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寺子屋の教育とは?~明治以降の学校制度との比較より考察

最近「寺子屋」教育の話をよく耳にする機会が増えました。
寺子屋とは、武士の子弟が中心であった寺院の教育に対し、庶民を対象にした、「読・書・算盤」を中心に、生活に必要な実用的知識を身につけさせる、民間の教育機関でした。
この寺子屋教育については、当ブログや、応援サイトである「るいネット」等にもその内容が多く投稿され紹介されています。
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今日は改めて寺子屋教育とはどういったものなのか、それを明治以降の教育制度と比較しながら見てみたいと思います。
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まずは、当時の寺子屋でどんなことを、どのような方法で教えていたのかを見てみたいと思います。

寺子屋の学習内容(★江戸時代の寺子屋の暗誦教育 [4]より)
学習内容は、時代により地域により家業によって多種多様であった。とはいえ、圧倒的多数は、なんといっても「読み・書き・算盤」であった。なかでも手習いにはどの寺子屋も時間をかけ、手習いは中核であった。一人一人が個別に指導を受け、練習をしては師匠の前に進み出て清書をし注意を受け、また自分の机に向かうといった形式であったようだ。
師匠は頃合を見て一人の寺子を呼び出し、目の前で書かせ、朱筆を加えたり、運筆の順序、言葉の意味内容を教授したりした。師匠は一人一人の寺
子の年齢や進度、学力、性格、興味、家の職業などに応じて、手本の内容を変えるなど細かな配慮をして指導した。
手習い指導のとき師匠は「倒書」といって、さかさまに文字を書いてやらなければならない。「倒書」の技術に熟達しなければ寺子屋の師匠とはいえなかった。
寺子屋における手習いは、単に文字を上手に書くことだけが目的ではなかった。手習いで文字を学び、手本を読むことで様々な知識を習得した。手本の内容は、日常の躾、礼儀作法、教訓に至るまであった。この意味で、手習いは、近世庶民の子ども達の人格形成の根幹を支えていた修身教育にもなっていた。

寺子屋の学習形態
寺子屋は何人いても一斉授業ではなく、また年齢の異なる者同士が一つの部屋で一緒に勉強していた個別カリキュラムによる個別指導が行われていた。個別指導の対極にある一斉指導の少なさに特徴がある。師匠は、みずからの教職経験にもとづき、寺子各人の興味・能力の程度を考えながらさまざまな指導内容の工夫を試みつつ指導した。
もちろん一斉指導が全くなかったわけではない。しかし、これは多くの場合、九九の唱和など、音読による発声練習などの場合だけで、通常の手習い、素読(読み方)練習は個人教授であった。

注)さらに追加すると、基本的に男女は別学であったようです。というのも、そもそも男と女では学ぶべき中身が異なったからというのがその理由です。
(★江戸の教育~男は男の道を学び、女は女の道を学ぶ場 [5]より)
以上を見るだけでも私達が知っている明治以降の教育方法と、かなりの部分で違いがあることが分かります。
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(左:「日本の近・現代史の問題点 [8]」、右「日本教育史⑧ [9]」より)
○個別教育と、一律教育
寺子屋:寺子屋は上述したように、男女別学、個々人の習熟度に合わせて教師が生徒一人一人に異なるカリキュラムを与え、異なる勉強をさせています。
明治以降:基本的に男女、及び学年ごとに一斉授業。皆同じ教科書を使い、同じカリキュラムで学びます。
○庶民の生活に必要な実用的知識と、立身出世の為の知識
寺子屋:庶民の実生活に必要な、実用的知識の習得が目的
明治以降:国の「近代化政策」に乗り国を強くするため、国にとって都合のよいことを教える教育となり、官僚の任用制度と結び付けることで「立身出世」の為の勉強となった。
○誰の為の、何のための教育なのか
上記を見て明確なように、
明らかにその目的が異なります。しかも、一律のカリキュラムで進めれば、当然ついてこれない子供が落ちこぼれになると言うことを考えても、真の平等性はどちらにあると言えるのか。社会の役に立つ大人を作り出す事を考えた場合、どちらの方がより社会にとって好ましいことなのか。
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(「大村市HP [11]」より)
かつての日本人の勤勉性によって、世界でも例をみないほどの急速な成長を遂げた日本が、現在の世界的な経済危機や不況の嵐を乗り切ってゆくためにも、私達は教育と言うものの在り方について、もう一度見直してみる必要があるのではないでしょうか。

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