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「贈与」に何を学ぶべきか!~8.共生するための贈与☆

こんにちは 😀 「贈与」に何を学ぶべきか!」シリーズもいよいよ8作目です
前回は、カッピカピさんが①人口増加と生存域の拡大が、同類緊張圧力を生み出し、それによる同類間の闘争を回避するために贈与が始まったこと、②豊かさによって徐々に失いつつあった縄文人の『活力源』であることまでを解明してくれました
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それでは、引き続き「贈与」の追求です★★★
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るいネット「採取時代の適応原理 [3]」より引用します。
                     

>贈与も同類闘争からの抜け道(回避策)としての共生(取引)原理に基づいたものだったのかもしれませんね。
採集部族や狩猟部族が採った同類緊張圧力の回避戦略が贈与や交叉総偶婚といった共生様式であったというのは、新しい認識ですね。
人類にとって闘争圧力(従って中心的な闘争課題)が、外敵圧力から同類圧力に変化したのは、約1万年前の弓矢の発明・普及からでなのでしょう。
この時代になって始めて人類は、洞窟など外敵の脅威の無い限られたニッチに小集団で隠れ住む事を止め、地上に進出しました。

>観念機能(事実認識=洞窟・貯蔵・火・調理具・戦闘具・舟・栽培・飼育)の進化によって生存力を強化した人類は、約1万年前、弓矢によって外敵と互角以上に闘えるようになった頃から洞窟を出て地上に進出する。そして地上に進出した人類は、忽ち外敵を駆逐して、繁殖していった。その結果、繁殖による集団の拡大→分化を繰り返した人類に、ようやく同類闘争の潜在的な緊張圧力が働き始める。とは言え採集部族や狩猟部族は、互いに贈物etc.を通じて友好関係の構築に努め、闘争を回避していた。実現論 [4]
約1万年前には、モンゴロイドはすでに、スンダランドから南米南端のパタゴニアまで移動を終えていました。また縄文時代の日本列島や朝鮮半島や沿海州だけでも、驚くほどの長距離を超えて人や文物の交流があったようです。
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初めて出会う同類他部族の集団や人口増加のために一定の地域に拡散した部族間には、人類が始めて経験する同類緊張圧力が生じたはずです。

縄文時代、青森県の三内丸山遺跡では、100人から500人と推定される大集落が1000年以上営まれました。またその周辺には、同時代の多数の集落遺跡群が見られます。通常の単位集団の限界を超えると思われる定住人口や周辺の集落群からこれは、同類緊張圧力に対応するための多段階編成集落でなかったかと採取時代板では考えられています。
三内丸山遺跡には、北海道十勝の黒曜石による石器や能登半島の翡翠などが出土し広範囲な交流を物語っています。
これらの交流は、贈与であったのか交易(交換)であったのかは、決め手がありませんがクラのような「ある時間的間隔をおいてお返しのくる贈物」かもしれません。

採取時代や各地の先住民の中に残っていた、贈与の風習は、もちろん他集団との関係において成り立つもので、かつ贈与には、確実な相手があります。
(贈与と交換(取引)との間には、微妙な隔たりがあるようにも思われます。)
いずれにしろ、弓矢の発明に代表される”闘争(能力)適応”や多段階編成集団などの ”集団(統合)適応”を前提として、外圧が低下した環境下で、集団を維持し、集団間を統合するために贈与や交叉総偶婚といった”共生(取引)適応”原理が発動するのでしょう。

                     
どんな集団でも、集団同士が出会えば(近接すれば)緊張が生まれます
その緊張関係も、
①自然外圧が低下し人類が繁殖→集団を分割したことでできた、単位集団(同部族)同士の緊張
②繁殖したことで他部族が近接することになり、他部族間での緊張
の2種類があります。
①の緊張関係は(同部族なので)交叉総偶婚をすることで単位集団間の婚姻関係を結び、人の交流で緊張を緩和していました。
②のように他部族になると、部族によって共認内容も変わってくるので人の交流(婚姻)というわけにはいかなかったのでしょう。この場合は、贈与をしあうことで緊張を緩和していたと思われます。
ただ、①②に共通することがあります 😀
それは、緊張状態を一番いい状態で回避するには に頭を使ったことです 緊張→闘争ではなく、共に生きる=共生しようと、その方向に適応したのです
縄文時代一貫してこうして適応してきた、そのための手段の一つが”贈与”だったんですね

さて、いよいよ次回はこのシリーズ最終回の予定です
「贈与に何を学ぶべきか!」追求の集大成 ご期待ください 😀

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