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モンゴロイドの歴史2~スンダランドの水没→南方モンゴロイドの大移動

前回に続いて、モンゴロイドの歴史です。今回は、最終氷期を終えてから約1万年までの期間を扱います。
狩猟採集生産を営んでいた始原人類は、気候変動がもたらす植生、動物たちの生息域の変動に大きく影響を受けたと考えられます。初期の北方モンゴロイドが南アメリカまで進出して行ったのも、まさに決死行だったことでしょう。
最初に、南方モンゴロイドの拡散に大きな影響を与えた気候変動をおさえておきたいと思います。
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最終氷期の最盛期は現在よりも10度以上寒かったようです。その結果、数十万立方kmといわれる大量の氷がヨーロッパや北米に氷河・氷床として積み重なりました。そして海水を構成していた水分が陸上の氷となったため、地球上の海水量が減少、世界中で海面が約120mも低下したそうです。そして温暖化によって逆に海水面が上昇し、陸地が海没していくことになります。
氷河期の間、北方モンゴロイドは北方と南方を行ったり来たりしながら、移動し続けていましたが、温暖湿潤で豊なスンダランドのモンゴロイドは移動する必要がなく、人口増加の中にあっても、贈与関係等で、友好関係を結んでいたと考えられます。しかし、そのような平和なスンダランドを温暖化故の海没が襲うと、人々は四方八方に散らばっていくことになりました。
●Y染色体亜型の世界的分布
http://www.rui.jp/docs/link/zukai20110105-3.pdf  [2]
温暖、寒冷等を考慮し移動ルートを想定した
■温暖化→スンダランドの縮小・水没
温暖化の影響で極地の氷が縮小していくにつれ、海水面が上昇し、広大な陸地であったスンダランドが1.4万年前頃から水没し始める(6000年前には完全に水没し、東南アジアの海岸線が現在の姿に)。それに伴って、この地で繁栄していたスンダ・モンゴロイドが拡散していく。
1.南アジアを通って、インド亜大陸へ。(インド亜大陸の原モンゴロイドと混血→ドラヴィダ人に)
2.ガンジス川を遡上して、タリム盆地からモンゴル高原へ。【Dスンダ・モンゴロイド】
3.海岸沿いに江南地方から中国全域に移動。(シナ・モンゴロイド×中亜モンゴロイドと混血→【原中国人】に)
4.北東の東シナ海を航海して、中国・江南地方~日本列島へ。(江南のシナ・モンゴと混血、日本列島の中亜モンゴ×北方モンゴと混血)
5.南方のオーストラリア大陸へ。(オーストラリア大陸に先住していたオーストラロイドと混血→アボリジニに)
6.メコン川などの大河を伝って、チベット高原からタリム盆地へ。(1万年前にはアルタイ山脈~モンゴル高原に到達し、新モンゴロイドO3に)

しかし、温暖期とはいえ「寒の戻り」という現象はあり、しかも、最終氷期を終えて初めての急激な短期寒冷化期である、ヤンガードリアス期は、再びモンゴロイドの南下をもたらしました。それ以前は、南方モンゴロイドと北方モンゴロイドは同じモンゴロイドとはいえ全く接触なく個々に発展してきたのですが、この段階は南方モンゴロイドはかなり熱帯に移動していたため、北方から南下していったモンゴロイドたちは南方のモンゴロイドたちと接触し、融合していくことになります。
■1.3万年前~1.15万年前の急激な短期寒冷化期(ヤンガー・ドリアス期)(-7℃~-8℃)
1.3万年前から急激な短期寒冷化期(ヤンガー・ドリアス期)に入る。アジア大陸内部(中央アジア)では乾燥化が進み、砂漠が拡大した。
○バイカル湖地域
急激な寒冷化の影響で、バイカル湖付近に留まっていた中亜モンゴロイドが東回りでアムール川下流域に移動していった。一部はさらに南下し、中国や朝鮮半島、日本列島にも移動したと考えられる。この時期、シベリアは三度無人の地になった。
○Dスンダ・モンゴロイド
モンゴル高原のDスンダ・モンゴロイドが、急激な寒冷化の影響で、チベット高原(D1,D3)と日本列島(D2)に移動していく。それぞれ、チベット族、縄文人の主構成員に。

このように、温暖化→スンダランド海没が南方モンゴイドの北進を促し、その後の急激な寒冷化・乾燥化が再南下をもたらしたというわけです。アジア全域に広がったモンゴロイドの移動は、このあと繰り返される温暖化、寒冷化によってさらに加速されていきます。(次回に続く)
●モンゴロイドの移動図
http://www.rui.jp/docs/link/zukai20110105-1.xls [3]

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