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「私権文明を問い直す」 シリーズ 1  ~人類の同類闘争=性闘争から掠奪闘争へ~

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現在、西欧発の近代国家と近代市場は、その秩序(私権秩序)を失いつつあり、崩壊の危機に直面するなかで、現代に至る「文明史の根本」を問い直すのは、過去ではなく、現在形の課題です。
では、文明の根本とか何なのか?

教科書が「人類の文明発祥の地」として教えるメソポタミア・エジプト・インド・中国は、全て掠奪闘争が繰り広げられた場所であり、それらの国家は、全て掠奪闘争の覇者によって作られた国家である。つまり、今日の「文明」は、全て掠奪闘争によって生み出された文明である。 

実現論 第二部 私権時代 「ロ.私権文明を問い直す」 [1]より引用
現在に至る文明社会は、人類の普遍的な進歩発展ではなく、ある限定的な状況で発生した掠奪闘争から発生した というこの歴史事実は、文明社会を問い直す上で重要な視点を与えてくれます。
そこで、るいネットの実現論記事を引用させていただきつつ、シリーズ「私権文明を問い直す」をスタートします。
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文明発祥の地であるメソポタミア・エジプト・インド・中国には、ある共通事項があります。
それは教科書では「農業」であると教えられていますが、それは誤りで、正確には「掠奪闘争が繰り広げられた農業地域である」ことです。
つまり、掠奪闘争が農業地域にまで広がって文明が発生したというのが事実です。
しかし、それまでの500万年の人類史で、掠奪闘争は発生していません。(当然、縄文社会にもありません)
では、いったい何故、どのようにして掠奪闘争が始まったのか?
この問いが、文明の基底部の構造を明らかにする事になるはずです。
そのカギは、 「遊牧」という生産様式にありました。
遊牧は、採取や狩猟や農業生産を行う集団とは全く異なる、特異な集団(と性関係)を生み出す事になります。
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 遊牧は、羊を連れて小集団(小氏族)で独立して移動する生産様式である。しかも、遊牧部族は移動≒闘争集団ゆえに男原理の父系集団となり、元々の母系の勇士婿入り婚は父系の勇士嫁取り婚に移行している。
その婚資(結納)は相当数の家畜である。従って、その小氏族=大家族そのものが、蓄財(家畜を増やすこと)を第一義目的とした私益集団的な色彩を帯びている。

とりわけ、女は闘争集団に対する収束力が極度に貧弱であり、自らが生まれ育った生殖集団=闘争集団においてはじめて集団に全的に収束できるのであって、嫁ぎ先の闘争集団に全的に収束するのは困難であり、多かれ少なかれ集団との距離を残している。実際、他所者の妻たちは、夫々が別々の小氏族の出身であり、実家の小氏族を基盤にして自らの存在権を守っているので、嫁ぎ先の小集団に対して夫々に私益存在的な色彩が強くなる。 

  実家を基盤に集団との距離を保ち、私益存在的な色彩を帯びた母親に育てられた娘たちは、性的存在として誰の下に嫁ぐのが得か損かを、娘心に考えながら成長してゆく。
つまり、性回路が私益=自我回路と一体化して終う。しかし、相手を選ぶ権利は家父長が握っている。そこで、許婚が気に入らないとか、夫が(他の女たちに較べて)かまってくれないとかの不満が生じると、性的存在理由の欠乏は全的に自我回路に収束し、性的存在理由を充足する機会を求めて、夫以外の男を挑発し誘惑する。

その際、相手の男が集団性=規範性の高いまともな男なら、「規範を破ってはいけない」と女をたしなめるだろうし、家父長に報告されるかも知れない。従って規範破りの相手には、常に最も集団性・規範性の低い下司男が選ばれる。
しかし、それは集団から見た場合であって、性的存在理由→性的自我に収束した女にとっては、己の期待に応えてくれる男が一番いい男(≒首雄)となる。かくして自我に支配された女は、その首雄収束の思い込み回路を使って、最低の下司男を最高の強者だと180度逆転させて思い込み、首雄収束を下司収束に換骨奪胎して終う。

自我は、共認(集団や規範)に対する否定(反や破)をエネルギー源にしている。従って、性的自我の塊と化した女と男にとっては、規範破り=集団破壊こそが潜在的な究極の目的=快感となるのであって、この狂った性的自我こそ、人類の全ての邪心の源である。現にこの狂った性的自我は、規範破りの私的な性関係を構築し、その私的関係を核にして、最終的には集団を破壊していったのである。

実現論 第二部 私権時代 「イ.人類の同類闘争=性闘争から掠奪闘争へ」 [4]より
>規範破り=集団破壊こそが潜在的な究極の目的=快感
この「邪心」が、掠奪集団と掠奪闘争を発生させ、掠奪闘争は農業地域にまで広がって、武力支配による国家=「文明」に到りますが、以降、その系譜は現在まで繋がっています。
邪心→己のために人を殺してもよい。=略奪闘争

邪心→武力で人を支配してもよい。=武力支配国家

邪心→騙して儲けてもよい。=近代市場(と近代国家)

遊牧部族から発生した「邪心」の系譜は、近代市場と近代国家まで繋がっています。
しかし、近代市場と近代国家がその秩序(私権秩序)を失いつつあります。
今、「邪心」を封鎖してきた集団の構造を元にして、「邪心」の発生構造を反転させれば、新しい(縄文人の)社会秩序を構築してくことが可能になるのではないでしょうか?

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