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インド人とはいかなる民族か?~日本人とインド人の評論から

こんばんわ。インドシリーズ3回目です。
>インドの概況がわかったところで、次回は巷のインド評について紹介してみたいと思います。
前回の記事の巻末を受けて今日は巷のインド評を扱ってみます。
日本人とインド人、それぞれから見たインド評を掲載してみたいと思います。
まずは紹介する2冊の本の表紙から・・・
「インド人とのつきあい方」 [1]~清好延氏
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「インド人の秘密」 [2]~パバン・K・バルマ
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インド人は優秀であるという話はよく聞きます。
また実際にもIT立国として世界で認められてきています。
インド人がなぜ優秀なのか。どのように優秀なのか?
まずは清好延氏の「インド人とのつきあい方」から紹介してみたいと思います。

【インド人の優秀さとは】
インド人は多様性の世界の中で他のコミュニティーに対する無関心と知らないことに対する飽くなき好奇心をバランスよく使い分ける能力を持っている。自分流のライフスタイルを固持する一方、他人のライフスタイルには干渉しない。しかし新しいものに対する好奇心はとどまることがない。無関心と好奇心を上手に使い分ける能力のうち、好奇心が学校での勉学の態度に出る。彼らは非常にまじめに勉強する。それがアメリカの博士号でインド人が最も多いと言われることにつながる。
インド人の優れた頭脳が今、世界のITをリードしている。インドの高等教育機関であるIITの競争率は60倍ほどあり、「ITTに入れなかった若者が次の選択肢としてアメリカのMITに行く」という話はジョークではない。そのくらいインドの先端教育は進んでいる。従来のインドの教育が暗記主義であったが、今はその思考を無限に伸ばす方向に転換している。インド人は頑迷固ろうではない。新しい考え方やシステムを受け入れる資質がある。日本人の資質に現状維持というものがあり、インド人もその面があるが、進取の資質もあることを忘れてはならない。インドの多様性はそこからも生まれる。
インド人の進取りの資質とは何か?関心がもたれる処である。
【インド人の発想の基点】
インド人は原理原則を大事にしながら、発想にタブーがない。
他人との議論を好み、その議論から弁証法的に思考を発展させる。他人の議論を聞き、それを自家薬籠中のものにして、更に先に進むことを健やかにやり遂げる。知的好奇心が他人の議論を聞くことにつながっている。
インド人の発言は素直だ。他人の議論は聞き、それを得意な英語力で提案としてまとめあげ、説得力のある論法で発言をする。国際的な組織で活躍できるのは当たり前であるがそのようなインド人を傲慢と見て毛嫌いする人もいる。
それでもインド人は理想の人種かもしれない。内省的でかつ外には発言し、禁欲的であって享楽的でなく、人の心の問題ほど面白いものはないことを知っている。アヒムサー(非暴力)も合わせて考えれば、インド人の精神世界とその資質は世界で一番ではないだろうか?
インド人の共認欠乏は人より人の先にある情報や認識にダイレクトに向かっているのではないだろうか?
【リーダーは細部まで指揮する】仕事の上で意見が異なる場合は、上司が決める。それが上司の権限であり、職務であるからだ。それにより上司批判や私怨にはつながらない。上司はプロジェクトの細部まで知っていないとそのような捌きができない。その上で過不足なく部下やスタッフにあらかじめ職務や業務を割り振る必要がある。
日本式ではチームをまとめ、総合力を発揮させるのがリーダーの主たる仕事になるが、インド式ではリーダーは仕事の細部まで承知のうえで部下にあたる指揮官となる。インドの会社であればその会社の社長がすべての細部まで知っている。考え方が違う人々が仕事をやり遂げるのであり、それを統括してやり遂げるのがプロジェクトリーダーであり社長である。
インドの上司とは名実ともに上でなければならないようである。日本の組織にあるような甘さはない。
【責任はいつも自分の中にある】インドは狂犬病が世界一多い国である。
日本人でも野良犬にかまれる人はかなりいる。かまれると、その犬が狂犬病かどうかはすぐにわからないので、狂犬病を発症させないための注射を約3週間打っておく。1年間で狂犬病で命を落とす人が2万人を超えると言われるインドだから、注射せざるをえない。ところが野良犬を駆逐するという話はインドでは聞いたことがない。
あくまでかまれる人が悪いので犬は不問である。動物や自然と共生しながらすごすインドでは動物にかまれないようにするというのがオウンリスクという考え方である。つまり断崖絶壁にも柵はないというのがインド流である。自然には赤信号はないし、柵もない。一人一人が自分の行動に責任を持って生きていくのがインドの社会のベースになっている。
【不都合も社会のせいではない】
何か不都合があると、社会や国のせいにする日本流とは大いに異なる。
子供が事故にあったときに児童遊園地の遊具のせいにすることなどインドでは起こりえない。木登りして落ちても、それは木のせいではないこともインド人は知っている。交通事故で多くの死人が出ても、車が人殺しの武器ではないことをインド人は承知している。博打好きなインド人がお金を失っても、やり方が下手だということはあっても博打が悪いとは思わない。
衆を頼んで、物事を解決しようなどとは通常は思わないのがインド人である。時の政治が悪いと考える人たちは、次の選挙で静かに反対派を選び、政府を変えている。常に自分の判断と信仰とアイデアで生きていくのがインド流で、人の話に乗って何かをやらかしても、それはその人の判断でやったことであり、オウンリスクという話になる。
これはインド人をよく書きすぎているきらいはあるが、日本人と明らかに異なる価値観で生きている民族である。
【暴力によって服従させない伝統】
多民族、多コミュニティーが存在するインドでは暴力は物事を解決する手段として採用されなかった。バラモン教に端を発する、暴力を否定するアムヒサー、すなわち非暴力とは、自然の動植物を対象として初めは説かれたという。
それがヒンズーイズムの中でのちに人間関係の中にも導入された。紛争の解決に暴力、腕力を導入しないことは原初の世界では考えらない知恵である。暴力での紛争の解決は勝利者に正義があり、敗北者は勝利者になる機会を狙うため、愚かな歴史の繰り返しになる、というを喝破してた。
多様性の世界とは、いろいろなコミュニティーが共生する知恵の産物である。暴力の正当化は覇者の誕生を促す。アムヒサーの世界では、王は存在しても、他者を暴力的に服従させる覇者は出なかった。他を暴力的に服従させることは、神、すなわち自然の摂理が認めなかったからである。
インドの最大の特徴は侵略の為の戦争をしてこなかったという歴史的事実である。ひたすら防衛のための軍隊は作ってきたが、非暴力の思想はかなり徹底している。

インド分析について続けてみたいと思います。
今度はインド人自身が書いたインド評からの紹介です。パバン・K・バルマという著者でインド外務省員を経験されたエリートです。著書「インド人の秘密」より関係する部分を引用しながら考察していきます。
【インド人はなぜ無関心なのか?】著書のあとがきからの抜粋です。
「インド人は不平等や汚職や災害にあった人々に対しては驚くほど無関心でいられるのは自己中心性が強いからだと思います。インド人は実利を追い求め、その結果、往々にして道徳観念に欠けた見方をします。ヒンズー教には原罪の概念はなく、どのような行為も状況次第で正当化され、神々ですら日常的に賄賂を得ています。このように贈収賄は風土独特のものになり、よい結果が得られる限り、悪であるとは考えられていません。」
「インド人は血縁、カーストコミュニティーなど大きな社会グループに属していますが、個人としてのインド人は一般的に強迫観念に捉われ、自分の殻の中だけで勝ち負けに終始する傾向にあります。人間は運命を背負って生まれ、前世のカルマ次第で、今栄えたり、苦しんだりすると認識されています。階級性は社会に不可欠なもので神聖な是認なのです。低いものは恵まれないように定められ、トップにあるものは当然の権利として多くを持てるのです。」
【インド人はシステムを超えて問題解決を図る】著者はこれを強者にとって都合のよい考えと指摘しており、たとえ将来、世界のトップにインドが成ったとしても世界から尊敬される国民にはなり得ないと危惧している。また世界中のインドに関与したビジネスマンや旅行者が騙されたり、抜け目なく商売をされたりした事で多くの人が苦い経験を持っておりインドは拒絶されていることも認めている。
しかし、インド人の特性であるIT技術への国家的発展に至る発想に着目し、こうも書いている。
「ドイツ人や日本人はシステムの中でこせこせと念入りすぎるような働き方をしますが、インド人はシステムを超えて、あるいはその外で、問題解決を図ろうとするのです
著者が書いたシステムを超えて問題解決を図ろうとするインド人の実態とはいかなるものか、既存のシステムに未だ手足を縛られて中々次の一歩が踏み出せない世界の先進国を尻目にインドの優位性はここでも可能性として登場しています。
著書の中では「秘密」の中身がかなり濃厚に書かれていますが、紹介はここまで。
後はこのシリーズの後の投稿に委ねたいと思います。
🙂

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