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「東洋と西洋」③~西欧と日本の階層意識の違い

こんにちは。
『東洋と西洋』シリーズ3回目です。
西洋人は、皆殺しの掠奪闘争により本源集団を根こそぎ解体し、自我に基づく独善性・排他性の極めて強い絶対観念(キリスト教など)をつくりましたが、その意識構造を前提に形成したのが現代まで続く絶対的な階層社会でした。
西欧と日本の階層意識の違い [1] より紹介します。
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欧米人の思想の根底にある人間中心主義とは 、けっして、人類一般を対象としたものではありません。あらゆる中心になるものは、もともとはキリスト教徒たるヨーロッパ人に限られます。
人間と動物を断絶する論理は、同様にキリスト教徒とそうでないもの、ヨーロッパ人とそうでないものなどを断絶し、ヨーロッパ社会の内部においてはユダヤ人に対する迫害であるとか、非常に根強い階層意識などを形成してきました。また、ヨーロッパ社会の外部に向けては度重なる略奪・殺戮行為であるとか、人種差別などとして発現してきました。

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 (マルタ騎士団)

ところで、社会の階層意識について考えてみます。身分制社会であった時代の日本とヨーロッパで、支配者階級が総人口にどれくらい占めるかを比較してみると大きな違いがあります。たとえば、江戸時代の日本では、総人口の5~6%が武士であり、革命直前のフランスでは、僧侶・貴族は総人口の0.5~0.6%と算定されています。日本に比べてフランスでは支配者階級の割合は10分の1だったと推定されています。
日本では支配者階級のなかに多数を抱え込んでいると、トップクラスといえども豪勢な生活はできません。ハリスをはじめ、幕末に来日した欧米人は口をそろえて、日本の支配階級のつつましさを指摘しています。
また、逆に日本人はフランスを訪れて、ヴェルサイユ宮殿などの壮大豪華な建築を見て、「なぜ、フランスで革命が起こったかはじめて分かった。」という意見をよくいいます。支配者階級に入る人数が少ないからこそ、人民の恨みが爆発するほどの贅沢ができるということです。
ヨーロッパでは、動物、非ヨーロッパ、非キリスト教徒などを順次疎外していき、さいごに「ほんとうの人間」として残るのは、ごく少数の支配者階級だけです。支配者はあくまで特権階級で、孤高であり、他を寄せ付けたりしません。
このことは、日本とヨーロッパでの支配者の理想を比較してみると、よくわかります。日本では名君とたたえられるのは、ほとんど例外なしに、質素な生活の実践者です。
ヨーロッパでは、些細なことにせこせこしないで、どんどん浪費することがむしろ支配者の美徳とされています。たとえば、名君とほまれの高いルイ9世は、側近に「君はもっと良い衣服を身につけなければならない。そうすれば、君の奥さんはもっと君を愛し、君の召使いは君をもっと尊敬するようになろう。」といっています。
また、イギリスでは、今でも貴族制度は生きていますし、フランスでは、1870年には貴族階級は消滅したはずなのですが、それまで貴族の家柄は依然として貴族の称号を保持しつづけています。さらに、婚姻関係や系図の偽造によって貴族を名乗りたがる連中があとをたたないので、ニセ貴族は15000家もあるそうです。

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 (ヴェルサイユ宮殿)

社会の根底に強い階層意識と上位の階層に対する強いあこがれがなければこのようなことにはならないといえます。日本では華族制度が廃止された途端に、もと公爵、もと伯爵などすべてに「もと」がつけられるのとは対照的です。
明治維新以降の教育制度をみても、日本では上級学校に進み、社会の指導者になる者も初等教育の段階では、みんなと同じく机をならべました。ヨーロッパでは、上級学校に進む者は初めから別扱いの過程(パブリック・スクール、リセ、ギムナジウムなど)が用意されて、上層階級の独占物になっていたこととは対象的です。日本では戦前から続いていた「入学受験地獄」というのは、階層意識が弱く、また制度的にも立身出世が開かれていた日本だから起こり得た現象だといえます。

日本の場合も儒教に基づく序列意識はありましたが、どちらかといえば関係規範や役割規範であったように思います。西洋と決定的に異なるのは、庶民において充足の場である村落共同体が解体されることなく守り続けてきたことにあり、だからこそ階層意識ではなく、日本人は集団意識が極めて強い民族なのではないかと思います。
『東洋と西洋』シリーズ
●東洋人と西洋人との違いは「掠奪闘争による本源集団の破壊度」に規定される [4]
●近代民主主義から見た西洋と日本 [5] 

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