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縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-6 祭りの多面性と核心

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😀 くまなです
縄文人の本源性は“まつり”によって培われていたのではないか?
「祭り」の多面性と核心 [1]の中に垣間見られる“祭りの本質”からそのように感じました。
現代においても祭りには、自然や祖霊に対する感謝、年齢・性別を問わない分かち合い、みんなで合わせて踊り・唄うなど、みんなでつくる充足があります。それは古来より、人類が本来もっている共同性が培われる場であったであろうことは、容易に想像がつきます。
祭りが人類の本源性を培い、縄文人はそれを継承し続けた。
今回は、祭りに見る本源性から“縄文人の祭り”について迫ってみます。
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1・祭りの意義は、世界の始まりの時間を神といっしょに過ごすことにある。祭りの中での、人の時間ではないとき、ケ(日常)の正気や秩序を失うとき、人は神の世界にいる。本来の祭りのクライマックスは、酔いつぶれることである。カオスであり、神に近づくことなのである。一晩中、踊り明かす神憑かりの時間である。 ハレとは、日常(人の秩序)を超えた時間、神の時間である。そして、祭りとは神話の再演であり、世界の死と再生なのである。

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2・本来動物の本能とでもいうか、心と体に鼓動を呼び起こし共に共振して、個々の集まったエネルギーをぶつけ合うことにより、理屈ではわからない自然の力によって、みんなで良い方向に生きようとする儀式である。

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3・祭りは「神を供応する」心から出たもので、神とともに自分たちも楽しむものなのである。それは神をもてなし、神が楽しみ、その恵みを受けながら人々も楽しむのである。

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4・祭りとは「祀る」ものである。祀る対象があって、そのために祭りをするのである。対象をあがめ、讃え、鎮魂し、そして一体感を得るために、血わき肉おどらせるのである。

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5・祭りは惰性的嫌悪感にみちた生活という日常の対極にある、つかの間の非日常世界である。現実という見える世界をとびこえて、見えざる非日常世界へと遊泳できるのだ。そこには夢や希望や、ロマンや、ノスタルジアや、エロスや、デーモンや、ありとあらゆるものが混在している。祭への参加者は、その摩訶不思議な非日常空間に身をゆだね、自己忘却し、自己解放をはかろうとするのである。

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6・「まつる」とは、神に捧げ物をたてまつり、まつらう(おそばに待ち侍る)ことである。そうするためには「みそぎ」「こもり」によって心身を十分に清めることが必要であった。村の祭りは村中で行なうものである。祭る神は共同体の神である。各人の願いを祈るのが祭りではない。村の共同の願いを、定められた機会にだけ、神に再確認するのが祭りである。願いを神に押し付けたりは決してしない。また、神は祭りのときにしか居ないし、来ない。祭りを執り行う者、つまり祭祀権をもつ者こそ、太古の首長であった。ただの神主ではない。そしてこのリーダーのもと行なうのが祭りなのであった。 長い斎みこもりのあと、来臨した神を祭祀者が中心になって共同体メンバーみんなで迎え、たてまつりまつらい、共同の願いを再確認するのがお祭りだということになる。

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7・そもそも「祭り」は古代の「政」(まつりごと)に端を発する。「政」は神々を「奉る」厳粛な儀式でもあった。人々は営みの全てを神に委ね、祭りを通して災いを振り払い、吉事がもたらされるよう祈願し、同時に神々とともに酒を酌み交わすことで邪念を取り払い、明日への糧としたのである。

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8・もともと祭りとは、人間のライフサイクルにおける刷新の役割を果たすものである。どの民族にも、その形態はさまざまに違っても、年ごとにめぐってくる祭日を祝い、過去の自分を捨てて新しい生命力を回復する契機とする、という習慣がある。それは、人間の本性に共通に備わっている欲求からくるのだろう。

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9・祭りは基本的に神を奉るものとされているが、柳田国男民俗学によれば、神とは基本的に有難きもの、つまり滅多にないもの・・・として存在し、神とは基本的に荒ぶる神としてとらえられていたようだ。祭りとは、荒ぶる神を静める行事であった。

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10・“祭り”とは、人々が日常を離れ、その一瞬に日頃の憂さや体内に溜まった悪いガスを吐き出し、次の日から、また新たに日常を生き直す為のモノである。

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11・祭りにおいて、自分の子供を神に捧げる事もあったが、それは酷い事ではなく当然の「モラル」であり、祭りの中の狂気は最高の恍惚感を与えていたのである。 時にカニバリズム(人肉食)すら容認する”祭り”とは、正しく我々の精神を抑圧から解放し、最高のカーニバル(謝肉祭)に誘うものかもしれない。

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12・祭というものは本来3つの機能がある。一つは、喧噪。誇大なる喧噪、要するに大騒ぎ。それから一つは過大なる消費、ものすごくお金やものを使う。もう一つは性的な放埒さ・性的開放である。


祭りの核心は何か?
そのヒントは、祭りの起源にあります。

圧倒的な自然外圧を前にして不全感を解消すべく、足を踏み鳴らし掛け声を発する「踊り」という様式を作り出す(踊りはバランス感覚を養い二足歩行を可能にし、掛け声は音声機能の発達を促し言葉の発生につながります)。踊りは半睡状態を生み出し、終に自分たちを遥かに超えた畏れ敬う自然の背後に、応望すべき相手=期待に応えてくれる相手=精霊を見る。このように踊り(=祭り)は、不全を解消する解脱共認であると同時に、生存圧力を克服する可能性共認としての精霊=観念共認を形成するものだったと思われます。

祭りは共生適応ではなく集団統合(解脱+闘争)共認の場 [4]より
祭りの様式や極限時代の起源から導き出される祭りの核心は、
圧倒的な自然外圧⇒解脱⇒踊りによる共認充足
→半睡・トランス状態

始原人類は、自然外圧に対峙しつつ、不全を解消し集団を統合する(闘争に向かわせる等)のために、充足を追求し、踊り→トランス状態の充足を様式として確立していったのでしょう。その基盤となるのは仲間との充足です。まつりを通じて共同性が育まれます。そして充足が高じて達するトランス状態の中で、例えば宇宙との一体感?のような感覚から、精霊の存在を感じ取ったのではないでしょうか。始原人類が観念機能を獲得できたのは、精霊へ同化し、その期待に応えようとしたからに違いありません。
縄文人はどうだったのか?
洞窟に隠れ住むしかなかった始原人類に比べれば、弓矢等の武器を得て外圧は低下しますが、平均寿命の短さや寒冷化に伴う人口の急減(集団の断絶)に見られえるように、縄文人が生きていくことは現代に比べればはるかに過酷です。自然に対する畏怖の念は変わりません。
不全をなんとかするためには精霊への応望⇒探索⇒同化が不可欠であり、精霊と交信する“まつりを続けたのです。

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