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シリーズ「インドを探求する」最終回~インドはどこに向かうか

予想通り瞑想(迷走)した展開になりましたが、何とか最後まで来ました。
第1回の記事 [1]より少し抜粋します。
>その経済成長だけでなく活力、体制とも世界中が注目しているインド、なぜ今インドが元気なのか?その本質的な原因は何か?インドから何が学べるのか?
この混沌たるインド、活力溢れるインド、いくつもの顔を持つインドに次代の世界秩序を牽引する可能性はあるのかについて一定の答えを求めて行きたい。
こんな問題提起から始めました。
また、最初に立てた3つの問いです。まずはブログの記事にそってこれらの問いに答えてみたいと思います。
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インドのカースト制度とは何か?どのような効果を発揮したのか?
シリーズ「インドを探求する」第8回~インドにカーストが発達した理由、継続した理由~ [4]

弱者敗北集団であるアーリア人の最初の一派は争わずにドラビダ人を支配する為に祭祀やそれを正当化する宗教―バラモン教を作り上げる。バラモン教はその後、支配色を強める事で仏教などの反撃に遭うが、後にバラモン教を大衆化した宗教―ヒンズー教を作り上げ、その中で再び階層を正当化するカースト制度を作り出す。カースト制度は血縁や職業の継続を肯定しており、土着であるドラビダ人の思想やインドの歴史を組み込んで大衆共認に支えられて継続した。結果的にはインドの秩序を維持する上で欠く事のできない制度となった。

インドではなぜほぼ同時に数学・天文学・医学が誕生したのか?
シリーズ「インドを探求する」第6回~インド哲学はなぜ起きたのか [5]
シリーズ「インドを探求する」第7回~インド哲学は何を解明したか? [6]

原点はインダス文明以前の農業にある。インダス文明時代に数学や天文学の基礎を得たドラビダ人を後に支配したアーリア人が吸収し、その認識体系を彼らの宗教(バラモン教、ヒンズー教)に組み込んだ。なぜインドが他の地域に先んじて、さらに独自にそれらの認識を作り上げたかについては農業生産社会を戦争勃発した私権社会以前に作り上げていた唯一の地域であったからではないか。
裏返せば自然を徹底的に注視し、自然の摂理に同化する事が農業の発祥を生み出したとも言える。

インドで発生した仏教がなぜインドに根付かなかったのか?
シリーズ「インドを探求する」第9回~なぜインドで仏教は誕生し、衰退したのか<その1>~ [7]
シリーズ「インドを探求する」第10回~なぜインドで仏教は誕生し、衰退したのか<その2>~ [8]
シリーズ「インドを探求する」第11回~なぜインドで仏教は誕生し、衰退したのか<その3>~ [9]

釈迦はバラモン教の拡大により肥大する私権社会を何とかしなければと純粋に思い、本源回帰の道を探った。しかし仏滅以降の仏教は上部座と大乗に分断され、かつ土着の大衆意識を汲み取れなかった。
同時期に発生したヒンズー教がインドの第一宗教となり、仏教が排斥されたのはイスラム教による影響はあるが、本質はインドの(私権)秩序維持に対して仏教が適応していなかったからではないか。
他民族が共存し様々な民族間の軋轢があるインドを統合するにはヒンズー教的土着のバックボーンが必要不可欠であった。仏教が根付かなかったのは思想の問題でなく、統合手法の脆弱さ故であった。

ではその仏教を凌駕したヒンズー教とはどのような宗教か?シリーズ「インドを探求する」第12回 ~ヒンズー教からインドの謎にせまる [10]

ヒンズー教は、その異文化への受容性の高さが、すべてを飲み込み、ヒンズー化=インド化していくという特質を持つ。
またヒンズー教の教義や理論を受け継ぐバラモン層だけでなく、すべての階層の人々にとって、生活や因習と密接に絡まりあったその有り様は、カースト制というインド独特の身分制度を残存させる要因である一方で、いざとなれば広大で多様なインドの諸民族を精神的にも一つにまとめる潜在的な力を持ち続けている。

なぜ今インドが元気なのか?その本質的な原因は何か?
最後にそれを考えてみたいと思います。

インドの可能性を示した記事を紹介します。
「インド人とはいかなる民族か?~日本人とインド人の評論から」 [11]
【インド人の特徴】

・自分流のライフスタイルを固持する一方、他人のライフスタイルには干渉しない。しかし新しいものに対する好奇心はとどまることがない。
・インド人は頑迷固ろうではない。新しい考え方やシステムを受け入れる資質がある。
・インド人は原理原則を大事にしながら、発想にタブーがない。
他人との議論を好み、その議論から弁証法的に思考を発展させる。他人の議論を聞き、それを自家薬籠中のものにして、更に先に進むことを健やかにやり遂げる。知的好奇心が他人の議論を聞くことにつながっている。
・ドイツ人や日本人はシステムの中でこせこせと念入りすぎるような働き方をしますが、インド人はシステムを超えて、あるいはその外で、問題解決を図ろうとするのです

シリーズ「インドを探求する」第13回~インドにおける可能性の実現基盤 [4]

カースト制度は、圧倒的多数を占める下層民の私権追求の可能性を封鎖することによって、私権をめぐる争いを制御してきたという側面と、下層民の社会に対する当事者意識に蓋をし続けたという側面を併せ持ちます。(中略)
戦後インドを指導してきた「国民会議派」は、今日では国会で過半数をとれず、下層カーストとダリット出身の議員が多い「中道・左派グループ」が進出してきている。残りは、北インドの上位カーストを中心に組織されたヒンドゥー教至上主義を唱える「インド人民党」があり、パキスタンとの紛争や原爆実験など保守系の民衆を煽って国家権力を握っている。
支配階級から最も遠い位置に生き続けてきた人々こそ、「インドなるもの」=共同体的体質を残存しており、これからの恐慌→脱市場社会で答えを出せる可能性を秘めた層ではないでしょうか?

インドの民主主義を根幹から支える制度に、パンチァヤット制がある。元来、南インドで根付いた村落共同体の治世制度だが、その後、全インドに広まった。
1993年の憲法改正で、パンチァヤットの議席の三分の一は女性枠と規定したが、現在、女性枠を50%に引き上げる憲法再改定が検討されている。州によっては50%を女性枠と規定し、既に実行している州もある。この憲法再改定を支えているのは、西洋流の平等・男女同権などという、底の浅い思想ではないのだと思います。
きたるべき経済破局下では、【秩序は維持されるのか?】が極めて重要な意味をもちます。このとき、貧困下に置かれ続けながらも、村落共同体の成員の力で乗り越えてきたしたたかさこそが、最大の武器となります。
残存している《母系制社会で培われた女たちへの役割期待と共同体的資質》。これこそが、インドにおける可能性の実現基盤なのではないでしょうか?

脱カースト、女性の社会進出がインドの可能性基盤であるとnaotoさんは指摘しています。

インドを探求する。このシリーズで最初に着目したのは日本との近似性です。
しかしインドを調べれば調べるほど日本とは異なる歩みをしてきた事がわかります。
最も異なるのが厳しい身分制度であるカースト。それを宗教の中にまで取り込んで正当化してきた根の深さです。日本も同様に封建社会の中で身分制度は確立されていきましたが、インドの比ではありません。
唯一同じなのは共同体としての本源性が破壊されていない事と、それがいかなる時代でも常に秩序維持へと為政者と国民のベクトルを共に動かしてきた点です。また、インドの柔軟さはnaotoさんが紹介いただいた憲法改正の件からも他国にないものを感じます。議員の女性枠を50%にする等という発想は日本においては何年先になるでしょう。
なぜインドが柔軟なのか、なぜ秩序を重んじるのか?その答えはインドの歴史を遡るしかないでしょう。
アーリア人、ドラビダ人という2つの別々の人種が共存し、互いに居住域を持ちながらも交わり同じもの(ヒンズー教やカースト制度)を共有する不思議さがインドの本質でもあります。彼らはこれほど大きな大陸や人口を有しながら、ばらばらにならないのは根底でなにかインド的なる物を共有しているからに違いありません。さまざまな外圧を受けながらその都度どうする?を考えてきたインド人の足跡の集大成が現在のインドを支えているのかもしれません。
そしてインドを最も一つにしているのが西欧社会への決別の意識です。イギリスに300年も植民地にされながら、インドとしての魂を失わなかった。これは筋金入りです。
インドの可能性とは21世紀に既に完全に綻びに入った欧米社会の裏返しとして今注目すべきなのかもしれません。そしてそのインドが最も親しい国として、見ているのが日本です。これは日本にとっても大きな可能性なのではないでしょうか?
蛇足~インドの探求はこれで終わりますが、まだまだ追求し足りないことがあります。
下記の点をいつかどこかで探求できればとおもい書いておきます。
1.古代インドと日本の関係~タミル語は日本語の祖語であるという観点から日本―インドの古代の関係をみていきたい。
2.インドの女性力とは何か~これは日本の女性観にも直結する事ですが、女性の地位が古来から低かったとされるインド社会。実態はインドの女性は社会の羅針盤として機能していたのではないか?
3.インドから離れた仏教~中国と日本でなぜ拡大できたのか。
インドは市場化の波に揉まれながら今まさにどちらへ向かうか岐路に立たされていると思います。
【市場化⇒自我の肥大⇒集団・国家秩序の崩壊⇒バラバラの個人】
【市場化⇒秩序崩壊の危険⇒答え探索⇒法制化⇒脱市場⇒共認社会の実現】
急激な政治的変化や法制の転換もその波を何とか押さえ込もうとしているように見て取れます。
しかし論理的にすっきりすればそれで社会を変えてしまうインド人の頭脳は日本が辿ってきたような豊かさ実現⇒私権の崩壊⇒秩序不全というループを通らずに一気に共認社会の実現へ向かう可能性も秘めています。いずれにしてもここ数年のインドの動きには目が離せないものになるでしょう。
今回の縄文ブログを機に私たちも読者の方もインドのニュースに時として注意するようになれば幸いです。世界の国々の抱えた課題と次代の可能性を探る~これからも縄文ブログでは定期的にトライしていきたいと思います。

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