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シリーズ「インドを探求する」第7回~インド哲学は何を解明したか?

さて、インド哲学、具体的にはどういうものなのか?
さわりだけですが紹介してみたいと思います。インド哲学の第一人者の宮元啓一氏の書籍からの紹介です。
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実在論哲学

インド哲学というとなにか神秘的なもののような印象を持たれがちなのだが、それはことの一面に過ぎない。他の一面では、インドは論理的反省としての論理学に裏打ちされたたいへん合理的な哲学体系をいくつも生み出してきた。
ヴァーイシェーシカ哲学体系とはその最たるものである。この哲学体系は紀元前2世紀に、西北インドを支配したギリシャ王国の勢力圏内で、インド古来の哲学的思考とギリシャ哲学が正面から出会ったところから生まれたものである。ヴァイシェーシカ学派は後のインド哲学に多大な影響を与えている。
その哲学を一言で言えば、徹底した実在論哲学である。すなわちすべては知られるものであり、言語表現されるものであり、また逆に知られるもの、言語表現されるものはすべて実在である。というのがその根本的な主張である。つまり、この場合の実在論とは、観念論との対比でいわれる実在論ではなく、唯名論との対比でいわれる実在論である。
「知られる」というのは「知覚される」だけでなく「推理される」ということも含み、西洋哲学が推理、推論にほとんど関心がない事に相対している。

インド哲学の最初

インドにおける最初の哲学者は「有(あるもの)は有からしか生ぜす、けっして無からは生じない」という論理的反省の上に「有の哲学」を展開したウッダーラタ・アールニ(紀元前8世紀~7世紀)である。
かれによれば、世界のすべての事象は「ただ有る」としかいえない唯一無二の根本有が、ただ自己のみを契機として流出したその結果であり、名称によって多様であるかに見えるが、本質的には「有」にしかほかならない。彼の哲学は流出的一元論であるとともに、唯名論でもある。

実在論における絶対無

無を扱う事に慣れていない西洋哲学の発想法からは考えにくい事であるが、インド人の無からすれば何という事もない。インドの言語では「この床に水がめがない」という文は、簡単に「この床に水がめの無がある(実在する)」とか、「この床は(実在である)水がめの無を有する」と言いかえられるのである。ちなみにインドの哲学者は、西洋の哲学者と違って、抽象的な無を考える事はない。無は「ただの無」ではなく、あくまでも水がめの無であるし、また無は根無し草のような「どこにあるともない無」ではなく「この床における無」である。インドの哲学者はこのように無と相対者と場の3つをワンセットにして考えるのである

さらにインド人の特徴として記憶力がなぜよいのか について著書は触れている。

インド人の持っている資質のうちで特筆すべきものは彼らの論理的思考と共に記憶力である。インド人は私達が信じられないような膨大な記憶容量を持っている。子供がシバの千の異名をとなえるなどは当たり前で、あるパンディシャットは言われるままに一晩中哲学の学説を語り続け、朝になったら一冊の本ができあがったなどという逸話もあながち嘘とは思えないのである。
記憶力の良さは単に能力の問題ではなく、それを生かすための記憶術の問題でもある。基本的に口伝が知識を伝える手段であった頃、記憶するのに便利なように、教義や学説を警句や金言のような短い散文の形にして、まるで美しい花びらを糸に通して花輪を作るように、それらをまとめていた。そしてこれをスートラ(糸)と呼んで、弟子達は師の注釈とともにそれを学び、記憶していったのである。したがってインドの多くの学者はみずからよりどころとなる教説をスートラとしてもっている。

以上いくつか紹介しましたがいかがでしょうか?
インド哲学に馴染みの薄い私達は、これを聞いてもなんじゃこりゃ?となるわけで少なくとも、なぜ有やら無や宇宙を議論して考え尽くさなければならなかったのか、その背景がよくわかりません。しかしギリシャ哲学にせよ、インド哲学にせよ、2600年前、宗教の誕生とほぼ時期を一致して登場しました。この時の世界の状況はほぼ同じです。
それまでの部族連合が、国家という大きな枠組みに変化する直前の時期です。言い換えればそれまでの顔の見える共認という手法の集団原理から顔の見えない国家という超集団原理へ転換する時期です。この時に起きたのが宗教にせよ、哲学せよ、未明なもの、未秩序なものを統合したいという統合機運だったのだと思います。
ギリシャ哲学は数世紀も経つと風化し、その後どんどん新しい科学体系が生まれ実践場面からは消えていきました。しかしインドの場合はその本質は現在までヒンズー教という宗教の中に落とし込まれ、使われています。
インド人がなぜ理論的に物事が考えられるのか?この問いに対して著者はサンスクリット文字を引き合いに出しています。サンスクリット文字は当時バラバラであった民族間の言語を統合する為に生まれた人工言語です。サンスクリット文字を作り出す中でインド人は文法学を編み出し、その過程で公理体系を作り出したのです。この公理体系は世界最古の論理体系で、インド哲学がギリシャの哲学に比べてはるかに論理的志向性を有している根拠でも有り、現在のインド人がなぜ議論好きで理数系が得意なのかの理由もここにあるのです。
また、インド哲学はその前に作られたウパニシャッドを下敷きにしています。ウパニシャッドはさらにその前のヴェーダーを下敷きにしています。
つまり、インド人のすごいところは、良くも悪くも古代から現在まで一貫して断絶せずにに思考体系が繋がっており、新しいものを取り入れ古いものを否定して変化していく世界の諸地域と一線を画しているからでもあるのです。
おそらくその理由はインド哲学の本質の中にインダス文明、それ以前に培われた自然を対象とした認識体系が基本にあるからではないかと推察します。
インダス文明は世界でも突出して非常に発達した農業文明です。インド人(ドラビダ人)達はインダス文明やさらにそれ以前の経過の中で天文学と高度な計算能力を身に着けていったのです。
それはインダスの農法が気候を利用した氾濫農法という手法を取っていたことと関係があるのかもしれません。
インドでは数学も非常に早くから発展し、ゼロの認識や数々の数理公式が既に紀元前には定着していた可能性があり、その洞察力や追求力は私権時代以降に発生した他地域(西洋やイスラム)に比べて比較にならないほど早く、レベルの高いものが登場しています。なぜインドにそのような頭脳が登場したのか?インドの乾季と雨季を繰り返す厳しい自然の循環とそこから培った認識体系が基盤にあるのではないかと思います。

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