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王権の生産 2

こんにちは~♪
『王権の生産シリーズ』パート2です
前回は、天皇家の存在意義について、という問題提起と
今回のテーマの序論を書いてみました。
今回からぼちぼち『心理』についても触れていきますが、
これにはもちろん個人差があり、「大抵は~」といった
全体像と捉えてくださいね。よろしくお願いします♪
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共通課題になった王の生産(本論)

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 岩宿時代を経て、縄文時代に入った列島の人々も、長い年月の間に、より進歩した技術を獲得し、社会を形成してきたわけです。ここでパーソナリティーと思考について少し触れておきたいと思います。
 パーソナリティーは、大きくわけて『気質』と『環境』によって作り上げられるものです。そしてパーソナリティーの先に思考があります。
 人は、見聞きしたり、直接経験したことから学習をします。つまり『環境』です。言い換えれば、学習歴のないものに対しては、思考も発生しないということです。

 それでは、縄文時代の末期はどうだったでしょう。初期段階とは比較できないほどの学習をし、思考の幅も広がっていたはずです。良いも悪いも無い、単なる知識の習得です。
 さて、この段階で渡来民によって稲作文化がもたらされました。全く未知のものに対しては、警戒と期待をするでしょう。恐らく渡来民は、警戒をやわらげるために、友好的に、あるいは同化しながら縄文文化に稲作という種を植え付けたはずです。そしてこの稲作文化は、『蓄積しうる富』であると、ささやき続ければよかったわけです。いわゆる『私権文化』ですが、稲作があっという間に伝播したことを考えれば、縄文人の全体的なパーソナリティーも、これが受け入れ可能な状態にあり、『富の蓄積』という思考に辿り着いたということになるでしょう。
 さて、 列島各地に出現した大小様々なクニと、それを率いる首長。いわゆる倭国大乱と言われる時代がやってきます。けれど、大乱に突入する以前から各地で小競り合いや、縄張り争いはおこなわれていたでしょう。そこで勝者が敗者を飲み込み、支配地や富の拡充を図りながら、同時にクニの内部にも階層ができ、支配の構造ができあがっていたはずです。クニを構成する多くの民は、支配を受けながらも、自分達の身の安全と暮らしそのものを維持するために、他の勢力に倒されることなく、所属するクニの安定的な存続を望んだはずです。戦いに負けるということは、単に首長が別の人に代わるだけでは無いということを、既に見聞きして学んでいた、またはその恐怖を支配者によって植え付けられていたと考えられるからです。
 本格的な覇権争いが大乱となり、クニの質的・量的な再編成が繰り返されると、やがてこれを収めるための方法を考えだすようになります。どんな形で収束されるのがベストなのかと…
 それでは、王の出現の前に、そもそも「王権とは何か」について触れておきたいと思います。遠山氏は王権にこのような定義をつけています。
* 王権とは、狭義においては、王という特別な人格に期待され、集中されたところの権力そのものと見なすべきであろう。他方広義には、そうした権力を行使する個人・集団や、その権力を支える組織をも指すと考えられる。だが厳密には、王という特定の人物の人格に体現された権力そのものが王権なのである。* 王権とは、狭義においては、王という特別な人格に期待され、集中されたところの権力そのものと見なすべきであろう。他方広義には、そうした権力を行使する個人・集団や、その権力を支える組織をも指すと考えられる。だが厳密には、王という特定の人物の人格に体現された権力そのものが王権なのである。 *(遠山美都男著・大化改新より)
 各クニの首長たちは、制圧するか、滅びるかの二者択一の戦争ではなく、その時点においての勢力基盤を維持しつつ戦争を回避する、連合体という道を模索し始めました。その連合体が機能するためには、連合を統一するための最高首長の存在が必要で、それ無くしては限りなく緊張状態が続くと考えたのでしょう。王の出現としては、極めて稀な手順です。
  つまりこの国の王は、それぞれに思惑を含みながらも、首長層の合意によってつくりあげられた存在というわけです。
 この収束の仕方、黒か白かではなく、その境界をあいまいにしたまま白に近い、あるいは黒に近いグレーという『落としどころ』の選択。これこそは、冒頭述べた縄文時代から引き継いでいるパーソナリティーの『気質』と言えるのではないでしょうか。そしてここに王の存在をもって、あいまいさに形を付けることができるわけです。『気質』というのは脳科学の分野であり、そのアプローチと解明が期待されるところです。
 最高首長、つまり王の選出は、やはり当時の勢力範囲が広く、権力基盤が強固なクニの首長をその任に当たらせる以外に方法が無かったと考えられます。この王を中心にした連合体の出現で、当面の危機から脱出することが可能になったのでしょう。この連合体自体は、いつ壊されるかも知れないという潜在的な危険をはらんでいましたが、当面は、共通の課題である、連合体に属さない強力な勢力の制圧に動いたのではないかと考えます。
 連合体に属した鉄を持つ巨大勢力のひとつ、吉備が単独では制圧できなかった、もうひとつの鉄の生産地出雲の存在は、解決必至な問題であったはずです。単独勢力では制圧不可能であった出雲は、結局『出雲大社』の建立という、尊厳の象徴と引き換えに連合体に服従することになります。
 この出雲大社によって決定付けられる『出雲神話』は、後の時代に、豪族によって大いに利用されることになりますが、当時は、連合体内部での鉄の分配量が、より大きくなったという点が重要だったという事は、容易に想像できます。
 それではここで、完全に被支配者となったいわゆる庶民について、目を転じてみようと思います。
 
 大乱によって生き残った人達は大きく二分されます。比較的被害の少なかったクニに属していた人達と、被害の大きかったクニに属した人達です。前者に属した者は、「自分達とは無縁の力によって支配されている」そんな認識を持ったのでしょうか。むしろ、自分が属するクニが優位性を保ち、安心して生活することができると喜んだ可能性があります。更に、自分や、家族に対して物事を命令する人の指示に従えば、うまくいくし、努力が形となって認められれば、更に良いくらしができると学習してしまったとも考えられます。
 一方で、命こそ落とさなかったものの、後者のクニに属した者はどうでしょう。あらゆるものが奪われ(家族も含めて)、恐怖と無力感に陥ったと考えられます。誰ひとり治療法を知らない、いわゆるPTSD(心的外傷ストレス障害)です。そしてこのPTSDを負った人達が行き着いた先は、奴隷という存在だったのではないかと思われます。
 戦乱を収めるために連合体をつくりあげた列島の古代社会は、同時に王から奴隷に至るまでの社会的階層を生み出したとわたしは考えます。それでも、血で血を洗う戦争を繰り返すよりは賢明な選択であったと、言えるのではないでしょうか。
縄文から引き継いだ気質と、この時点で彼らにとって学習済みの知識をもっての思考レベルを考える時、この選択は評価できるものとわたしは思います。
 次回は、王であることの正当性をどのようにして示したのか、について考えてみたいと思います。
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