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縄文探求シリーズ【縄文時代の生産技術】~中里貝塚に見る貝加工技術~

縄文探求シリーズ【縄文時代の生産技術】編もいよいよ3作目
今日は”中里貝塚に見る貝加工技術”についてです
みなさん、中里貝塚をご存知ですか 😀 ?
縄文時代中期中頃から後期初め(約4600~3900年前)の貝塚で、場所は現在の東京都北区上中里にあり、国の史跡に指定されている貝塚です
発見された時には、「縄文時代の水産加工場 」と大々的に報道されたんですよ
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では中里貝塚って、一体どんな貝塚なのでしょう
  
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特徴①日本最大級の規模
貝層の厚さが最大約4.5m、長さ約1km、幅約40m(最大100mとも言われてる)にわたり、その大きさは日本最大級
特徴②生活跡が出ない
中里貝塚からは、一般の貝塚から出土する土器や石器などの道具類や骨類などはほとんど出土されません 出土されるのは、ほとんどが真牡蠣(マガキ)と蛤(ハマグリ)の貝殻です。
道具類や骨類等、日常生活による遺跡がほぼ出ないということは、つ・ま・り・ここでは生活をしていなかったってこと
・・・とここまで来ると、なぜ中里貝塚が「水産加工場」と言われているかがわかりましたね 😮
そうなんです
中里貝塚は、複数の部族が貝を獲りに来てその場で加熱処理し、持ち帰るための加工場だったのです
たくさん獲った貝は、持ち帰るまでに腐らないようにその場で加工されます
加工方法は、砂地を掘りくぼめて粘土を貼り、木枠を設置した施設の発見により明らかになりました。
では、具体的にどのように加工されていたのか 🙄 ?
わかりやすい図とともに説明します。
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方法A
焼いた石を敷き、その上に貝を置く。
水をかけ、草木などで蓋をして蒸気で蒸し上げる
方法B
水を張ったところに焼いた石を投げ入れて沸騰させ、ゆであげる
このように加熱処理をした上で、離れた自部族へと持ち帰っていたようです
そして、そこに積み上げられた大量の貝殻が、この大きな中里貝塚として発見されました
* * * * * * * *
ところで、中里貝塚ではあまりにもたくさんの貝殻が発見されたので、交易品にするための加工施設では?という説もあるようですが、それは違う=あくまで自集団内での食糧にしていたと考えられます 😀
ちょっと試算してみました
貝塚の大きさは、長さ1km・幅50m・厚さ2mとして計算すると、体積は100,000m3(土や貝間の空隙分を考慮して、厚さを2mとしています)
貝の比重を2とすると、重さは約20万t
貝塚の期間が700年なので、1年あたり286t
貝の獲れる期間+保存できる期間を含め8ヶ月とすると、一日あたり1.2t
貝1個200gとすると、1日あたり6,000個食べていた
1集団30人×20集団が獲りに来ていたとして、人数は600人
1人1日あたり10個の貝を食べている
という計算になります。
自集団の食糧としていた量としては、すごく妥当な数字ですよね
なので、【縄文追求シリーズ】チームで追求した結果、「中里貝塚は交易のための加工場ではなく、あくまで自集団の食糧を加工していた施設」だと断定します 😀
次回の【縄文追求シリーズ】は、縄文時代の抜歯についてです
お楽しみに~

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