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「南から見た縄文」9~Y染色体「D」系統の分布から浮かび上がる縄文人と原チベット人の共通性

tibetto.gif [1]
 
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「南から見た縄文」シリーズも第九弾まで来ました
 
今回のテーマは「チベット」です。
 
やや唐突感もありそうですが、このテーマを選んだ理由は「Y染色体亜型分類」にあります。(Y染色体亜型分類についてはこちら [11]を参照)
 
このシリーズのタイトルであり、またブログのタイトルでもある「縄文人」のY染色体亜型分類はD系統(D1型)に分類されています。そしてこのD系統のY染色体を持っている人の分布を調べてみると、実はそのほとんどが日本とチベットにしか存在しないのです。(チベットはD1型とD3型)
 
つまり、縄文人とチベット人は共通の祖先から枝分かれをしたということです。
 
(チベットには他にもO3型の人も多く存在していますが、O3型はD系統より後に誕生し中国全域や朝鮮においての主流となっていることから、チベットには後から入ってきた民族であると考えられ、初めのチベット人はD系統であったと思われます)
 
 
よって、今回はこの「Y染色体亜型分類」と考古学とを照らし合わせつつチベット人を追求する中で、D系統に共通する縄文的体質を掘り下げてみたいと思います。
 
 
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■ チベット人の起源
原チベット人がチベットに住み始めたのはいつごろからなのでしょうか。考古学の調査では、現在のラサ周辺で旧石器時代である2.5万年~2万年前の遺跡が見つかっており、この時期にはチベットでの居住が始まっていたことがわかっています。
縄文人が最初に日本に来たのが大体1万3千年前といわれていますので、それに比べると随分早かった(約1万年くらいの差がある)ことがわかります。
 
 
■ チベット人は南方発の森の民
次に、チベット人の神話から、その出自を見てみます。
 

チベットの伝説によればその先祖になる最初の夫婦は、森の猿と岩の精女であった。彼らが夫婦になった楚ソタンと呼ばれる場所は一般にツァンボ河の南にある山あいの地、ヤルルン地方にあったとされる。
伝説によるかぎり最初のチベット人はチベットの南東部にいたと考えられる。そこは森に覆われた山国であり(森には猿が生息する)、比較的温暖で、農耕に適している。最初の耕作地が認められるのもソタンである。ヤルルン地方がチベットで最も肥沃なところであることも知られている。

 
つまりチベット人の出自は南方の森林地帯であることが伝説から浮かび上がってきます。
 
下の「チベット考古学遺跡分布図」を見ても、旧石器時代の遺跡が南方に分布しているのが分かります。
<チベット考古学遺跡分布図>
tibetoiseki.jpg [14]
緑印:旧石器時代。赤印:細石器(旧石器後期/中石器)時代。青印:新石器時代
※画像は「チベットNOW@ルンタ [15]」からお借りしました
 
 
■ D系統は約5万年前に東南アジアに到達⇒拡散
モンゴロイドが最初に東南アジアに到達したのが約5万年前。そして、「Y染色体 D系統の分布の謎」 [16]によると、D系統のモンゴロイドも同じくらいの時期に東南アジアに到達していたようです。
 
さらに同サイトによると、「D1」と「D3」の発生は、「D2」の発生より1万年くらい遡る。
 
約2万年前の原チベット人が南方発の森の民であったことや、その後日本に来た種がいたことも踏まえると、最初に東南アジアに到着したD系統のモンゴロイドは、その後の環境変化に伴い北上(一部はチベット高原やモンゴル高原に移動)したり、そこから南下(一部が日本やチベット高原に移動)していた(その間に「D1」「D3」や「D2」が発生した)と考えられ、その結果としてD系統は東アジアに比較的広く分布していたのではないかと考えられます。
 
 
■ 現在のD系統はなぜ極端に偏在しているのか
ところが現在のD系統のY染色体亜型分布は、以下のようになっています。
 
<Y染色体亜型 D系統の分布と頻度>
Dkeitou.jpg [17]
※画像はY染色体の世界的分布と拡散経路 [18]よりお借りしました
 
上の表を見ると、D系統は日本とチベット、および東南アジアの一部の小民族(およびアンダマン諸島)にのみ存在していることがわかります。
 
同じモンゴロイドであるO系統は東アジア一体に分布していますし、C系統も東北アジア一帯やポリネシアにも分布していることを考えると、なぜD系統だけがこのような偏った分布となってしまったのでしょうか。
 
 
■ Y染色体分布には略奪闘争の様相も反映される
偏在分布となる理由の一つに、免疫力の強さの違いというのがあります。多種族との交配が進む地域では、免疫力の強い(後発の)種が生き残り、免疫力の弱い種が絶滅していくこと。中国や朝鮮で(Dより後発の)O系統が主流になっていたのは、これが一つの要因でしょう。(参考:’10年末なんで屋劇場レポート3~南方モンゴロイドの拡散と新モンゴロイドの誕生 [19]
 
そしてもう一つ大きな要因として考えられるのが、略奪闘争です。
 
Y染色体というのは男のみが持つ遺伝子で、必ず男(父)から男(息子)に遺伝していきます。この父から息子へ受け継がれるというのは、まさに婚姻制度としての父系制とまったく同じ構造にあります。
つまり、父系制の略奪闘争を繰り広げた結果、その勝敗によって男たちのY染色体がその地に残るか否かという点で次のような結果になると考えられます。
 
勝者のY染色体の亜型は当然その地に残る。敗者の場合は二パターンとなり、皆殺しされるか逃走した場合はそこには残らず、服属した場合は(勝者の亜型と共存する形で)残る。
 
特に中国においては、帝国・王朝の交代時には数割減~半減程度の人口崩壊に繋がる激しい戦乱状況が度々起こっている(参考:巨大帝国が崩壊するとき [20])ことを考えると、東アジアにおいては略奪闘争がY染色体亜型分布に大きく影響しているものと思われます。
 
 
■ D系統の偏在から浮かび上がる縄文体質
以上のことを踏まえて、D系統の偏在が意味するものは何か?
 
一言で言えば、それは「略奪性=私権性が極めて低い」ということではないでしょうか。
 
日本もチベットも、略奪闘争(戦争)は経験しています。しかし、他の地域にD系統がほとんど存在しないということは、(侵略しても勝てなかったということも含めて)結果的にはほとんど他国への侵略をしなかったということになります。
 
また、逆に侵略を受けた場合はどうしたか。
 
日本では中国大陸での略奪闘争の負け組みの一部(O3型)が断続的に海を渡ってきたこともあり、服属に近い形をとりつつ受け入れることで、激しい略奪闘争をせずに共存⇒適応することができた。
 
チベットでは、羌族に代表される遊牧騎馬民族(O3型)がチベット高原に度々侵略するも、遊牧地と農耕地が交わることなく点在しているという地理的構造もあり、(侵略を受けた部族も数多くいたものの)それらの土地を住み分けることによって共存⇒適応することができた。
 
 
この「略奪性の低さ」=「本源性の高さ」と、侵略に対する「受け入れ体質」が、D系統の大きな特徴であると言えるのではないかと思います。
 

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