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縄文探求シリーズ【縄文時代の生と死】~土偶ってなんだ?~

😀 くまなです
 
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これらは国宝に指定された土偶たちです。
写真はじいじの気ままな雑記ノート [1]よりお借りしました。
土偶 [2]について、その解釈はいろいろあります。まだ答えは出ていません。これまで当ブログでも様々な観点から追求がされてきました。
縄文土偶~恵みをもたらす母神信仰から神話へ [3]
土偶は縄文人が観た精霊の姿 [4]
縄文中期の土偶たち [5]
様々な説からみる土偶とは?? [6]
土偶解明のキーワード [7]
土偶は妊婦を葬る葬儀品 [8]
土偶はすべて異様な顔をしている?? [9]
人口減少に憂う縄文人 [10]
 
今回は今後の追求のために、その基礎的データについてまとめます。
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1.土偶の出土数
 
2010年2月に開催された「国宝 土偶展 [13]」(東京国立博物館)での情報によると、これまでの土偶の出土数は約18000点に及びます。国立歴史民俗博物館 [14]では土偶のデータベースを作成しており、その件数は10641件(最終更新2001年10月)となっています。そこに収録された土偶のうち、遺跡年代が明らかな土偶10005個を時代別、地域別に集計したのが下のグラフです。
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図:時代別・地域別土偶の出土数
 
詳細データ:都道府県別出土数一覧 [15]
  
土偶の数は中期(約5000年前)から急増し、出土地域はほとんどが東日本です。都道府県別では岩手県2152個(21.5%)、長野県1140個(11.4%)、山梨県938個(9.4%)となっています。全期を通じて西日本(近畿以西)での出土数は502個(5.0%) 、うち熊本県が216、奈良県が195と両県で西日本の出土数の約82%を占めており、偏りが見られます。
 
 
2.土偶のかたち
 
土偶のかたちはどのように変化したのでしょうか。代表的なものをピックアップしたのが下の表です。
 
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クリックして大きい画像で見る [16]
 
かたちは単純なものから複雑なものへと移り変わっています。ただし、写実性が高まるといったものではなく、一貫して抽象志向です。また、約5000年前(中期)にかたちや大きさ、デザインの複雑さにおいて大きな転換点が見られます。
 
 
3.土偶の特徴
 
かたちや大きさがさまざまな土偶ですが、モチーフや出土の状況に共通点も見られます。(もちろん、例外もあります)
 
●形態やデザイン
・ほとんどが女性の姿を表している。(乳房・正中線・陰部・臀部など)
・妊婦のようにお腹の大きい土偶も多い。
・しゃがんでいるもの、乳児や壷を抱くもの(下図)もある。
 
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画像は大文字山を食べる [17]さん、「人間の美術」-2 [18]よりお借りしました。
 
●出土場所や見つかるときの状態
・大半が破損しており、完形品は少ない。
・住居跡(床・柱の下等)、貝塚、ゴミ捨場(と呼ばれている所) 、墓域などで見つかる。
・見つからない部位が圧倒的に多い。
・道具でたたいたり、切ったりするのではなく、掌の中でもぎ取るように割る。またそうしやすいように最初からつくってある。
・一体分の土偶をアスファルトで補修したものがある。
(参照:藤尾慎一郎「縄文論争」)
 
 
4.土偶の意味
 
土偶はなぜ、どのような目的で作られたのか。これまで出されている説について、るいネットの記事「土偶再考 [19]」から紹介します。
 
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地母神説:「土偶が表していた母神とは、人間の生活に必要なすべてのものを、生み出してくれる母なる大地を神格化した、大地母神だった。作物を栽培することが始まると、人間は、その作物を自分の体にほかならぬ地面から生え出させてくれる地母神に対して、よりいっそう強い信仰をもつようになる。それで里芋などの栽培を始めた縄文時代の中期の人々は、その地母神である土偶をそれまでよりもずっとたくさん作るようになり、いろいろな工夫をして入念に作るようになった。」 (吉田敦彦)
つまり、増殖のシンボルとして女性・女神をイメージしつつ、根源的な生命力を素朴に、しかし力強く表現したものとして土偶をとらえているわけです。しかし現代でも、人形は観賞用・愛玩用に限らず、祭り・儀式で用いられたり、「呪いのわら人形」といった呪術的用途も消えたわけではなく、実に多様な目的で用いられます。縄文期も決して一様な文化が長期にわたり停滞していたのでないことは明らかで、土偶も時代・地域によって用途がさまざまだった可能性もあります。したがって

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梅原猛説: 土偶は妊娠中に死にいたり、無念にも子どもを出産できなかった妊婦の無念を晴らし、同時に生をうけることなく死んでいった胎児をあの世に正しく送り返すための儀礼である。

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呪術説:のちのヒトガタ(人形)のように人の代用品として、病気の治癒や呪いのために用いられた。
などの説も十分ありうると思いますし、逆に一つで土偶すべてを統一的に説明できる説も出てこないのではないかと思っています。最後に、以前の投稿の繰り返しになりますが、小林達夫の魅力的な説を紹介します。

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>土偶を女性と決め付けて少しも疑いをいれない大方の先入観からまず開放される必要がある。乳房の 表現を、女性の象徴とだけ考えてはならない。・・・大きくて豊かな乳房の表現は、山形土偶や遮光 器土偶の中でもその一部の型式に見られるにすぎず、けっして多数派ではない。・・・
>したがって土偶は女性でも男性でもなく、また縄文人が己れの形を写したものでもなく、おそらくは 性を超越した存在のイメージ、すなわち何らかの精霊の仮の姿、と見られるのである。さればこそ、最古の土偶をはじめとする多くの土偶が、いかにも曖昧な形をとるのである。それは、もともとヒト形の必然性がなかったからであり、ヒト形に似たのは縄文人の考えあぐねた末の苦肉の表現なのである。
顔の表情を具象的に表現するだけの技術は持っていた(火焔土器の高度な技術を見ても明らか)にもかかわらず、なぜ土偶の顔はかくも曖昧なのか、この説はそれに対する答えとして、核心に迫っていると思われませんか。少なくとも初期の土偶は、「まさに現象世界の背後に直観した不可視の精霊のイメージを、彼らなりに、精一杯、形而下の世界へと持ち帰った結果」だと思えてしかたないのです。 

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女性や妊婦の表現は、“精霊”なるものを象徴するシンボルなのでしょう。
 

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