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シリーズ「人類の部族移動」その1~人類史を追求する意義と視点

こんにちは、saahです。
これから数回にわたり、2度のなんでや劇場で議論されてきた「人類の部族移動」について紹介したいと思います。
今回を含め全11回にわたり、以下のよう内容で紹介してゆく予定です。
 第1回目:人類史を追求する意義と視点
 第2回目:モンゴロイドの誕生と拡散
 第3回目:北方移動した原モンゴロイドと、現在の北方モンゴロイド
 第4回目:中国文明とは何か
 第5回目:縄文人の気質と、適応の可能性
 第6回目:1万年前以前の南欧以北の欧州
 第7回目:原欧州人と原シュメール人
 第8回目:印欧語族の出自
 第9回目:掠奪集団~掠奪部族の玉突き移動
 第10回目:掠奪部族による支配国家の誕生~部族共同体の崩壊
 第11回目:まとめ
以上を見てゆく中で、人類の移動の理由=直面した外圧状況に肉薄することにより、現在の人類に繋がる基層は一体いつ、どこで、どのようにして作られてきたのかを明らかにしていきたいと思います。
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さっそく第1回目の今回は、「なぜ今人類史を扱うのか」です。
このシリーズを扱うことの意義、およびこの追求により、何を掴もうとしているのか、まずは皆さんとその目的を共有しておきたいと思います。

「’10年末なんで屋劇場レポート1~人類史を追求する意義と視点」 [4]より
’10年末なんで屋劇場のテーマは人類史の追求という決して万人受けする内容ではないにもかかわらず、多数の来場があり、まさに課題収束という意識潮流を象徴するような追求の場となった。「モンゴロイドの歴史」の概略は既に投稿されている
・モンゴロイドの歴史① 20万~4万年前 スンダ・モンゴロイド、北方モンゴロイドの誕生 [5]
・モンゴロイドの歴史② 4万~1.3万年前 中央アジア・モンゴロイドの誕生と拡散 [6]
・モンゴロイドの歴史③ 1.4万~1万年前 スンダ・モンゴロイドの拡散 [7]
・モンゴロイドの歴史④ 1万年前~6000年前 新モンゴロイドの誕生と拡散 [8]
・モンゴロイドの歴史⑤ 5500~3000年前 寒冷化→新モンゴロイドの本格的な南下 [9]
・モンゴロイドの歴史⑥ 日本人は、どこから来たのか? [10]
が、以下に、劇場でさらなる追求を行った部分をレポートする。
● 今何故、人類史を追求するのか?
経済情勢はドル・米国債の暴落へと向かっており、少なくとも21世紀初頭には世界は大転換を向かえるだろう。それはこれまでの追求によれば、おそらく西洋文明から東洋文明への転換ということになると予測される。我々の進むべき方向性はどこにあるのか?激動の時代を生き残っていく可能性のある民族はだれか?そもそも私たち日本人の祖先とは?こうした疑問に、まずはしっかりと歴史的事実を踏まえて答えを出していくことが今、必要とされている。
このことは言い換えれば、激動の時代には新たな可能性を切り開いていく新理論が求められる、ということでもある。新理論への期待に応えるものとしては既に「実現論」がある。ただし実現論は「前史及び始原人類の時代」についての考察は十分、新理論期待に応えるものとなっているが、私権時代(所謂、文明誕生以降の歴史時代)については、不十分かつ、実現論公開後にも新認識が登場しており、改訂を必要としている。そこで、来るべき、理論収束に向けて、前回より、実現論・私権時代の書き換えに着手している。今回は、3000年前までのモンゴロイドの歴史(東洋史)について追求する。
●人類史を考える上での学説の取り扱い方について
今回、モンゴロイドの歴史の考察にはY染色体遺伝子分析の研究資料を用いている。しかし、遺伝子分析を鵜呑みにしてはならない、という点は最初に付け加えておく。そもそも現時点では全遺伝子が解明された訳ではない。タンパク質合成に無関係とされる非コード領域については明らかにされていないし、遺伝子相互の関連性も不明である。そのような状況で、たったひとつの遺伝子を取り上げて一体、何がいえるのか?という根本的な疑問がある。実際、モンゴドイドの遺伝子分析については日本の研究者である崎谷氏と、その元資料ともいえるアトラスでは、年代に2~3倍の開きがあるという状態である。
それに分子時計というモノサシを使って、しかも現在の人々の遺伝子を見比べて、どこで別れたか、という逆算をしているが、この分子時計についてもまだまだ科学的事実といえる根拠は乏しい。
また、現生人類はアフリカのたった一人の女性から枝分かれしたとするミトコンドリア・イブ説も、極めて疑わしい説である。そもそも、最末端から出発して、その元は?、更にその元は?とたどってゆけば、最後は必ず一人にゆきつくが、そのような発想法そのものが根本的な誤りなのではないだろうか。最近、新人は旧人とも交配したとされているが、系統樹は末広がり形だけでなく、その逆の混血による末窄まりの系統樹も想定され、実際には末広がりと末窄まりの系統樹を重ね合わせたような形になっていると考えられる。
従って、まだまだ幼稚な遺伝子研究に基づく説だけではなく、遺跡考古学や環境考古学とも組み合わせて考える必要がある。少なくとも現在の学問状況から言えば、遺跡の方が信頼度は高いと考えるべきであろう。今回作成した年表も、遺跡考古学とつき合わせて作成したものである。(以上引用終わり)

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今私たちが直面している社会情勢は、これまで人類が科学技術の発達により幾多の外圧を克服してきた末に迎えている、新たな局面といえます。
人類のこれまでの進化の歴史、文明の発達はすばらしいものですが、一方その帰結が今の破局寸前の世界情勢だとすれば、そのどこかに大きな誤りがあったのかもしれません。
当ブログのテーマでもある、「いったい、人類はどこで道を誤ったのか?人類は今、自らが築いてきた全文明の見直しを迫られている。」の原点に立ち返り、改めて人類史を見直してみようとしています。
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その為にもう一度、人類の足跡、部族移動の歴史をトレースし直し、いつ、どこで、どの様な外圧状況の中で、今日に繋がる人類の基層が形成されたのかを順次追って行く予定です。
人類史を学ぶ動機となる状況認識と、その方法については、以下のサイトも参照してください。
「『コーカソイドの歴史』から何を学ぶか?」 [14]
西洋から東洋に文明を転換させられる位置に日本はいる
『現時点、文明の転換点にある』(国際戦略コラム)

なぜ、Y-DNAでないと民族系統分析ができないのか? [15]

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