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アイヌは縄文人の末裔か?(最終回)私たちがアイヌに学ぶべき事とは

これまでの探求から、私たちはアイヌ人の歴史に何を学ぶべきでしょうか?
本当の最終回になる今回の記事はこれについて書いてみたいと思います。
現在、世界的な視点でみれば社会は物質文明の限界を迎えています。豊かになる為に営為形成されてきた市場社会という枠組みは各国で綻び限界に来ています。市場社会が持つ本質にその原因があることは多くの識者からすでに指摘されています。
この市場社会の本質は自我の正当化にあるのですが、その為に近代思想を生み出し、個人を原点とした世界観を絶対的なものとして定着させました。即ち、市場社会の閉塞の突破口は”原点は個人ではなく集団である”という集団規範の再構築です。
すでにこのブログの記事で何度か出ているように、集団秩序の形成と拠り所となる確かな事実基盤が求められます。両者共、アイヌ文化にたくさん残されている神話体系や規範体系の中にヒントを見つけ出す事ができるのではないでしょうか。以下4つに分けて提起したいと思います。
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【①再生という概念は自然界と人間を結ぶ統合概念】
アイヌ神話は全ては一体となって巡って存続していく=再生していくという概念に基づいて、どのように自然や周り(集団)と対話し、関わり合っていけばいいのかを伝えていっています。それは『再生』という概念こそが、アイヌの集団規範の根幹であり、それを神話として伝えていくことこそが、集団の秩序を守っていくことだと考えていたからではないでしょうか。~第6回「アイヌ民族の信仰」より [3]
アイヌは集団秩序の根幹に再生という概念を置いています。女性への尊敬、集団と成員の関係、男の役割、女の役割など、縄文時代の社会構造がアイヌ神話の中はたびたび見られます。
この再生の概念を現代社会に適応させるとどうなるのでしょうか?
永続的な社会をどのようにすれば私達は作っていけるのか、そこの発想に立つ必要があります。
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【②事実体系として世代を超えて伝えられた神話=次代へ繋げる叡智の連鎖システム】
アイヌは精霊信仰と自然崇拝という事実体系を神話にしています。自然の摂理を見いだし、それを破壊しない枠組みの中で社会を存続させていくというところに世界観を置いています。
アイヌが膨大な神話体系を伝承して歴史を繋いで行ったように、私たちは新たに自然科学や自然の摂理の中から事実を抽出し、行き詰まった私権社会の体系を塗り替えていく必要があります。
そしてそれらを常に更新し、次代に繋げていく叡智の連鎖システムを作り上げなければいけません。
アイヌ民族が口承にこだわったのは文字による記録が彼らの“叡智を伝える”という行為にそぐわなかったからです。現在的には口承に代わる道具として多くの人に意図を伝えるインターネットが相応しいのではないかと思っています。この道具を使って万人を繋ぐ叡智の連鎖システムを作り上げる事ができないでしょうか。
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しんえいおやじブログ [4]」さんからお借りしました。
【③縄文的資質を日本人の中に見つけていく】
アイヌ人同様に私たちの中にも縄文的資質は温存されています。
アイヌ人は和人からの厳しい略奪と伝染病への抗体のなさから民族としての存立基盤を大きく失いましたが、日本人の形成過程は渡来人と縄文人の混血が略奪を経ずに進んだ事で縄文的共認を温存する事ができたのではないかと思います。
既に言語の投稿で紹介しましたが、アイヌ語も日本語も基層に南東語の語彙を共通で持っており、言語としては縄文語をどちらも継承しています。アイヌ文化が縄文語を継承する事で共認を温存させたように言語の継承はそのまま共認内容を次代に伝えていく有力な根拠となるのです。
今回私達はアイヌ語から縄文語を見ていきましたが、同様に日本語の中に渡来人の影響によらないその前の痕跡を認める事ができるとしたら、それが私達の中に残っている縄文的資産です。
⇒「日本語」関連投稿のインデックス [5](多くの日本語の可能性が語られています)
【④闘争も集団規範を構築する事から始まる】
日本人は戦うことを避ける平和的な民族と言われています。一方で闘争忌避ゆえの戦えない民族とも言われています。
これはこのシリーズではあまり扱ってきませんでしたが、アイヌの抒情詩「ユーカラ」にはアイヌの和人との戦いの歴史が多く書かれています。英雄伝であったり、和人から受けた様々な仕打ちであったりです。それらが民族の結束を固くし、江戸時代に数度の戦いを挑んでいます。もちろん物量共に適わないアイヌは度々松前藩に制圧されますが、明治政府による統合政策が敷かれるまで最後まで戦ったのがアイヌ民族ではないかと思います。民族の為に戦い、命を掛けていった勇者はたくさんいました。注目すべきは戦うということを集団規範に置き、徹底的に抗戦したという闘争性です。彼らはなぜ戦うことができたのでしょうか?
戦時中の日本兵に通じるものがあるのかもしれませんが、日本兵が守ったのは作られた天皇という偶像であったのに対し、アイヌの守るべきそれは祖先からあずかった自然であり、大地でした。日本兵は誤った情報に扇動されたのに対し、アイヌはユーカラに伝えられた慣習を元に闘いました。アイヌは和人の搾取という行為に対し彼らの慣習の中にあった制裁を加えたにすぎないのです。
何を守り、何に向かって闘うのか・・・アイヌの戦いはそれを教えているのかもしれません。
日本人がこれから立ち向かうべき相手はアイヌと同じように大きく手ごわいものかもしれません。事実を万人で共有し、どこに向かって何の為に戦うのか、闘う為にはまずそれらの集団規範を構築していく必要があります。
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攻略日本史 [6]」さんよりお借りしました。

日本人のルーツとして縄文人や縄文文明を探求する事は必須ですが、縄文人はすでに2000年前には姿を消しており、考古学資料や遺跡からでしか推測することはできません。しかしアイヌ民族が最も縄文的素養を残している民族であるとしたらアイヌに学び、アイヌを研究する事は即ち縄文を知ることになり、日本人の起源を知る事にも繋がるのです。
今回アイヌを学んで明らかになったことを最後にまとめておきます。
>①自然の摂理から学びとった「再生」という概念で社会や集団の秩序構築を図っていく。
②集団規範の再構築の為に後世に伝える為の叡智の連鎖システムを作り上げる。
③日本人の中に眠っている縄文資質を呼び起こす。その為の根拠となる事実を発掘する。
④縄文人の末裔である日本人は闘えないのではない。戦うための集団規範が失われているだけだ。
戦うためには真っ先に集団規範の再生が急がれる。

以上を提案して縄文ブログの今回のシリーズは終わりにしたいと思います。
長い間お付き合いいただきありがとうございました。
2月から始まる次回の探求シリーズにご期待下さい。

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