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明治日本の近代官僚制の導入 ~自閉的共同体がもたらす弊害~

『官僚制の歴史~官僚制と試験制の弊害とその突破口を探る』シリーズ [1]
中国の科挙制(:試験による官僚登用制度)は、欧米近代国家に引き継がれ、日本にも輸入されていきます。明治時代のことです。
前回の記事では、欧米近代国家の官僚制の現状を見ました。本記事、及び次回の記事では、欧米発の近代官僚制が、日本ではどのように導入され、現在に至るのか、そしてその突破口を探ります。


■明治時代に近代官僚制に移行したのは、なぜか?
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官僚制は、登用形態と国家との関係によって、家産官僚制と近代官僚制に区別される。家産官僚制は主君と家臣の主従関係によってなりたっており、「不自由な」身分の官吏によって構成されている。それに対し(社会契約説によって成り立つ)近代国家における「近代官僚制」は、身分制ではなく契約社会のルールが官僚制を構成している。つまり、官僚は自由な意志に基づいて官僚を選び、契約のうえ官僚になる。日本において大幅に制度変更したのが、この家産官僚制から近代官僚制への移行であった。
明治政府における近代官僚制移行の必要は、欧米列強からの圧力から立ち上がってきた問題であった。
欧米列強からの圧力(ペリー来航)を受け開国した日本は、欧米列強に対抗する必要から近代国家(国民国家)への脱皮が急がれていた。近代化された官僚制度によって、西欧列強に伍する国家を作り上げようとしていたのである。
■近代学校制度の整備が、急速に進んだのは、なぜか?
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明治時代の学校制度と受験競争 [4]
近代国家への転換に伴って必然的に発生する「近代官僚の必要」に、明治政府も気づくことになる。しかし、明治初期の日本で大量の近代官僚を採用する上では壁があった。
中国の科挙のように、全国一斉のテストを実施しても、近代官僚は集まらない。なぜなら、近代思想(近代科学、近代経済学etc)の教育など制度的にも行われていなかったから、近代思想を体得した人間などおらず、テストを実施しても意味が無いからだ。しかも、近代国家・日本を動かす官僚に必要な資質は近代思想の体得だけではない。お互いに通じる言語で話をすることができ、日本国の理念に強く収束していなければならない。近代思想、(統一された)日本語、国家理念、これらに習熟した人間を作り出すために、近代学校制度は必要だったのだ。
近代学校制度が担った役割は、それだけではなかった。
それまで”藩”という共同体の上に、”幕府”という緩やかな共同体が乗っかって幕藩体制を構成していた日本において、「官僚になるために東京に行く」ことは、若者にそのような動機(欠乏)が元々ないという点でも、地域共同体においては受け入れ難いという点でも、大きな断絶があった。
これは、私権欠乏を最大化した後に「市民革命」によって近代国家を作り上げていった西欧諸国と決定的に異なる点である。
「学問は身を立るの財本」「人たるもの誰か学ばずして可ならんや」とうたった学制序文(被仰出書おおせ いだされしょ)とともに頒布された学制は、勉強をすることにより立身出世をしようという気運を高めていく。学校制度の頂点にある東京大学は設立当初から(当時の憧れの職業である)官僚の予備軍のための大学であったから、尋常小学校から帝国大学へと続く”学校制度”は、立身出世の道そのものだった。こうして、全国一律の学校教育制度は、「勉強すれば立身出世の道がある」ことを示し、東京大学を頂点とした学校制度が権威化され認知されていく。
☆つまり、近代学校制度とは、近代国家を担う官僚養成のための機関であり、かつ近代国家の理念を受け入れさせ近代人を作るための巨大な洗脳機関として始まったと言える。近代国家への転換の必要が、近代官僚養成⇒任用の必要を生み、それが近代国家理念の洗脳の必要を生む、それらを総合的に担っていたのが、近代学校制度だったのだ。
■拡大する学校制度・試験制度
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明治維新により士農工商といった身分制度は解体され、四民平等の理念が広がっていく。これは、それまでの強固な生涯固定の身分制度が崩れ、万民に私権(金や身分)拡大の可能性が広がったことを意味する。万民の私権獲得欲求を正当化した平等観念の下、「公平な」試験が希求された結果、ペーパーテストが重視され人物査定が軽視されていく。ペーパーテストが重視されていった結果、ペーパーテストに合格するための方法論も発達していく。明治30年代には既に「受験熱」が高まりを見せていた。
さらに官吏の任用の他に、様々な職業資格において政府の認める一部の高等教育機関の卒業者に国家試験を受けなくても職業資格が認められるなど、特典が与えられる制度が存在した。また、それぞれの職業内部で、卒業した学校による昇進や出世の差もあらわれはじめていた。これが、学歴への収束を強めることになる。
■官僚制度の弊害
「『官僚化訓練』によって無能力していく」「『法規万能主義』により柔軟な対応が出来なくなる」 [6]などの官僚制度、試験制度の弊害は、明治時代から既に登場していた。
加えて、戦前の日本において、日本の行く末に大きな影響を与えたのは、官僚組織が自閉化していく(=集団自閉に陥る)という問題だった。海軍の人間が、海軍を第一に考え行動し、陸軍の人間が、陸軍のことを第一に考え行動するようになる。つまり、「国民のため」を思って取る政策が、矮小化された自閉的共同体の利益を代表したものになっていった。
それぞれが自閉化し、また各自閉的共同体の存立を正当化しているため、各省庁の権限を拡大が最重要課題となる。問題を作り上げ(でっちあげ)その為の人間・予算を要求するようになる。つまり、官僚制度を維持するために、官僚が課題をでっちあげ、組織・予算とも肥大化していった。
★これは、官僚制度そのものが自己目的化し、肥大化していくことを示している。
★この現象は、古代国家における古代官僚制の構造(軍隊の必要→徴税官僚の必要→官僚を食わせるための重税の必要→経済政策のための官僚の必要→・・・) [7]と同様であると言える。

■自閉的共同体
こうして、強力な理念の下に統合されるはずだった国家は、自閉的共同体の寄せ集めとしての国家となり、止める者がいなくなった結果、暴走し始めることになる。
○岸田秀「歴史を精神分析する」

日清日露両戦役時代の日本軍の上層部は、薩長出身者が主流を占めていたものの、それぞればらばらな地方の下級武士階級の出身者も多く、軍部として一つの共同体を成しておらず、生まれたばかりの新しい日本国家に忠実であることができた。
ところが、昭和になると、陸士海兵を優秀な成績で卒業したエリートが軍部官僚となり、同窓生の関係や血縁のほかに相互の頻繁な通婚もあって一つの自閉的共同体を形成した。自閉的共同体となった軍部は、すでに述べたように、もはや日本国家と国民のためではなく、軍部の栄光の為に(陸軍は陸軍共同体の、海軍は海軍共同体の栄光のために)戦うことになり(しかし、そこに自己欺瞞が働いて日本のために戦っているつもりである)、とんでもない戦争をついやってしまうのである。

■日本固有の「外圧への対処方法」
諸外国からの強い侵略圧力
 ↓
カタチだけ(ガワだけ)取り入れる
 ↓
当初は、国家理念の下、統一される
 ↓が
すぐに自閉的共同体の集合体となる
この流れは、何もペリー来航から明治維新、明治政府樹立の時に限ったことではなく、天智天皇・天武天皇~藤原氏支配における律令制度導入と、なんら変わりが無いことが分かる。
日本という国は、何度も制度変更をしながら、しかし「外圧を受けた時の対処の仕方」は古代以来一貫して変わっていないのである。

(by ないとう)
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明治日本の近代官僚制の導入 ~自閉的共同体がもたらす弊害~ [14]

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