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「南から見た縄文」5~台湾に残る本源性のルーツとは

Posted By nishi On 2011年4月23日 @ 8:43 PM In ⅩⅠエトセトラ(その他諸々) | 2 Comments

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プロローグ [1]
太平洋に広がる大語族、オーストロネシア語族!! [2]
オーストロネシア語族は、なぜ遠洋に拡がったのか?~ [3]
ポリネシア人が陥った罠、遠洋航海への可能性収束→父権化への道! [4]
沖縄は南九州から始まっている [5]
 
「南から見た縄文」シリーズ第五弾です
今回は、沖縄からやや南下して、台湾について扱ってみたいと思います。
以前の記事
太平洋に広がる大語族、オーストロネシア語族!! [2]
 
には台湾に関して、次のような記述がありました。
 

オーストロネシア語族は紀元前4000年ごろに、大陸から台湾へと移動し始めています。(中略)Y遺伝子分類では、縄文人はD2、オーストロネシア語族はO1であり、すごく近い関係にあるわけではないようです。しかし、両者とも、東アジアで最大勢力の漢族=O3と違って、私権時代に本格的に巻き込まれる前に大陸を出て行った民族。スンダランドで深めた本源性を保ったまま現在に至っているという意味で、非常に近い関係にありそうですね。

 
台湾は、人種は違えど日本人と同じような境遇で本源性を維持していたのではないかということですね。
 
その本源性を象徴する出来事として最近ではこんなことがありました。
 
東日本大震災への義援金として、台湾は(4月13日までに)なんと48億5374万台湾ドル(約141億円)もの巨額の義援金を提供。このうちなんと9割以上が民間からとのこと。
これは、中国本土の3億4000万円(3月末時点)、韓国の16億円、人口が台湾の10倍の米国でも約99億円であったことと比べても台湾の義援金額は突出していることがわかります。
 
 
この現代まで台湾に残る本源性のルーツを探ってみたいと思います。
 
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まずは台湾基礎データの押さえから
 
○人口、地理
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台湾の人口は2,290万人(首都台北市263万人 高雄市152万人)。台湾は、台湾島とその周辺諸島から構成されており、面積は九州と同程度(日本の約10分の1)の大きさです。人口密度はその九州(人口約1,335万人)と比較すると台湾の方がかなり高い。
 
島の西部は平野、中央と東部は山地に大別されるが、島をほぼ南北に縦走する5つの山脈(中央山脈、玉山山脈、雪山山脈、阿里山山脈、海岸山脈)が島の総面積の半分近くを占めており、耕作可能地は島の約30%にすぎない。台湾最高峰の山は玉山山脈の玉山(旧日本名:新高山、海抜3,952m)であり、富士山よりも高く、同様に標高3,000mを超える高山が多数連なっています。
 
○気候
台湾の気候は中南部の嘉義を通過する北回帰線を境界として、北は亜熱帯気候、南は熱帯モンスーン気候に分類することができる。最南端の恒春は最寒月(北半球中緯度では1月または2月)の平均気温が20度を上回る。山岳部をのぞいて高雄から台東の南部がケッペンの気候区分で熱帯モンスーンの地域となる。
偏西風と貿易風の境界エリアにあって雲が発生しやすく、夏から秋には台風が訪れる季節となります。
 
編成風や貿易風、台風の影響から一年を通して雨の日が多く、12月から3月にかけてが特に雨の日が多くなります。また、日本のようにはっきりとはしませんが、5月から6月には梅雨のような日が続きます。毎年平均150日以上が雨の日で、年間降雨量平均2500ミリ(日本の平均は1718ミリ)にもなります。
西北雨(サイパッホー)と呼ばれるかなり激しい夕立もある。
 
○先史時代の文化の変遷
image002.jpg※右はヴェルム氷期古地図(白い部分が当時の陸地部分)
 
地質学の研究によれば今から300万年から1万年前の更新世氷河期の時代、右の地図でもわかるように台湾は中国大陸と地続きであり、大陸から人類が台湾に移住し、居住していたことがわかっています。  
 
・旧石器時代
考古学の発掘調査により台湾では旧石器時代後期(50,000年から10,000年前)に人類の居住があったことが確認されている。現在確認できる台湾最初の文化として八仙洞遺跡に代表される遺跡が東海岸を中心に発掘され長浜文化と称されている。また台南県左鎮郷では原人の骨格が発見され左鎮人と称されている。
 
・新石器時代初期
約7千年前から八里で『大フン坑文化』が現れた。 この大フン坑文化は中国華南から台湾までおよんでいます。おそらく船で華南から渡ってきたのでしょう。縄紋の陶器の文化です。 狩猟や漁撈が主だが、原始的な農業も始まっていたようです。
 
・新石器時代中期
4500~3500年前。北部の芝山岩文化・南部の墾丁文化で、稲作が始まる。しかし、原住民の農場は「アワや芋」のほうが主流でした。黒陶も見つかる。これは大陸の文化が伝わった形跡と言えます。
 
・新石器時代末期
3500~2000年前には、台湾全土で農耕が広まり、家畜が飼育され始め、定住型集落が形成された。また、死者を埋葬し、埋葬品が発見された。
 
・金属器時代
1600~400年前の金属器時代。台湾には青銅器時代はありません。金属は主に『鉄』、または『銅』。しかし、まだ石器文化も残ってます。
有名なところでは、北部の八里「十三行文化」、中部の大甲「番仔園文化」、台南の「蔦松文化」、台東の「静浦文化」(アミ族の先祖)がある。また静浦文化は台湾では珍しいガラス器がある。 また紡績技術も発達し簡易な道具を用いた衣服の製作を行っていました。
 
○大陸からの漂流民
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※台湾の文化の変遷(横軸は文化圏の範囲の大きさを示す)
 
上の表を見ると、5000年前を境に、中国華南から台湾全域に興隆していた大フン坑文化が途切れ、新たな文化が次々に登場しています。5000年前といえば、ちょうどオースロトネシア語族の拡散の時期(参考:太平洋に広がる大語族、オーストロネシア語族!! [2])と一致しており、稲作の伝来もこのころであったことから、おそらく中国における略奪闘争の拡大によって押し出される形で(福建のあたりの)民族が断続的に台湾にやってきたことを示唆しているものと思われます。
 
このまま台湾は略奪闘争に巻き込まれていくのでしょうか?
 
ここからは、この時代以降の台湾の状況を見ていきながら、台湾に残る本源性のルーツを探っていきます
 
 
○大陸にとっての辺境の地だった台湾
大陸中国にとって台湾は長らく(中央との距離に反比例して文明度が低くなるという中華思想により)中華文明の教化の及ばない「化外の地」であり、先住民は「化外の民」とみなされ、大陸中国がその領有に関心を示すことはほとんどありませんでした。隋や元の時代に台湾へ侵攻した際も、ほとんど何も成果もないまま早々に引き上げてしまったようです。
また、17世紀以降、オランダ、スペインが台湾を支配したことはありましたが、支配は局地的かつ一時的なものに終わっています。そして強大な軍勢をもつ明国ならびに清国が、局地的、一時的ではあれオランダ、スペインによる台湾支配を許容したこと自体、大陸が台湾にさしたる関心をもっていなかったという事実を「立証」しています。
 
○交易ルートに乗らなかった台湾
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上の図からもわかるように台湾は、日本、大陸、フィリピン間での交易ルートから外れていたため、他国との文化や民族的交流がほとんどありませんでした。(逆に交易の拠点となった沖縄は、他国の文化や民族との交流から、複合文化を形成していったことは、沖縄は南九州から始まっている [5]の通りです)
 
○日本(沖縄)から見た台湾
[8]
台湾と沖縄との関係を見ていくと、ちょうどその間に「宮古凹地」という海峡があります。この宮古凹地の両側にある沖縄島と宮古島の間は、約300km離れているため、中間洋上において沖縄島や宮古島が見えなくなってしまいます。このことが要因かどうかはまだよくわかってはいませんが、台湾は沖縄本島との文化圏の交流も長い間ありませんでした。
 
○文字の伝来
台湾で文字が使用されるようになったのは、オランダ人が台湾に上陸した17世紀以降のことでした。文字の必要性は、貿易記録や徴税管理、あるいは宗教の布教により生じます。したがって17世紀以前の台湾には、他国との交易や(民族固有の信仰以外の)宗教の伝来がほとんどなかったことを示しています。
このことは上述の内容とも合致しています。

 
 
以上見てきたように、台湾は他国からの侵略を受け始める17世紀以前は、実はほとんど他国との文化、交易関係を持たない状態であったことがわかります。17世紀以降も、山岳部に住んでいた高砂族の多くは、他国からの侵略の影響をあまり受けずに現在まで存続し、中には未だ母系社会を存続させている部族もいます。(参考:婚姻史シリーズ(9) 台湾アミ族の母系社会 [9]
 
 
このようにして、台湾は大陸での略奪闘争に長い間巻き込まれることがなかったために、スンダランドで深めた本源性を今日まで維持することができたのだと言えそうです。
 
一方で、今回の追求で以下の疑問が残りました。
・なぜ17世紀以前中国は台湾を侵略しなかったのか(メリットがなかった?)
・なぜ沖縄との文化圏・交易の交流がなかったのか(宮古凹地が境目なのは?)
 
これについては、今後の追求課題にしたいと思います。


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[1] プロローグ: http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/03/001209.html

[2] 太平洋に広がる大語族、オーストロネシア語族!!: http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/03/001212.html

[3] オーストロネシア語族は、なぜ遠洋に拡がったのか?~: http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/03/001231.html

[4] ポリネシア人が陥った罠、遠洋航海への可能性収束→父権化への道!: http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/04/001238.html

[5] 沖縄は南九州から始まっている: http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/04/001239.html

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[7] Image: http://history.blogmura.com/in/023841.html

[8] Image: http://blog.kodai-bunmei.net/blog/miyakoouti.html

[9] 婚姻史シリーズ(9) 台湾アミ族の母系社会: http://blog.katei-x.net/blog/2008/12/000721.html

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