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アイヌ民族は縄文人の末裔か?(7)~アイヌ民族の信仰~

[1]
(画像はジャンクステージ様 [2]より引用)
みなさん、こんばんは☆
日増しに経済破局が侵食していく中で、
私権秩序に代わる新たな秩序の構築が課題となってきています。
その新たな集団(社会)秩序形成のためにも、縄文人へと連なるアイヌは
どのような集団規範によって秩序を維持してきたのか?を学んでいきたいと思います。
今回はアイヌ民族の信仰(神話)を明らかにすることによって、
このアイヌの集団秩序(集団規範)の根幹を垣間見ることが出来ればと期待しています。
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まずはアイヌ神話の体系からおさえていきます。
◆アイヌ神話(ユーカラ)の分類
[5]
アイヌ民族博物館 [6]より引用 ユーカラ)
アイヌの神話(ユーカラ)は諸説ありますが、大きくは4つに分類されると考えられます。

A.神々のユーカラ

○自然神謡

動物神、植物神、自然神、が主人公となって自叙するものである。yukar は多分 yuk kar に基づいていて、それは「獲物を・為す」→「獲物の・真似をする」が原義だろう、と考えられる。熊、狐、貝、鯨、ありとあらゆるものが神と呼ばれ全く神の国である。
○人文神謡
オイナカムイ、アイヌラックル、サマイクル、オキクルミなどの名前で登場する人文神の物語である。金田一京助は、この中を更に3種類に分類する。
カムイ・オイナ:雄大、最大の説話。オイナカムイの出自、若い女神を魔神の洞窟から救いだし、人間文化の基を開くと共に、その女神と結婚する、という筋書き。
ポロ・オイナ:日神が悪魔に囚われて世界が闇になるのを回復する勇壮な物語。
ポン・オイナ:違う神を詐称してコタンコルカムイの妹を妻訪いして、その許婚の男神(ポロ・シリ・神)と争う物語。
B.人間のユーカラ
○英雄詞曲
主人公は人間の英雄、ポイヤウンペ、正式にはポイ・シヌタプカ・ウン・クル、地方によってヤイラプ、ヤイエラプ、という名前の少年英雄の物語。幼くして父母を失い一族のものに育てられる。長じて異民族と壮絶な戦闘を繰り返す。敵中に美少女を得て、相たずさえて悪戦苦闘の末に故郷のむらに凱旋する。一編短くても数千句、長いものは数万句に及ぶ。
○婦女詞曲
女性が主人公の物語で「男女間の情事を謡っていて、やや小説的な内容に踏み出したものである」(知里真志保)

[言語館] [7]より引用)
アイヌは文字を持たない文化とされ、アイヌの神話(ユーカラ)は言葉で伝えられた口承文化であるのことが大きな特徴です。ユーカラ伝承者であった(故)金成まつさんは、自らローマ字でユーカラを筆録し始め、17年のうちになんとノート一万七千ページにわたる大作を完成されたそうです。この膨大な量の九十二編にもわたる物語の数々が、「アイヌ叙事詩 ユーカラ集」に記載され、今でも後世の人々にアイヌの文化を伝え続けています。
次にアイヌの創生神話をご紹介します。
◆アイヌの創生神話
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魚の道 [9]より引用 フクロウ)

幕末、夕張郡タツコフ集落[コタン]の老爺が伝えた話。
かつて、まだ国土というものがなかった頃、青海原の中に油のように浮いて漂うものがありました。その”気”は燃え立ち、清らかなものは立ち昇って天に、濁ったものは凝り固まって島[モシリ]になりました。これは今の後方羊蹄[シリペシ]の岳であるといいます。島は月日を重ねるごとに大きく堅くなり、その”気”が凝り固まって一柱の神になりましたが、天でも その清く明るい”気”が凝り固まって一柱の神になり、五色の雲に乗って降りてきました。神々は、乗っていた雲のうち青いところを海の方に投げ入れて言いました。
「水になれ!」。すると海になりました。
次に、黄色い雲を投げると土になり、島を覆い尽くしました。
次に、赤い雲を蒔いて言いました。「金銀珠玉器財となれ!」
最後に、白い雲を蒔いて「草木鳥獣魚虫となれ!」と言いました。
こうして様々なものを整えましたが、二柱の神は「誰がこの国土を統率していってくれるだろうか」と心配しました。というのも、世界にはこの二柱の神しかいなかったからです。
その時、二神の前にフクロウが飛んできました。フクロウはその大きな目をパチパチとしばたたかせましたが、それを見た二神はとても面白いと思いました。そして、この時二神で何かをしました。それが何だったのかは語られていませんが、とにかく、それによって沢山の跡継ぎの神々が産まれたのでした。
こうして産まれた神々の中に、日神[ヘケレチュッフ]と月神[クンネチュッフ]という光り輝く麗しい二神がありました。その頃、国は深い霧霞[ウララ]に包まれて薄闇の中にありましたが、二神はこれを照らし出そうと、黒い雲に乗って日神は雌岳[マチネシリ]より、月神は雄岳[ヒンネシリ]より昇天しました。この黒い雲は、親神が世界を整えるのに使った五色の雲のうち、残った最後の一つです。こうして太陽と月が天を巡ることになり、世界は明るくなりました。
他には、火を起こす神や土を司る神が産まれていました。火を起こす神は粟や稗や黍の種を蒔いて育てることなどを教え、土を司る神は植物に関する全て、木の皮を剥いで衣服を作ることを教えました。その他にも 水を司る神、金を司る神、人間を司る神などがいて、鮭を捕り、鱒を突き、ニシンを網で捕ったり、様々な工夫を凝らして、その後に産まれた神々に技術を伝えていったのです。

かんたん神話学 [10]より引用)
このアイヌの創生神話にある二柱神による国生みは、列島の日本書記や古事記の創世神話と類似しています。これはどちらかが真似したというよりは、元々のルーツとなる縄文時代にその共通点があったのではないかと考えられます。またこのアイヌの創生神話からは、万物に神が宿るとする精霊信仰を読み取ることが出来ます。
この精霊信仰は、アイヌ神話における女性観にもよく表れています。
◆アイヌ神話における女性観
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Art HarbOur Tokyo [12]より引用 アイヌの娘)

国造神[コタンカラカムイ]は仕事を終えると、大きな山に腰を下ろしてほれぼれと世界を眺めました。
「我ながら上出来だ。うねうねと連なる山、長々と流れる川、泥の平原に木も植え、草も生い茂った。なんと、いい眺めではないか」
けれども、満足して眺めているうちに、何かが足りないような気がしてきました。
「なんだろう? 何かを造り忘れた気がする。でも、何を作ればよいのだろうか?」
いくら考えても分かりません。国造神は、日が暮れてから夜の神に命じました。
「私は世界を造ったが、何かが足りない気がする。お前の思いつくものを造ってみてくれ」
夜の神は困りましたが、首をひねりながら足元の泥をこね回すうち、泥の人形のようなものが出来上がって、これだ、と思いました。柳の枝を折って泥に通して骨にし、頭にははこべを取って植えました。
「それでは息を通わせてみよう」
夜の神が生き扇で扇ぐと、泥はだんだん乾いて人間の肌になり、頭のはこべはふさふさした髪の毛になり、二つの目は星のように輝いてパチパチと瞬きました。
「これでよい。では、十二の欲の玉を体に入れてやろう」
食べたい、遊びたい、眠りたいなどの十二の欲を与えると、ここに完全な人間が出来上がりました。
けれども、生まれた人間たちは年を取るばかりで、いっこうに増えていきません。というのも、夜の神の造った人間はみんな男だったからです。殖[ふ]えない人間はだんだん死んで減っていくばかりで、これでは勿体無いと思った国造神は、昼の神に頼んで別の人間を作らせることにしました。
「宜しいですとも。私は、昼の輝きのように美しい人間を作ってみせましょう」
そうして昼の神が造った人間は、みんな女でした。
この世に男と女が一緒に暮らすようになると、どんどん子が出来て、人間は段々に数を増やしていったのでした。こんなわけで、男の肌が浅黒いのは夜の神の手で作られたからで、女の肌が白いのは昼の神の手で作られたからなのです。

かんたん神話学 [10]より引用)
世界各地にみられる精霊信仰(日=女、月=男)との類似性からも、アイヌ人が精霊信仰を行っていたことが伺えます。それにしても女性が昼の輝きのように美しいというのは、まさにその通りですね!
またこの精霊信仰が、アイヌの自然観(自然信仰)を生み出していると考えられます。
◆アイヌの自然観
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アイヌ民族博物館 [6]より引用 イオマンテ(熊送り) 中央に熊)

アイヌの人々が考える宇宙は、この世とあの世とからなる。人間は死ぬとあの世へ旅立つが、そこではあの世での新しい生活がある。そこで一生を終えるのと、またこの世に戻ってくる。この世とあの世とは、同じ生活が営まれているが、季節や昼夜は反対である。この行き来するものが霊魂であるが、この世にあるすべてのものに霊魂が宿っているとされている。
そうした霊魂のうち、火や雷、地震、津波などの自然現象、クマやオオカミ、トリカブトなどの強い力を持った動植物など人間の意のままにならないもの、力を持ったもの、不思議もの、役に立つもの、あるいは恐ろしいものが、神として崇められ、畏れられた。神は崇められるだけではない。神として崇められた霊魂は、人間世界へなんらかの恩恵をもたらすことで、返礼する。
もし、神に不手際があり、人間世界に不都合なことが生じると、人々はその原因となった神に強い言葉で抗議をおこなう。神はただただ崇められるだけの唯一絶対的な存在ではない。

新ひだか町の歴史・アイヌ文化 [14]より引用)
この世とあの世を行き来するのは、常に死んだものはもうひとつの世界で存続していくという思想に基づいていると考えられます。つまりアイヌの自然観では、人も動物も自然も神も、そして世界さえも全ては一体となって巡って存続していく=再生という概念を持っています。
この概念は、そのままアイヌの集団統合(集団規範)にも繋がってきます。
◆アイヌの集団統合(集団規範)
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ケペル先生のブログ [16]より引用 ウニエンテの儀式)

ひとつの人間集団の精神世界―世界観と言ってもいいかもしれません―を端的にあらわしているのが、その人びとの“信仰”といえるでしょう。アイヌにとってのカムイ(神)とは、単に畏れ、崇い、従属するだけの存在ではなく、人間と対等であり、対話をなし得るパートナーとして存在するものでした。日高の葛野辰次郎エカシ(長老)が生前カムイノミをする時には、必ず次の言葉が述べられました。
「神様が居られますので人間も生活し、暮らしていくことができますし、人間が居りますので神様も崇め奉られるものであります。たとえ神様であっても、自分自らを神としたわけではありません。だから神様だからといって自分だけで満足するべきではないのです」人間と神との関係を、見事に言い表した言葉です。

ヤイユーカラの森 [17]より引用)
万物は神様であっても自分自ら生きているものではなく、お互いが生かされ合って生きている。だからこそアイヌは、自然とのそしてもちろん集団の秩序を守っていくために、常に再生という概念に基づいていたのだと考えられます。この自然(全て)と一体であるという概念は、西洋の自然は人間が治めるべき「対象」であるという概念と大きく異なっています。
そしてアイヌは精霊信仰や自然信仰の中から事実=自然の摂理を見出し、それを集団規範として神話に込めて伝えていったと考えられます。
◆まとめ
アイヌ神話は全ては一体となって巡って存続していく=再生していくという概念に基づいて、どのように自然や周り(集団)と対話し、関わり合っていけばいいのかを伝えていっています。
それは『再生』という概念こそが、アイヌの集団規範の根幹であり、それを神話として伝えていくことこそが、集団の秩序を守っていくことだと考えていたからではないでしょうか。
アイヌ神話が文字ではなく口承だったのも、この神話に込められた意図=集団規範をより深く伝えていくためだったと考えれば納得です。
次回でアイヌシリーズもいよいよクライマックスを迎えます。
これまでのアイヌ追求を踏まえた、今後の日本人の可能性に乞うご期待下さい!!
最後まで読んで頂いてありがとうございます☆
byみっちー

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