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シリーズ「人類の部族移動」その2~モンゴロイドの誕生と拡散~

前回の投稿より、
21世紀初頭には世界は大転換を向かえるだろう。それはこれまでの追求によれば、おそらく西洋文明から東洋文明への転換ということになると予測される。・・・・・ [1]
東洋文明の源泉、私たちの祖先と言えば、モンゴロイド
日本の祖先は、北方系(モンゴロイド)なのか南方系なのかという議論をよく耳にするが、その大元である原モンゴロイドについて語られることは少ない。
今回は、その原モンゴロイドにスポットを当てて紹介したいと思います。
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まず、添付されている『Y染色体亜型の世界的分布』図の右側中央の“Y染色体による系統分析”を見ていただけると日本人が多種多様な系統があることが解る。また、最も主流を占めているのが、“D2”であり、次に“O2b”で、南方のフィリピン方面からの“C1”や北方の樺太方面からの“C3”の系統は少数派であることが解る。
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モンゴロイドの歴史① 20万~4万年前 スンダ・モンゴロイド、北方モンゴロイドの誕生 [5]
より

 ■アフリカからユーラシア大陸へ
19.5万年前、アフリカ東部(現エチオピア)にて、最古の現生人類が誕生した(単一起源説)。以後、アフリカ大陸で人口を増やしていった現生人類の一部は、12万年前の間氷期(温暖期、+2℃)を初めとして、それ以降何度も(数十回?)アフリカ大陸からユーラシア大陸へと渡ってきたと考えられる。
アフリカからユーラシア大陸へは、温暖湿潤期にはシナイ半島~東地中海沿岸のルート、寒冷乾燥期にはアラビア半島南東部沿岸のルートを通ってきたと考えられている

 ■モンゴロイドの誕生→スンダ・モンゴロイドの誕生
アフリカを出て、東方へ向かった人種はモンゴロイドと呼ばれる(最も遡れば7万年前)。
約7万年前から最終氷期(ヴュルム氷期)に入ったため、寒冷化→極地の氷河発達によって海水面が下がり、東南アジアにスンダランドと呼ばれる大陸が出現していた(マレーシア、インドネシア、フィリピンなどが繋がっていた)。
東方へ向かった原モンゴロイドは、インド亜大陸を通って、5.0万年前までにはスンダランドに到達。彼らはスンダランドの気候に適応し、形質が固まっていく。【スンダ・モンゴロイド】 (東南アジアのニア洞窟に5.0万年と推定される現生人類の頭蓋)一部は、日本列島に漂着した。
同様に、オーストラリアに移動し適応したモンゴロイド【オーストラロイド】や、中国南部に移動し適応したモンゴロイド【シナ・モンゴロイド】も存在した。

’10年末なんで屋劇場レポート2~モンゴロイドの誕生と北方への進出 [6]より

● 南方(スンダランド・インド)で形成されたモンゴロイドの基層的形質
Y染色体分析によると、原モンゴロイドの登場は5.5万年前のインドとされる。インドのドラヴィタ人はその末裔である。また5~4.5万年前には原モンゴロイドはアジアの南方(オーストラリア、スンダランド、中国南方)へと広がっていく。各々をオーストラロイド、スンダ・モンゴロイド、シナ・モンゴロイドと呼ぶことにする。
ここでモンゴロイドY染色体の分化を整理しておくと、
C型       F型
 │        │
 ├───┐   K型
 │   │    │
C型  D型   O型
となる。このように多様に枝分かれしたが、旧人とも交配したという最新事実から考えて、基本的に枝分かれした各スンダランド人同士も、温暖湿潤で豊かな環境条件に恵まれていることもあって、共存共栄関係にあったと考えられるだろう。
4.6万年前頃、寒冷化に伴って、インドのインダス河流域にいた原モンゴロイドが北方のパミール高原・タリム盆地へと進出する。これはこの地域がヒマラヤ山脈の影響を受けて、寒冷化すると南方が乾燥化し、北方のパミール高原の方が湿潤化するためである。こうして北方へ進出したモンゴロイドは4万年前の温暖期には動物を追ってバルハシ湖からバイカル湖へと進出した。彼らを北方モンゴロイド(C型)と呼ぶこととする。
しかし、3.3~2.7万年前の寒冷期には、バルハシ湖からバイカル湖は極寒故に無人化し、人々は大きく二方向に分かれて南下した。主勢力はパミール高原・タリム盆地へと戻り、そこで中央アジア・モンゴロイドと呼ぶべき形質を獲得したと考えられる。もう1派は、更に東へと進路をとって、日本やアメリカ大陸へ進出したと考えられる。(ただし、寒冷期に何故、北上してアメリカへと渡ったのか?は論理的に疑問が残るため、4万年前の温暖期にアメリカへと進出した可能性も否定できない。この点は継続追求課題とする。)
この後、中央アジア・モンゴロイドは温暖期にはバイカル湖へと進出し、寒冷期にはパミール高原へと後退するという「行ったり・来たり」を繰り返しながら、北方適応を進めていった
しかし、原モンゴロイドのCの形質を強く残している北方モンゴロイドは、多様な交配が進む地域では後発のの方が免疫力が強いため、基本的に絶滅していった。他集団との交配の少なかった、アメリカ大陸とインドの原住民にかろうじて生き残っているという状態である。

パミール高原とシベリアの地(バイカル湖)は行ったり来たりし、シベリアの地は、何度も無人化している。
参考投稿:モンゴロイドの歴史② 4万~1.3万年前 中央アジア・モンゴロイドの誕生と拡散 [7]
日本人の主流を占めている“D2”が動き出すのが、1.4万年前のスンダランドの水没以降である。
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上記二つの画像は、 ここ [10] からお借りしました。
’10年末なんで屋劇場レポート3~南方モンゴロイドの拡散と新モンゴロイドの誕生 [11]より

他方、南方のモンゴロイドは温暖湿潤で豊かなスンダランドを中心に、大きな移動を起こすこともなく、定着して南方に適応的な形質を強めていったが、1.4万年前から6千年前の温暖期には、極地の氷床が溶け出したことでスンダランドの海没が始まり、南方モンゴロイドの拡散が始まる。

次回は、1.4万年以降の拡散していった南方モンゴロイドを扱います。
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