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素人の創造シリーズ4~創造の資質

創造する力ってなんでしょうか。知識が豊かで、論理的に話しの出来る人なんかは、頭も良さそうで創造力のある人なのかなと思いがちです。でも、本当は、そういう力より大事な能力があるようです。そして、創造力とは統合力なり。
世の中の発明品や新製品を見ると、「俺も同じアイデア思いついたのにな」などと思った経験ありませんか?でも実現しないアイデアを持っていても創造したとはいえません。様々な課題を乗り越えて、この世の中に実現できたんだと考えると、創造力=統合力というのはうなずけます。
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さらに認識を統合するとなるとどんな資質が求められるのでしょうか?
「るいネット」から創造の核心に迫る投稿があったので紹介します。Blog Ranking [1] にほんブログ村 歴史ブログへ [2]


“>素人の社会活動「創造の資質」 [3]

しかし、認識を統合できる者が殆どいない。
☆いったい、認識の統合者=創造者の資質は、何なのか?それが出来る者と出来ない者の違いは、何なのか?
●まず、知識が豊かであるとか言葉が巧みであるという様な事とは無縁であるらしい事は、多くのダメ投稿群の例から見ても、明らかである。つまり、観念回路そのものには統合力(従って創造力)は、ないらしいと考えられる。だとすれば、観念以前の回路、つまり本能回路・共認回路・(自我回路)が、意識の統合の(従って創造の)カギを握っているという事になる。そこで、これら本能・共認・(自我)回路が生み出す意識を、仮に(言葉以前の意識という意味で)潜在思念と呼ぶ事にする。
●誰もが、これらの潜在回路を使って現実を対象化し、可能性を探索している。そして、実現可能な方向や方法を探り当てた時に、全意識がその可能性に収束して、潜在思念が統合される訳だが、この潜在思念の統合力こそが、統合(創造)のカギを握っており、かつ人によって潜在思念の統合力に大きな差があるらしい。

例えば、評論家は、すばらしい建築や美術作品について、上手に解説することができますが、自分が創ることはできません。人々は、実は解説がなくても言葉以前に作品のよさを潜在思念で感じているわけです。こんなケースを考えると、「答え=創造物」は言葉以前に潜在思念に導き出されたものなのかなと納得します。

●この差は、本能・共認・自我の夫々の回路の発達度合い(おそらくは、本能充足・共認充足・自我充足という夫々の充足体験度合い)に規定されていると考えられる。つまり、充足体験の豊かな(従って潜在回路の発達した)者は、どこまでも潜在思念で現実を対象化する。従って、様々な切り口が出てくるし、いずれは突破口を探り当てる事が出来る。
あるいはそれ以前に、潜在思念がその都度それなりに統合されているので(つまり、実感に裏打ちされているので)、彼が語る言葉は概ね整合しており、分かり易い。
それに対して充足体験が貧弱な者は、現実を対象化しても潜在思念を統合し切れずに、すぐに出来合いの観念に飛びついて終う。しかし、どんなに観念をいじくり回し組み合わせてみても(本人はそれで整合していると錯覚しているらしいが)、肝心の潜在思念が統合されていないので、彼の言葉は全く整合していないし、極めて分かり難い。

現代美術の解説などは、言葉が先で、潜在思念がついて来ないなんてこともありがちですね。理屈がないと評価できないような作品はきっとたいしたことないんでしょうね。
そして、言葉を重ねれば重ねるほど「正当化」に陥っていくなんてこともありがちです。

●その上、もっとまずい事に、現代人(特に35歳以上の人)は、本能充足や共認(本源)充足の体験が貧弱で、自我充足の体験だけが豊かである。従って、潜在思念も専ら自我回路によって統合する事になる。2チャンネルの投稿者がそれである。彼らの悪口やケンカは、もちろん何も生み出す事は出来ないが、自我という潜在思念がそれなりに統合されているので、実感が込められており、それなりに分かり易い。
それに対して、一応頭では自我を否定しているが、しかし自我に替わるべき本能充足や共認充足の体験が乏しい者たちのるいネットでの投稿は、問題を難しくこんがらがらせるだけで、整合性が低く、実感も薄いという惨々たる結果に陥って終うことになる。

私の世代にも話をこんがらがらせる理屈っぽい人が結構いるかもしれません。
理屈っぽい人ほど創造力がないってことかもしれません。
潜在思念をもっと磨きたいものですね。

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