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アイヌ民族は縄文人の末裔か?(6)~アイヌ民族の婚姻様式~

前投稿 [1]にも記述があったように、集団は言語・思想・規範・制度といった共認内容により、その集団性が規定されています。
とりわけ、性本能を強化することで生存してきた人類集団においては、男女関係=婚姻制が、その集団の共認内容に大きく影響をおよぼすことになります。(⇒婚姻制の持つ問題性については人類婚姻史と共同体社会 [2]をご覧下さい
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写真引用元:苫小牧民報 [3]
アイヌ民族は、どのような婚姻様式をとり、どのような男女観をもっていたのでしょうか?
まずは婚姻様式から見ていきたいと思います。
北の生活文化 [4]アイヌ文化 [5]を【引用】させていただきました。
【アイヌ民族の婚姻様式】

アイヌ民族の家族は、一つの家屋に一組の夫婦と未婚の子女からなり、これに配偶者をなくした祖父母が同居することもあった。
かつては、娘が婚期に達すると、地続きに小さな家を造って一人住まいをさせ、求婚に訪れる青年の中から両方の気の合う者を選んで婚姻が成立するという習慣もあった。この場合、青年がそのまま残ることもあるし、娘の家の仕事をある期間手伝った後、娘を連れて自分の家に帰ることもあった。

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結婚は本人同士の意志が尊重されたが、いいなずけが決められていることもあった。ただし自分の母親と同一の系統(フチイキリ)に属する女性との結婚は禁じられていた。同一のフチイキリの証として、母親は娘に自分の系統に固有の下帯(ウプソル)の作り方を伝授する。このフチイキリは婚姻のほか、財産の相続、出産・葬儀の手伝いなどに意味をもっていた。

これに対し、男子の系統をエカシイキリといい、イナウなどに付す祖印(イトクパ)を共通にし、これに従って財産やクマ穴などの猟場が相続された。
男子が成人になると、父方の系統を表すエカシイトクパ(祖印)の刻み方とその扱い方を父または祖父から教えられた。そのとき、大本(おおもと)の先祖が何であるか、そのいわれも初めて明らかにされたという。

長男は両親の家の近くに新しい家を造り、両親の面倒を見ると共に父系の財産を継いだ。妻が死ぬとその家を焼き、夫は再婚するまで近親の家などに住んで家を持たなかった。そのことから、妻を失った男を「家のない男」といった。このように夫婦関係は、一方の死や離婚によってその関係は消滅する。
親子の関係は、父と息子、母と娘の関係が強調されている。同じ両親から生まれた兄弟姉妹関係においてもアイヌの人々は男女の区別が強く、兄弟と姉妹との関係は分離され、兄弟同士、姉妹同士の関係が強調される。その関係は子や孫にまで適応され、親族の結合の基礎をなした。そのため、男女を含む家族や氏族のような社会集団を単位とする名称は存在していない。

『妻は借りもの』、アイヌ語で「結婚」のことをそう言うようです。
結婚を表す言葉として『マテドン』=マツ(妻)、エドン(借りる)があり、お嫁さんはもらうものではなしに、相手の氏族集団から借りるものと言い表されています。夫の方は、借りてくるので妻を大切にしなければ連れ戻される。
妻の方は、借りられてこの家に来ているので、おしとやかにしていなければいつ返されるか分からない。
そのように、双方一歩譲る心を常々忘れないように心掛けるので、家庭は円満に納まるということらしいです。
形式的には父系嫁入り婚ですが、私有制が発達していないので、母系集団の引力の強さが色濃く残存しているのがアイヌ民族の婚姻様式の特徴といえます。
この婚姻様式ですが、当時の大陸にも極めて類似した婚姻様式が存在していました。
その例を見てみます。韓国の歴史 [8]【引用,一部編集】
 
【高句麗の婚姻様式】

三国時代の高句麗の結婚様式をみてみます。
高句麗時代は再婚がかなり自由に行われたようです。これは高句麗だけではなく三国共通の現象だったようです。結婚してしばらくは妻の家に住む母系中心社会の伝統が一般的でした。結婚して妻の家に住み、子どもが大きくなると独立して場合によっては妻の家で一生を過ごすのが伝統でした。
男は結婚にこぎつけるまで手間ひまをかけ、やっと妻のお父さんの許しが出るとその義理の父は妻の家の隣に新婚夫婦の小屋を造ってくれます。そこを婿屋といいます。
高句麗の女性はよく働きました。
だから娘が嫁に行ってしまうとその家では労働力の損失になるわけでその損失補てんのためにも新郎は新婦の家にしばらく滞在して自分の労働力を提供したのでした。
体を張って礼を尽くすというのが一種の伝統だったのですね。
また嫁の立場からすると子どもを自分の実家で産んで育てるという気軽さがあったのでお互いに得になったのでしょう。こうした結婚の伝統は朝鮮後期である17世紀まで続きました。
しゅうとめと嫁とが同居する伝統は、むしろわずか200年にも満たない新しい伝統です。

この婚姻様式は、弥生~古墳時代を通じて本土側の倭人にも伝播していくことになりますが、母系的色彩を残していたということが重要なポイントとなります。最基底部の婚姻様式に親和性があったがゆえに、縄文人やアイヌ民族との融合も可能だったのだろうと思います。
さて、言語面でも類似性のみられたイヌイットですが、彼らの世界観や男女観は、アイヌ民族と極めて似ていて驚くほどです。
その例を紹介したいと思います。
カナダ・イヌイト社会の分業と男女関係 [9]【引用】

イヌイト社会では人間と動物は相互依存関係にある。簡単にいえば、動物、たとえばカリブーは普段、カリブーの「世界」にいて姿形もなすことも人間と同じであり、同じような生活しているが、人間の「世界」に現われるカリブーは衣服の材料になる毛皮、食料になる肉、道具の材料になる角などをつけて現われる。人間の「世界」へ行ってはまた自分の「世界」に戻らなければならないが、自分の力では戻れない。無事に戻るためには、人間の手によって肉体から魂(イヌア)を解放してもらわなければならないが、解放してもらう見返りに、人間に毛皮や肉を与えるのである。つまり、カリブーは毛皮や肉などの手土産を携えて人間の「世界」へ現われると考えられ、正しい儀礼に則って自分の「世界」へ確実に戻してくれる人間を選び、自らを獲らせるのである。その意味で、動物は人間の心の中まで覗いて、行動も考えも正しい者を選ぶ。人間と動物は相互依存していると前に書いたが、イヌイトの立場からすると動物の方がやや上手であると考えられている。動物は、動物を敬い、決まったしきたりに沿った扱いをしてくれるハンターを選ぶからであり、動物の鋭い感性を人間はごまかすことができない。ところが、実際はハンターを選んでいるのではなく、ハンターの妻に動物が自らを任せていると解釈されている。

生を象徴する女性が獲物を解体することは肉体から動物の魂を解放する行為、すなわち再生させることを意味し、肉を分配することは豊穣を表現している。男性が使う銛はペニスを表現し、子宮と見なされる家に獲物の肉を持ち込むことは生殖行為を象徴的に表わしているのである。すなわち、銛で仕留めたアザラシを家に運び込んで解体することは、獲物を子宮へ戻すという、再生サイクルの一環を象徴している。女性(妻)は再生を象徴しており、心正しい女性を選ぶ動物は無事に自分の「世界」に戻れる、ということになる。つまり、ハンターの豊猟・不猟は女性次第であるという解釈になる。ある北アラスカのイヌイト(イヌピアック)がいみじくも言っているように、「優れたハンターは僕ではなく、妻なのである」。つまり、女性は接待役、動物は客人であり、男性はその両者をとり結ぶ役割を果たしているというように解釈することができるだろう。

彼等にとって結婚とは、愛や恋とは無関係のものであった。女は、狩りに出て獲物をとり、舟を作り、犬の世話をする男を必要とし、男は、皮をなめし、肉を貯蔵し、炊事をし、衣服を作る女を必要とした。男と女は、担当する仕事の種類こそ異なれ、同様に働く意義は家族の充足にあった。

婚姻制の父系制への転換は、集団をまるごと私益存在へと転換させてしまうところに最大の問題があります。そこでは、他集団は敵という意識が顕在化しやすく、自集団の利益を守るためには、掠奪さえも正当化されてしまいます。そして、当然のごとく女たちも男たちの私有物と見なされていくようになってしまいます。
太古より、本源的な回路(=直観)で誰よりも可能性を感じ取り、集団のいくべき道を照らし出していた女たちが、この窮屈な婚姻制により、本来の女の役割を奪われてしまったと言っていいのかもしれません。
アイヌ民族は、母系的な要素を残すことで、「男の役割、女の役割をみんなが認め合う」という集団規範を引き継いでいったのではないでしょうか?
次回は、アイヌ神話を通して、どのような集団規範が口承で伝えられていったのか(⇔私権秩序に代わる新しい秩序を形成していく上で、私たちが学ぶべきものは何かという問題意識です )を探ってみたいと思います。
お楽しみに!

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