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日本人の子育て:明治時代の子育て等から~みんなで子育ての真髄を紹介

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新年、あけましておめでとうございます。
今年も、縄文ブログをよろしくお願いします。
 さて、本日は、初詣に出かけ、初夢を見て、これからの私たちのゆく方向を担う日でもありますね。そんな中、次代を担うという意味では、現在、もっとも心配とされる次代を担う子ども達の育て方(=子育てについて)であります。親としても指標が見つからないで迷っているところだと思います。
 一体、この子育ての真髄とは、どんなところを指標としたらいいのか?新年、早々、探って見たいと思います。
 いまや、充足することで、全てがうまくいく時代です。
充足発の本源思考 😉 😛 😀 😮
 逆に言えば、充足という共認形成をみなが渇望している時代であると考えています。これは、大人の関係だけではなく、子どもと親の関係、先生と生徒の関係、仕事関係、上司・部下の関係、再起底部の男女関係までもが、この充足という行為で満たされ、次のステップへと上昇してゆくことに繋がるのだろうと思います。その観点で子育ての真髄とは、この「みんなの充足」がキーワードとなっていると私は考えています。さて、この先は続きをご覧下さい。
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 まず、縄文ブログの得意とするところの、歴史を遡って、史実をもとに検証してみましょう。

 近代国家に変貌を遂げようとする明治時代が気になるところです。明治時代は、未だ、庶民の生活は、縄文時代から連綿と続く共同体の中で、子ども達は、育まれて、子育ても共同体の一員として、課題を担っていけるような成長を期待して、集団全体で子ども達を見守っていたと考えられます。明治時代の前史の江戸に遡れば、私たちの祖先であるモンゴロイドの柔軟性、協調性、受け入れ体質、大らかさなどの気質を受け継いだ本源的気質をもって、次代を担う子ども達の育て方を親たちは、身をもって体現してきたことでしょう。現在の利益優先、観念優先の私権社会における試験制度、官僚制度、観念教育、家庭の密室化による、虐待や育児放棄、理由なき殺人などの子ども達の精神破壊、肉体破壊、環境破壊を私たち自身が、意識を替えてゆくことで、本来の道へと方向修正する時代が到来していると思います。
 とはいえ、子育ての真髄とはいかに?と聞かれても直ぐに答えが出ないですね。では、参考となる記事からまず、ご紹介します。
★写真は、寺子屋の筆子と女性教師


江戸の教育を探る意義 [3]
共同体の子育て実現イメージ♪ [4]
全人教育って、なに?-3 @村落共同体の教育 [5]
『真似る』とは人類本来の充足体験 [6]
日本の伝統的な子育て(明治~1960年代) 1 [7]
日本の伝統的な子育て(明治~1960年代) 2 [8]
「日本の伝統的な子育て」を読んで [9]
などなど、他に一杯あります。
 人類誕生から500万年間から縄文人にいたるまで、私たちは、その充足→共感という気質を受け継いできました。共同性も勤勉性も贈与という集団間の関係維持の方法も、時には、生と死さえも、この集団の充足の中で、づっと生きながらえてきました。私たち日本人は、庶民レベルでは、江戸から明治にかけて、この気質を色濃く残してきた民であり、人々がお互い認め合う中で、明日の方針を決定して生活してきたのだろうと思います。どんな極限の環境の中でも、この成員全員の充足を求め続けた結果、人類種という種が進化し存続してきたのが事実です。その中でも子育てという特殊な場面を想定しているのは、現在だけであって、本来は集団のみんなで育てる中で、充足を共有し、こうすればいいんだとうことを子ども達も学んでいったことでしょう。みんなのために役に立つ、集団のために、社会のために役に立つことそのものが充足する課題であれば、おのずと子ども達もその課題に向けて自身から活力が沸き同化対象として深く理解してゆくのだろうと思います。
 もっとも、今の家庭では、子育てという機能を失っているということです。子どもだけではなく、親もどうしたらいいか?応えのないままの宙吊り状態なのでしょう。これを解決するには、いまの核家族のありようを見直す社会制度として必要なきがします。
充足のキーワードの主人公は女性です。女性の本質である充足という意識が、子どもたちに影響を及ぼすはずで、女性の充足できる場を男達が作り上げる必要があろうか?と思います。昔は、母系集団の中では、大らかな子育てが成立していました。父系集団でも集団の中での課題というみんなのための充足という意識はありました。みんなが充足するための場つくり、集団つくりからの子育てが必要な気がします。
 先も書きましたが、私たちが受け継いでいる、暖かい南方で多くの時間をすごし、食料も確保でき、大らかな人間関係は集団関係、その生活を営んできたモンゴロイドから縄文人へ引き継がれたこの「みんな充足共認」というキーワードは、子育て、それ以外にも、もっとも必要なものだと思われます。これが疲弊した子育て、教育を突破してくれる鍵となるだろうと私は思っています。

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