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『縄文の集団に学ぶ』第1回【縄文を学ぶ位置付け-1】

もう一度学びたい…大人向け歴史教科書の売れ行き好調 [1]
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産経ニュースより
最近は、歴史を学ぶ人が増えているようです。社会人になり、歴史を学ぶと面白いだろうなーと僕自身もよく思うし、僕の身の回りの人々も同じように感じているようです。
ところが、学校教育を通じて触れてきた歴史は、実はとても狭い範囲に限られています。西暦が示すように、約2500年間くらいの範囲が主に取り上げられ、中身は人物や出来事を中心に、テストや成績のために覚えるというような勉強でした。
今回のシリーズ『縄文の集団に学ぶ』は、我々が主要に学んできた約2500年の歴史の前の約12,500年の歴史です。日本の歴史を縄文時代からと考えれば、約15,000年の歴史になり、日本の歴史の約80%。現在の日本人に、塗り重ねられたものがきっとあるでしょう。
第1回は、まず現代社会の歴史教育の問題を取り上げたいと思います 😮
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byさーね

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歴史を学ぶ重要性は、教科書においても認識されていると思います。
問題は、内容を削ろうとしたときに、真っ先に「縄文時代」が対象になる、すなわち、軽視されていることです。(小学校の教科書)
さらに、通史の中でちゃんと扱う中学の歴史の教科書においても1ページにさらっと触れられている程度です。
国も学者も、縄文時代を学ぶ価値を見出せていないのではないでしょうか。
このままでは、争いや支配を生む私権時代が人類の歴史のすべてであるかのような認識を植えつけ、子供たちは社会について偏った見方しかできなくしてしまいます。
歴史を学ぶ意味は、社会の構造を塗り重ねとして学ぶことです。縄文時代をちゃんと学ばないということは、その最基底部にある構造を知らないということであり、社会を上辺でしか認識できないということです。
争いや支配を前提とした社会認識では、次代の可能性は分からないし、教えられないでしょう。

るいネット [4]
教科書の問題は、縄文(本源)時代の軽視では? [5]
縄文時代を学ぶ価値とはなんでしょうか?改めて、認識すべきところだと思います。
我々が学んできた歴史は、あくまで時の権力を握った支配者,制度,それにまつわる争い,出来事です。あるいは、偉人であったり,学者や思想家の登場のように、実は、上流階級に焦点を当てた歴史であると言っても良いと思います。
その上流階級がつくった現代社会が、どうにもならない状況になっている。歴史を学ぶならば、上流階級が塗り重ねてきた社会の歴史を学ぶのではなく、底辺を支えた大衆の歴史にこそ可能性があるのではないでしょうか。
さらに、縄文時代は、支配者が全くおらず争いも皆無。全てが大衆皆で創り上げた時代であり、一体どのような社会構造であったのか?未だに未解明な部分が多く、逆に、現代社会において、重要な歴史認識や社会構造が隠されている可能性がありそうです。
『縄文の集団に学ぶ』シリーズでは、現在の学説や事例を通して、彼らの意識構造や社会構造をより掘り下げていこうと思います! 😮

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