
そして12500年前以降は再び多湿を好む樹木が増えていくことがわかります。

これは対馬暖流が流入してきたことを意味します。つまり、玄界灘が出来、対馬暖流が流れ込むことによって、温帯性落葉広葉樹が増え植生が変化したのです。その事が縄文時代の採集生産社会の基盤となって繋がっていくことになるのです。

★今回の記事のまとめ

1. 日本列島は33000前以降は大陸と繋がっており海流の影響は少なくて乾燥して針葉樹林に覆われていた。
2. 17000年前:対馬海峡ができる(※冬は氷橋ができ往来ができる)
3. 14000年前:宗谷海峡ができる→日本海に生物が繁殖
4. 12500年前:玄海灘が開通→日本海に暖流が流れ込み、日本海側は温暖で湿潤な気候に変化した
5. その結果、落葉広葉樹林が形成され、大型動物が絶滅、採取生産が可能になる。


★以降の記事に期待する内容です。

12500年前以前の日本列島に住んでいた人は何をしていたのでしょうか?そして彼等はその後この環境変化に対してどのように適応していったのでしょう。
縄文人のキーワードである定住は日本特有のものなのでしょうか?或いは大陸から渡ってきた人たちが採集定住的な生活様式を既に携えていたのでしょうか?

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