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日本人の民族特性こそ次代の可能性3~縄文体質とは何か?(2) 受け入れ体質の正体とは?

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日本人の民族特性こそ次代の可能性2~縄文体質とは何か?(1)
から引続いて、「受け入れ体質の正体は?」を見て行きます。
これまでの投稿は以下です。 😉
日本人の民族特性こそ次代の可能性1~プロローグ [2]
日本人の民族特性こそ次代の可能性2~縄文体質とは何か?(1) [3]
前回投稿から縄文体質をまとめると
「縄文時代とは、人類の根本原理である共同性を基に、より共認意識、規範意識を高め、自集団から他集団へも共認域を「可能性収束先」として拡げていった1万2千年をさす。そして、この時代が作ったのが縄文体質」
になると思います。又、以下を引用します
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日本の自然は豊かで多様性を持っています。そのような多様な植物、生物がいる中で、採取、漁労生産が成り立ち、自然への感謝の念も生まれます。
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引用終わり
この自然の豊かさは、集団同士が争ことなく皆が生きてゆける環境であり、集団同士が互いに肯定視をもって受け入れ合う環境をもつくっていった。言い換えれば、人類の根本原理である共同性発の受け入れ体質が長く継続されて形成されたのが縄文体質。といえそうです。
では受け入れの事例を見ながら、その正体を探って行きます。 😀
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受け入れ体質の事例を以下の投稿から見て見ます。
日本人(=縄文人)の持つ舶来信仰を「るいネット」から紹介する [7]
以下、引用
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■稲作伝播に見る受け入れ体質

水田稲作が渡来人によって北部九州にもたらされて以降、わずか100年で西日本に伝播し、その200年後には関東平野、さらに100年後には津軽平野まで達するスピードの速さは驚異的である。400年で1500kmの移動とすると毎年3.75kmとなり、中国の0.15~0.2kmと比較して約20~25倍のスピードになる。遊牧を伴っていたため加速されたであろうと考えられている西アジアからヨーロッパへの農耕文化の移入にしても、その速度は毎年1kmと推定されている。
(中略)
これら稲作伝播の速度を説明するには縄文人の欠乏だけを推進力に帰するのは困難に感じます。やはり、渡来人の強い先導力(=同類闘争圧力)→それを受けての縄文人の友好を旨とする受け入れ体質、さらにここから派生して形成された進んだ文化に対する舶来信仰という力学構造なしに、世界でも例を見ない稲作の驚異的なスピードでの伝播と定着はなし得なかったと考えられます本源集団で育まれた受け入れ体質こそが、「可能性収束」と見える所以だと思われます。
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法隆寺(建築技術の受け入れ)
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■縄文人の本源性と当事者論

元々の問題である縄文人の“友好を旨とする受け入れ体質”の出所は、精霊信仰でも「自然との共生思想(そもそも縄文人はもっていませんが)」でもありません。本源集団(共同体)における仲間の助け合い精神、その原点は外敵に襲われた仲間を助けるという危機救助の精神ではないでしょうか。この単位集団内の共認原理を、他集団の人間に対しても延長適用すると“友好”“受け入れ”となります。
 大陸から切り離された地理的要素も無関係で、大陸においても極限人類や採取人類は同様の体質・価値観をもっていたはずです(近年まで現存していた採取部族がそうでした)。地理的要素がその後の日本人の体質に影響するのは、舶来信仰が強いという点です。
舶来信仰は“友好”“受け入れ”体質をベースに形成されましたが(渡来人を敵として戦闘を始めたなら生まれなかった)、世界の僻地故に、大陸からやってきた部族は常に進んだ文化をもっていることから生まれます。その最初が弥生人の渡来文化であり、その後大和、中国、明治の西洋、戦後のアメリカ信仰と、一貫して舶来信仰は働き続けています。
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引用終わり
「日本人の舶来信仰」という言葉からは、「考えない日本人」、「ただ受け入れる日本人」がイメージされます。ここはどうなのでしょうか?以下の投稿を引用して見てみます。
日本人は‘外圧に弱く’‘世論に流されやすく’‘自虐的’なのだろうか? [9]
以下引用
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しかし、「外圧に弱い」からといって、外国の言いなりで完全な支配に置かれた訳ではない。中国に支配されたこともないし、律令制度も取り入れなかった。近世はキリスト教支配から免れてパックストクガワーナ(江戸の平安)を実現した。GHQ支配は受けたが、戦後の経済戦争では立場を逆転させた。
日本人が「外圧に弱い」とされるのは「縄文以来の受け入れ体質」に起因すると考えられる。
確かに日本人は、縄文以来、多様な流入民が相互に受け入れあい、友好的に混ざり合い、同化しあうことで日本人としかいえない単一民族性を作り出した。それは人類本来の共認原理であれば多民族とも分かり合える=同化しあえるという潜在思念の確信に基づいている。
しかも「受け入れ」た上で、共認原理にそぐわない観念や制度は日本の社会の中で浄化され、実情にあうようにアレンジしていく柔軟性も持ち合わせている。

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ここからお借りしました [10]
今、現在をみると、市場原理主義者たちあるいは軍産複合体に蹂躙されっぱなしのようにみえるが、これは「受け入れ過程」における混乱に過ぎず、いずれ浄化されていくことは間違いない。事実、既にあれほど一色に流された小泉フィーバーも今は昔、市場原理主義を是とする世論はもはや少数であり、大衆は、金儲けよりも社会貢献やNPO的な活動に関心を移している。
このように一見すると「外圧に弱い日本人」というのは「なんでも受け入れられる懐の深さ」の一面的な評価に過ぎないということなのだ。
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引用終わり
日本人は、「人類本来の共認原理であれば多民族とも分かり合える=同化しあえるという潜在思念の確信に基づいている」。実は、この本源集団で育まれた受け入れ体質こそが、「可能性収束先」そのものだと思います。
 近代思想から「受け入れ体質」をみれば個性や主張がないと思われ、未熟と思われそうです。しかし、それは本当でしょうか?!以下の投稿を見てください
個人主義の責任捨象と言い逃れ [11]
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近代社会は、自由・個人・権利etcの観念を中核とする近代思想に導かれて発展してきました。しかしその結果が財政破綻・環境破壊・精神破壊であるとすれば、その責任は極めて重大です。
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引用終わり
近代思想は破壊を生み出す以外は何も生み出していない。
受け入れ体質とは、極限時代500万年を生き抜いた人類の可能性収束先であり、柔軟性を持った懐の深い適応体質といえます。現在の未曾有の超難課題に対する唯一の可能性収束先ともいえます。たかが200年しかない(破壊しか出来ない)近代思想などは太刀打ちできるものではないと言い切れます。
次回は、受け入れ体質と同様にマイナスイメージをいだく、『属国意識』を扱います。なかなか奥が深そうですよ!
お楽しみに!! 😉

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