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緊急企画 「東日本大震災は日本人に何を覚醒させるのか!」第8回 地震・災害は日本人の性格をどのようにかたちづくってきたか?②

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<画像はこちら [1]のサイトからお借りしました>
こんにちは 😀
さて、今回の記事は前回の記事の続きで、一体、なんで西洋人と日本人とで自然観の違いが発生するのか?について見ていきます
◆今までの記事はこちら
緊急企画 「東日本大震災は日本人に何を覚醒させるのか!」
プロローグ [2]
第1回 日本人の縄文体質~有事に現れるその共同性と本源性 [3]
第2回 海外から見た日本人の共同性 [4]
第3回.地震・災害大国日本の歴史-1 [5]
第4回.地震・災害大国日本の歴史-2 [6]
第5回.地震・災害大国日本の歴史-3 [7]
第6回.地震・災害大国日本の歴史-4 [8]

第7回 地震・災害は日本人の性格をどのようにかたちづくってきたか? [9]
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ありがとうございます
一般的に、西洋人と日本人とでは、自然に対する感覚(=自然観)が異なると言われていますが、どのように異なるのでしょうか
以下、『梵我一如 日本の自然観 [12]』より転載します

日本人の自然観をよく表しているものは日本庭園や俳句であるとよく言われる。
明治の人、寺田寅彦の文章を引用して考えてみる。
庭園については
「住居に付属した庭園がまた日本に特有なものであって日本人の自然観の特徴を説明するに格好な事例としてしばしば引き合いに出るものである。
西洋人は自然を勝手に手製の鋳型にはめて幾何学的な庭をつくって喜んでいるのが多いのに、日本人はなるべく山水の自然をそこなうことなしに住居のそばに誘致し自分はその自然の中にいだかれ、その自然と同化した気持ちになることを楽しみとするのである。
シナの庭園も本来は自然にかたどったものではあろうが、むやみに奇岩怪石を積み並べた貝細工の化け物のようなシナふうの庭は、多くの純日本趣味の日本人の目には自然に対する変態心理者の暴行としかみえないであろう」
と書いている。

上記の事例からもわかるように、西洋人と日本人との自然観の違いは、大きくまとめると、
西洋人は『自然を対立・克服・支配する対象』として捉えているのに対して、日本人は『自然を畏敬の対象』と捉えているとみることができそうです
それでは、一体、なぜ西洋人と日本人とでこのような自然観の違いが発生するのでしょうか
答えから先に見ていくと、西洋人の自然観を決定付けたのは、約5000年前に勃発した『掠奪闘争』にあると考えます
考えてみれば、西洋は、地震や津波といった災害は日本に較べて少ないですが、歴史的にみても、気候変動による自然外圧は極めて高い地域と言えます。温暖期と寒冷期が短いスパンで交互に訪れ、川や湖の氾濫、干害など、日本の災害以上の自然外圧を受けています
厳しい自然外圧が、恒常的な飢えや死を招いたことは想像に難くなく、掠奪闘争を勃発させた一つの要因になったと考えられそうです
ひとたび掠奪闘争に突入すると、周辺地域はたちまち掠奪闘争に巻き込まれ、部族から部族へと玉突き的に拡がっていきます。こうして、数百年に及ぶ掠奪闘争の結果、ほぼ全ての本源集団が破壊されて終ったのです
ここで一旦立ち止まって、掠奪闘争とは一体何を掠奪しあうのか を先に押えておきたいと想います
当時の時代背景に同化して考えてみましょう 🙄 厳しい自然外圧を受けている状況で、喉から手が出るほど欲しいもの・・・それは何か
それは、自然が豊かで農耕生産に適した肥沃な豊かな土地だと考えられます
つまり、掠奪闘争とは、豊かな土地を奪い合う縄張り闘争と同義だと考えられます。自然の産物でもある土地を奪いあって支配することで、所有意識は高まり、必然的に自然=土地は、奪ったモノ、支配したモノ、奪われるおそれのあるモノとして捉える様になります
この時点ですでに、西洋人は対立・克服・支配する対象として自然を捉えるようになったと考えられないでしょうか
しかし、掠奪闘争の要因を自然外圧の厳しさだけに求めるのは、いささか論理不十分な感が否めません。なぜなら、有史以前の極限時代の人類は、西洋に較べても桁違いに自然外圧が高かったにも関わらず、掠奪闘争を起こすまでには至っていないからです 🙄
つまり、掠奪闘争勃発の理由は、自然外圧の厳しさプラスαの何らかの理由があったと考えられます
そのプラスαの正体は・・・
そもそも掠奪闘争とは同類を殺すわけですから、これを実行しようと思ったら、かなり強力な何か が必要になります。なぜなら、同類かつ集団同士が殺しあう動物は、自然界を見渡しても存在せず、同類殺しは自然の摂理に反する蛮行だからです。
それを可能たらしめているものの正体とは・・・相手を殺しても良しとする『正当化観念』に他なりません。
それでは、上記の殺しの正当化に代表されるような正当化観念はいつごろ生まれたのでしょうか
それは、掠奪闘争前夜の狩猟、農耕生産から牧畜生産に生産様式が変わった辺りが起源と考えられます 🙄
牧畜生産は、家畜を囲うことで、殺さずに生かしながら、家畜が生み出す生産物を頂戴する生産様式です。しかし、牧畜生産は次第にエスカレートしていき、家畜の去勢を行い、家畜の性を支配するまでに至ります 👿
この行為は、間違いなく自然の摂理から外れている行為と言え、そんな行為を実行に移そうと思ったら、それを正当化する何らかの観念が不可欠になります。
例えば、人間は絶対存在で、家畜は人間より位が下だから、殺しても何をしてもよいなど・・・。
こうして、西洋人は、牧畜生産以降、様々な正当化観念を醸成させながら、牧畜→遊牧→交易→掠奪の道を辿っていったのです
このような正当化観念は、あらゆる対象に向けて使われ、それは超越存在である自然も例外ではありませんでした。
事実、キリスト教には「自然は人間が治めるべき対象」とはっきりと明記されています。キリスト教の普及によって、現在にも残る西洋人の自然観が全世界に固定化されていったと考えるとスッキリします。
正に『自然の摂理を踏み外した道理を通そうとしたら、なんらかの正当化観念が必要になる』という構造にピタリと嵌っているのが、西洋人の歴史だと考えられます
これらをまとめると、
掠奪闘争によって、自然は、誰のものでもない超越存在から、誰かのものになる奪い合う対象にすりかわった。

同類殺しの掠奪闘争も自然に対する支配視も、それを可能にしたのは、強烈な正当化観念による。
が相まって、西洋人の自然観が生まれたと考えられます
対する日本は、島国で自然が豊かな国です。島国ゆえに略奪闘争にほとんど巻き込まれていません 😀
そのため、現在も人類本来の本源性を色濃く残している=共同体が残存している民族と言えます。
また、自然豊かな国土は、工業化の波が訪れる明治以降まで、日本に農耕、漁業、採取を主要とする生産様式を長らく定着させてきました 😉
農耕、漁業、採取生産は、自然に依存する生産様式なので、必然的に自然に対する感謝の念が生起します。
また、これまでの記事で見てきたように、日本は災害が多いのも事実ですが、自然災害に対して恨むことなく、災害を天地からのたたりと捉え、祈りや儀式、風習、伝承などで対応してきました。そこには、自然に対する畏怖の念が生起しています。
当然、自分たちを活かしてくれる感謝対象=自然に対して、恨みや、ましては、西洋のように支配するという思いが生起するはずもありません。
これらをまとめると、
日本人は、動物や植物のみならず、山、川、海、太陽など万物の中に精霊を感じ、(感謝の念、畏怖の念を含めた)畏敬の対象として自然を捉えているのです。自然からの収穫と、自然からの災害の歴史を交互に積み重ねていく中で、自然に対する超越視、肯定視、あるいは自然との共認関係が醸成されていったと考えられます。

自然からの恵みにはみんなで喜びあい、自然からの災害にはみんなで祈り、みんなで建て直してきたことで、今の日本があります
日本のような歴史を育んできた国は、世界を見渡しても他に類がなく、正に奇跡の国といえます。世界各国が驚くのも頷けますよね 😀
3・11の東日本大大震災で日本は大きな打撃を受けましたが、これまでみてきたように、共同性を残している日本人ならば、必ずや回復して立ち直ることができると信じています
一方、何度も災害にあっては立ち上がってきた日本人の力の源泉が、共同性残存による人間の回復力であることは間違いありませんが、その他にも、日本の自然そのものが持つ回復力が、西洋その他の地域に比べて早いのではないか?とも考えます 🙄
というわけで次回は、日本の回復力(自然の回復力、人間の回復力)に焦点を当てた記事をUPしていきたいと思います お楽しみに

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