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学者による集落論第2回【縄文の集団に学ぶ~その7】和島家族論って本当?

Posted By sawatan On 2010年8月2日 @ 7:00 PM In 縄文人の集団統合 | No Comments

集団の分化・統合を解明するには、当時の外圧状況において、集団の最基底部にある男女規範、婚姻制がどうなっていたのかを仮説を元に組み立てていく事が不可欠ではないかと思います。 次回は、和島論についてもう少し詳細に見ていきます。学者による集落論第1回【縄文の集団に学ぶ~その6】 [1]
前回のsinkawaさんに引き続き、学者のよる具体的な集落論・家族論を見ていきたいと思います。今日は、和島誠一さんによる和島家族論です。
実際に読んでみるとどうもわかり難く、一方で本当?と感じるところがあります。その部分も含めて、和島さんは何を考えたか?詳細に追ってみたいと思います
byさーね
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るいネット [4]和島家族論 [5]を参考に読み解いていきましょう♪

1・資源の集団的な所有と集団婚の基礎の上に立つ縄文時代には、集落自体が母系的な氏族共同体的性格をおびた一つの「強固な統一体」として存在し、住居の配置から生産・祭祀・埋葬の各面にわたる強い規制力を発揮する、と言うのです。
2・このような、いわば「自然発生的な血縁集団」の内部では、独立的な小家族の形成は困難。「同じ棟の下に一つの炉を囲んで住む一団の人々」はあくまでも「同質の劣弱な単位」にとどまっており、わずかに生活の構成の面においてある程度の独立性を発揮しうるにすぎない、としています。

縄文時代は採取漁労が主要な生産様式であり、父系制の狩猟や遊牧洋式と違って母系制。集団第一だったということ。和島さんは、かなり集団統合という意識が強かったと言いたかったのでしょう。

3・個々の竪穴の成員数に関する記述はあっても、成員の中味に関する具体的な説明は不明瞭1958年『原始集落』で、「一竪穴の成員は、ひとつの血縁集団のなかでの自然家族を単位とするものと思われる」という記述があり、この問題に関連して「男二人、女二人と一人の子供が、中毒死か何かで折り重なって倒れていた」千葉県市川市姥山遺跡B9号住居址内遺棄人骨資料の引用が行われています。…(中略)…
4・この時期の通婚や交換関係などを通して恒常的に接触し、緊密な結びつきをみせることになった各集落は、採集経済の発展とともにやがて「地域社会」を構成するようになる、としています。こうした「小社会」が氏族の広がりを示すものなのか、それとも「部族的結合」といった存在を意味するものなのかについては詳述されていません。

血縁集団の中で竪穴式住居という住居様式から、自然に家族のような単位になったという捉え方であり、まだ家族ではないということ。婚姻制は、竪穴の中で、5~6人程度の単位で、同じ火を囲み、同じ性を分け合っていた共食共婚 [6]の可能性が高いと思います。
縄文時代の母系制による集団としてのまとまりが強いために、この辺の地域社会や集団の結合といった当りは、果たして本当なのか?確信が持てなかったのでしょうか。

5・これに対し、「父権が母権の強い抵抗をうけながら、覇権を確立しようとした時代」すなわち、一方で前代からの集団婚的な伝統を残しながら、すでに対偶婚が行われつつあった時代とされるのが続く弥生時代であり、水稲農耕の開始とその発展に伴う私有財産萌芽的な階級分化の動きと照応するようにこれまでの氏族共同体的な関係が解体し、生産の面でも消費生活の面でも一定の独立性をもった水田経営の主体たる小集団が集落の内部に分岐するというのです。

ここから弥生時代に突入します。採取漁労生産から稲作生産へと劇的に生産様式を変化させた過程において、土地の占有=私有財産という意識が人々に発生。集落の中で小集団に分離していったというストーリーですね。

6・「全体が一つの単位」をなす縄文時代には認められなかった、上記の「新しい小集団」こそは、数軒の住居を単位とする「世帯共同体」と呼ばれるものであり、「家族の前身」にほかならないと言います。しかしそれは、集落の構成要素としてなお「生産の統一体」たる集落全体に依存し、その規制を多く受ける立場にとどまっています。…(中略)…
7・この「新しい小集団」の性格も、階級分化の進行とともに変質し、古墳時代の後半には、大小の規模を異にするいくつかの住居の集合体である「小世帯の群」が出現します。…(中略)…母系制の名残りともいうべき夫婦別居制の伝統を強く残した、家父長制的な大家族の登場の中に、「やがては更に後世の小家族発生の前奏曲」を見出しうる、というのです。

弥生時代に家族の起源がある!と…
以上が【和島家族論 [5]】です。
和島家族論からは、どの時期に現代でいう家族の起源があるか?という視点で考えられているような気がしました。面白いのは、縄文時代の「集落自体が母系的な氏族共同体的性格をおびた一つの「強固な統一体」として存在し…」という言い回しです。家族=個に対して、なんと集団性が高いんだろう?和島さんはそのように感じたのではないでしょうか。
さらに言うならば、僕は弥生時代の分析にどうも間違いがあるのではないかと考えています。小集団化したのに違いはありませんが、それをいきなり家族と捉えるべきか?確かに、渡来人の支配下に置かれ、稲作生産を通して小集団化していったとは思いますが、大衆は村落共同体としての規範を構築し、集落の統合を維持していったとも考えられます。
近代の家族主義や考古学という枠の中で追求していった結果、このような家族論的な視点で論理が構成されてしまったように感じました。(賛否両論あるかと思いますので、コメントよろしくお願いします!)
次回は、水野家族論の紹介を通じて、縄文集落の有り様をさらに解明していきましょう! :o


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[4] るいネット: http://www.rui.jp/

[5] 和島家族論: http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=25324

[6] 共食共婚: http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000163.html

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